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飯嶌友哉という男について

ということで前回の宣伝通り飯嶌友哉さんについて執筆していきたいと思います。

以前豊福さんの記事を執筆した際に敬称略を使用したのですが、後々自分自身で読み返したら違和感しかなかったので、今回は敬称略はせずに飯嶌さんと執筆します。
ご了承ください。

プロフィール

飯嶌友哉
・鹿児島県出身
・鹿児島実業高校卒
・創価大学4年生 経済学部
・5000m 14’33”
・10000 30’58”
・ハーフ  64’25”
・座右の銘 完全燃焼 

飯嶌さんの経歴について

ということで飯嶌さんの経歴についてご紹介していきたいと思います。

飯嶌さんは鹿児島県出身で中学時代はサッカーをしていたそうです。
トレーニングルームに柔らかいボールがあるのですが、そのボールでのリフティングが物凄く上手なので、すぐに経験者ということが分かりました。
いや別に遊んでいた訳ではありませんよ?バランスを鍛えていたということです。

苦しまみれの言い訳はさておき、高校は駅伝の強豪校の鹿児島実業高校に進学しました。
過去に全国高校駅伝で優勝もしたこともある高校なのでご存知の方も多いかと思います。

高校二、三年生の際には全国高校駅伝を出走し区間は違いましたが、区間15位前後と好走もした実績の持ち主です。

そんな高校の競技人生を終え、創価大学に進学しました。

5000mのベストは昨年の12月に出したタイムです。
私の記憶では怪我明けで全然練習を詰めてない状況の中出走したレースとなりましたが、後半先頭に出て一人で押していき断トツの一位でゴールしていた記憶があります。

10000mはしっかりと聞いたことはありませんが、高校で出したというようなことを聞いたことがある気がします。
高校で10000mをこのタイムで走りぬいたのは凄いですよね。

ハーフに関しては今年の二月に行われた神奈川ハーフマラソンで出したタイムです。
前半から積極的に攻めた走りをして、見事チーム三番手のタイムで走り抜きました。

練習から自信を持って走っていたので、このタイムは妥当なうえ更に出てもおかしくなかったです。

続いてはそんな飯嶌さんの中身をご紹介していきたいと思います。

👆高校時代のユニホーム

飯嶌さんの中身について

1.我らイージマ班の班長 

ということで一つ目は我らイージマ班の班長です。
創価大学駅伝部には縦割り班というグループ分けが存在します。

どういう仕組みかというと、最上級生の四年生がリーダーとなり八つの班が存在し、一つの班につき五、六人程度います。

そしてなんといっても私が飯嶌さんが班長(以下イージマ班)の班員なんですよね。

なぜ私が飯嶌さんの班を選んだかというと、昨年現四年生の中で一番お世話になっていたからです。
もちろん今も当然ながらお世話になっています。

活動内容としては朝の軽い補強トレーニング、その日の目標発表、食事当番、月一の月間MVPの集計などです。
本来はこの活動内容をもう少し落とし込んで記したいのですが、長くなるため割愛させていただきます。 

そしてこのイージマ班は何といっても仲の良さが魅力的です。
いい意味で上下関係があまりなく何でも話せるような関係です。 

そんなイージマ班最大の思い出は、二ヶ月前の飯嶌さんが誕生日だった際の出来事です。

イージマ班は全員で七人います。
そこで私が飯嶌さん以外の六人で誕生日プレゼントを買おうという提案をしました。

一人何円出せるかという話になり、一人あたり1000円なら出しますよという話になっていたのですが、なんと女子マネージャーの大矢さんが3000円出すと言い始め、結局他の五人も周りに煽られ一人あたり3000円出し、結局18000円ほど集まったんですよね。

お陰様でカッコいい普段用のサングラスと可愛らしいキャップを購入することが出来ました。

無事サプライズで渡すことが出来て、飯嶌さんもとても喜んでくれました。

こんな楽しいイージマ班で活動できるのもあと半月程度です。

最後まで楽しみたいと思います。

👆昨年末の5000mの記録会の様子

2.苦しかった三、四年生

二つ目は苦しかった三、四年生です。

飯嶌さんの四年間は決して順風満帆なものではありませんでした。

特に私は飯嶌さんが三年生からしか知らないので、この二年間を主に綴っていきたいと思います。

まず最初に昨年のお話を。
飯嶌さんは昨年、八月の夏合宿に向けて脚作りをして二次合宿から参加しましたが、初日で故障してしまい途中で帰らざる負えない状況になりました。

その際同じタイミングで私も足を故障して一緒に途中で帰寮したのですが、帰り道の車の中は私と飯嶌さんと総監督の瀬上さんの三人でした。

瀬上さんと飯嶌さんが終始二人でお話ししていたのですが、突然飯嶌さんが思いが込みあがって泣き始めたんですよね。

この当時の心境としては、物凄く驚いたのですが今まで知らなかった飯嶌さんの人柄陸上への熱い思いが伝わり、この瞬間から飯嶌さんに惚れ込んだ記憶があります。

しかし、その故障が長引き昨年の出場レースは上記にも綴った年末の5000mのみの出走しか叶いませんでした。

そして今年の最終学年。
今年は二月にハーフや上半期は学内タイムトライアルにも出場し順調に走れていました。

そしてなんといっても圧巻だったのが夏合宿でした。
一次から三次合宿まで一度も離脱せず特に三次合宿に関しては選抜合宿に参加しました。
練習も100%消化しチームの中でもトップ争いまで名乗りを上げてきました。

本当にレースに出場すれば13分台、28分台、62分台は出せる力は備わっていましたが、突然九月にその歯車は狂い始めました。

ずっと故障していた箇所が再発してしまいました。
何度か練習は再開しましたが、完治することはなく箱根出場への希望は絶望へと変わりました。

本当に飯嶌さんのダイナミズムは素晴らしいもので、是非箱根を出走し皆さんに見てもらいたかったのですが、その結末は物凄く惨いものとなってしまいました。

少し長くなってしまい申し訳ありませんが、読んで頂けたら幸いです。

あながもし飯嶌さんの立場だと想像すれば苦しさもご理解できると思います。

👆400mを全力で駆け抜けた一枚。

3.一足先にサポートへ専念

ということで三つ目は一足先にサポートへ専念です。

飯嶌さんは四年生の中で一番最初にチームへのサポート側に回ってもらいました。
内容としては主にマネージャーさんのお手伝いです。
具体的には給水だったりタイム計測、走るフォームを動画で撮影するなどです。

本人としても選手として箱根を走ることを目標にしてきた上でサポートに回るのは複雑な気持ちだったと思います。

しかし、飯嶌さんは一歩踏み出しチームのサポートに回って頂きました。
お陰様でチーム状況としても助かってますし、個人的には走りの具体的なアドバイスも下さるので、本当にありがたい存在ですよね。

最後までチームの一員として戦うことを決意し、腹を括って下さったことに深謝です。

👆可愛らしい写真を一枚。

エピローグ

以上で終えたいと思います。

過去最長の記事になってしまいました。
何と文字数に表すと3200字程度です。
それほど飯嶌さんの魅力を私が伝えたかったということです。
ご了承ください。

最後にあまり性格を綴っていなかったことに気付いたので、性格のみ記し終えたいと思います。

性格は物凄く優しいです。
いつでものんびりしていて、廊下の何にもない所でよくつまずいています。
かなり可愛らしいです。

短所としては少し抜けていることが多いことぐらいですかね。
部屋から永遠にアラームが鳴っていたり、誰もいないのに電気がついていたり、忘れ物も少し多いです。笑

そんな飯嶌さんは一日に一回は必ず女の子が欲しいと嘆いています。
どなたか拾ってください。
よろしくお願いします。 

今回も読んでいただきありがとうございました。
次回鈴木渓太編でお会いしましょう。

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