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【最新研究】 生物模倣の水中接着剤

身近な「接着」

小さい頃から文房具が大好きでした。
学校帰りに近所の文房具屋さんに行っては棚に並んだ最新文房具を眺め、文具のフリーマガジン「Bun2(ブンツウ)」を毎月チェックしていました。
その中でも三種の神器と呼んでいたのが「はさみ、のり、クレヨン」の三つでした。紙工作をはじめた幼少期からずっと、これらの道具たちには形を変えてお世話になってきました。

文房具三種の神器

特に「のり」は、デンプンのり(ヤマトのり)、液体のり(アラビックヤマト)、スティックのり(PiT)、テープのり(ドットライナー)と使うようになりました。他に、アロンアルファなどの特殊な接着剤も利用しています。ホッチキスや穴あけパンチもモノを固定するのに使います。これに加えて、セロハンテープや絆創膏、ガムテープや養生テープ、付箋(ポスト・イット)、マスキングテープ(mt)などものりに近いものとして使っています。

いろんな「のり」


そのうちに、特に「のり」がなぜくっつくのだろう?と疑問をもち、接着剤ひいては材料科学に興味を持つようになりました。

 今回、私が「接着剤」を中3の自由研究のテーマにするきっかけとなったのは、瞬間接着剤だ。今年の春、ツタの絡まる建物を見て、なぜツタは壁に張り付いていられるのかに興味をひかれ、少々ツタを引っ張ってみた。その貼りつき方が強力なことに驚くと同時に、人工物で強力にくっつくものはあるだろうかと思い出したのが瞬間接着剤だ。どのような仕組みで一瞬に、そして強力に接着できるのだろうか。また、接着剤とはそもそもどのようなものなのか。

中学3年生時の自由研究「接着剤」より


接着剤とは

「のり」は漢字で「糊」と書き、モノをくっつけるために使われるねばねばしたものを指すとともに、米の粉を煮て作った接合剤を指す言葉でもあります。ものをくっつけることを「接着」、その物質を「接着剤」と呼びます。

【接着】 接着剤を媒介とし、化学的もしくは物理的な力またはその両者によってふたつの面が結合した状態

ISO

【接着剤】
・同種又は異種の物体を張り合わせるために使用される物質。
・動植物系のもの及びアスファルト系のものを除く。

消費者庁HP

ちなみに、接着剤の歴史は古く、最初の接着剤は天然アスファルトと言われています。旧約聖書のノアの方舟の防水加工や、バベルの塔でのレンガの接着に使われた記述もあります。デンプンや漆をはじめとした天然接着剤にはじまり、現在では、デンプンのり(天然系)、アラビックヤマト(合成系)、グルーガン(ホットメルト)、瞬間接着剤(シアノアクリレート系)、付箋(粘着剤)など、様々な種類の接着剤を利用しています。

材料と接着剤の歴史

接着剤は、文房具以外でも身の回りで多く使われています。自動車、エレクトロニクス、建築、包装、繊維などあらゆる産業において必要不可欠な材料です。特に合板には大量の接着剤が用いられています。また、自動車や航空機の軽量化やマルチマテリアル化にともなって、高い接着強度と耐久性を持つ構造用接着剤の利用が進んでいます。
例えば自動車では、1台に使われる部品は約3万点におよび、鉄以外にアルミニウムなどの非鉄金属、プラスチック、ガラス、セラミックスなどの多様な材料が用いられ、それらの接合に接着剤が活躍しています。BMW社が製造した「i3」という車は、車体を丸ごとCFRP(炭素繊維強化プラスチック)でつくり、接合にはほぼウレタン系接着剤が使われたことで衝撃を与えました。


なぜくっつくか

このように、重要な役割を担っている接着剤ですが、そもそもなぜ接着剤でものがくっつくのでしょうか。
ものをくっつける接合方法として、接着剤の他にも、ねじ・ボルト・ナット(機械接合)、溶接、はんだ付けなどがあります。機械接合では材料に穴をあけて、小さい範囲で摩擦の力をかけてものを固定しています。溶接では、くっつけたい金属材料を熱して溶かし、冷やし固めて固定しています。はんだ付けでは、はんだと銅基板との合金層で固定します。
一方の接着剤は、液状の接着剤が被着材の上に濡れ広がり、それが固まって固体になることで2つの被着材を固定します。

接着剤の種類は数えきれないほどあり、原材料も使用する場面もそれぞれ異なります。そのため、全ての接着剤に当てはまる説明をするのはとても困難です。しかも、どうして接着が起こるのかという完璧な答えは未だ見つかっていません。現在でも研究されています。

ここでは、これまで考えられてきた機械的結合説と化学的結合説に加え、現時点で最も正解に近いと言われる分子間力説、以上3つの説について紹介します。

機械的結合説(Mechanical Interlocking)
19世紀に生まれた説です。ものの表面にある多数の小さな凹みに、液状の接着剤が入り込んだまま固まり、凹みに入り込んだ接着剤がフックの様にものを固定するという考えです。錨を海底にくい込ませ、船を固定する姿に似ていることから「アンカー(錨)効果」とも呼ばれます。しかし、この説に当てはまるのは表面に多数の凹みがある多孔質材質と、小さな凹みに入り込める接着剤という条件がそろったときです。

化学的結合説
これも19世紀の説で、接着面と接着剤が化学反応を起こしている、という考えです。もし化学反応を起こしていれば、とても強力な接着力を発揮するはずですが、ほとんどの接着剤は常温で化学反応を起こさないことがわかっています。そのため、この説も一部の場合にしか当てはまりません。

分子間力説
20世紀に考えらました。分子同士が引っ張り合う力(分子間力)が接着剤とものを固定する説です。第二次世界大戦後、物理、化学、工学の3方向からの研究が進み、肉眼では見えない原子や分子が接着剤の接着に関わっているのではと注目されたことで考えられました。
原子というのは、物質を構成する基本的な粒子で、半径は約10の-8乗cmです。原子の中心には原子核があり、その周りを電子が回っています。電子の個数は原子によって違い、電子は電気的にマイナスを帯びています。分子の間で働く電気的な引力を分子間力と呼び、水素結合とファンデルワールス力の2種類あります。界面が十分に距離が近づけば分子間力によって材料が接着すると考えられています。


どう剥がれるか

接着剤の研究では、くっつけたものを剥がして、その壊れ方を観察します。

これは材料の試験として一般的な方法です。もっとも古くからある材料試験機は、鉄やコンクリートなどの素材自体に、 どれくらいの強さ・硬さ・弾力性があるのかを、伸ばす・圧縮する・曲げる・ねじる・ぶつける、 といった方法で調べる試験機になります。これを「万能試験機」と呼びます。

アムスラー万能材料試験機(トヨタ産業技術記念館にて)

接着試験では、接着した試験片を万能試験機に固定し、壊れるまで引っ張ることで、そこにかかる力と引っ張った移動量(変位)を測定することができます。
破壊形態は、凝集破壊(Cohesive failure)、界面破壊(Adhesive failure)、被着材破壊(Adherend failure)の3つに分類されます。凝集破壊は接着剤そのものが破壊し、界面破壊は接着剤と被着材の界面で破壊、被着材破壊は被着材そのもので破壊が起こります。実際に剝がして見てみると、単純に界面破壊か凝集破壊のどちらかが起きているわけではありません。両方が起きていることもあるし、剝がしかたによって結果が違うこともあります。

接着した部分を剥がしてどこが壊れるかを確認し、壊れやすい部分がわかれば、より強い接着剤を作るヒントになります。

接着強度の向上には、被着材と接着剤の間の界面相互作用である「接着力」と、接着剤自体の内部のネットワークに起因する「凝集力」を共に強化することが重要です。もし、引張試験で被着材に接着剤が残っている「凝集破壊」が起きた場合、被着材と接着剤との界面での接着力はすでに高い水準に達している一方で、接着剤自体の機械的強度には向上の余地が残されていることがわかります。


水中接着

さて、これまで話してきた接着剤はすべて乾いた状態、空気中で使う接着剤でした。では、水の中での接着「水中接着」はどうなっているでしょうか。

そもそも水中接着は、通常の接着剤では困難です。
例えば、お風呂で絆創膏が剥がれてしまう、指についてしまった瞬間接着剤はお湯で揉むと剥がせる、といった事例は日常でも経験したことがあるでしょう。地上では最強に見える構造接着剤も、水の中では役に立ちません。

これは、水によって接着力と凝集力のどちらもが阻害されるためです。水中では、そもそも被着体表面に水和水が強く結合して、接着剤と被着体の界面相互作用を阻害します。また接着後も、接着剤自体が水に溶け出したり分解されたりします。

その一方で、沿岸土木工事、海洋開発、歯科・外科手術などの分野で、水中で高い接着強度をもち、さらに環境負荷や生体毒性のリスクがない高分子材料が強く求められています。
現在使用されている水中接着剤は主に、モルタル、エポキシ樹脂、エポキシモルタルであり、構造物の基礎であるコンクリートや金属を外環境から守るコーティングや、グラウティングでの利用に留まっています。高強度水中接着剤が開発できれば、海底送配管や洋上発電といった海底や海中に固定されメンテナンスが難しい海洋建造物の補修や水中建設、海水中におけるサンゴ片の移植(岩への接着)、縫わずに貼る手術など、不可能を可能にする技術となるでしょう。

現在使用されている水中接着材料


バイオミメティック水中接着

近年、生物の接着メカニズムから着想を得たバイオミメティック水中接着の研究が進んでいます。湿潤環境かつ高塩濃度下で、様々な材料表面に接着することができる生物の接着メカニズムは、大きく分けて2つの種類があります。
1つは、付着動物(sessile marine animals)から分泌される接着性タンパク質に起因するもので、フジツボ、イガイ(ムール貝)、牡蠣、ホヤ、サンドキャッスルワームなどで見られます。もう1つは、吸盤やトゲといったナノ構造に起因する接着性で、タコ、ヤモリ、カエル、ハエ、クモ、クラウンフィッシュ、コバンザメなどで見られます。

合成接着剤の研究においては、前者のうち、イガイなどで見られる3,4-dihydroxy phenylalanine (DOPA)を多量に含むタンパク質(mfp)を模倣した接着剤の開発が進んでいます。DOPAは、ベンゼン環に水酸基(OH基)が2つ結合したカテコール構造を持ちます。1981年に、イガイ足糸の粘着特性が初めて報告されて以来、カテコールとその類似体を組み込んだポリマー接着剤が研究されてきました。

接着メカニズムはフェノール(ベンゼン環に水酸基が結合した構造)化学によって説明され、水素結合、配位結合、π-π相互作用、カチオン-π相互作用などに起因する接着力、フェノール酸化、キノンカップリング、シッフ塩基・マイケル付加に起因する凝集力によって、水中での強い接着が説明されています。

Mussel Polymers Incより

同じく海洋で岩に固着して生息しているホヤは、3,4,5-trihydroxy phenylalanine (TOPA)と呼ばれる、DOPAよりフェノール性水酸基を1つ多くもつガロール基を含むアミノ酸を、翻訳後修飾によって生合成しています。カテコールを含む接着剤よりも、ガロールを導入した接着剤の方が、水中で高い接着力を示すことがわかっています。

ガロール基を含んだ水中接着剤

DOPAとTOPAの接着性を比較した研究において、ポリマーに含まれるフェノール性水酸基が0個から3個へと増えるに従い、接着強度が向上しました。

ここから、フェノール性水酸基の個数が増えると、水中接着強度が高くなることが予想されます。つまり、フェノール性水酸基を4個および5個もつポリマーは、カテコール(2個)やガロール(3個)よりも高い水中接着強度を示すはずです。

それを調べたのが、次の2022年に出版された論文です。

Ultrastrong underwater adhesion on diverse substrates using non-canonical phenolic groups

  • 海洋生物からヒントを得たバイオミメティクスにより、接着強度10メガパスカルを超える水中接着剤の開発に成功しました。

  • スチレンユニットにフェノール性水酸基を4個および5個持つ高分子を、世界で初めて合成しました。

  • 本接着剤は湿潤環境下でも強い接着力を発揮するため、手術用接着剤などへの応用が期待されます。

ポリマーがフェノール性水酸基を多く持つことで、高い水中接着力を示すようになることがわかってきました。今後この結果を発展させて、より環境に優しく、高い水中接着力を持つ接着剤が開発されるでしょう。また、ポリマー内部での水酸基の分布などに関する研究が進めば、より詳しい水中接着メカニズムもわかってくるかもしれません。

すでに、カテコール基(フェノール性水酸基を2個含む)を利用した製品も開発されています。スタートアップ企業(Mussel Polymers Inc)では、歯科、サンゴ修復、エレクトロニクスなどに応用されているようです。

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