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Soulful Fiction Novel Number One 『LOVE(Original Mix)』 B-3





ミラーボールの発明者に、心からの心を込めて本作を捧ぐ。



B-3. Funny Kinda Lovin’


 それから実に、カツオは三週間にわたって部屋に閉じこもった。雨に打たれたまま徒歩で帰宅し、シャワーさえ浴びずにベッドに潜り込んだのが原因で風邪をこじらせたのだった。カツオはその間誰とも会わなかった。心配してやってきたタケフミにさえ顔を見せなかった。風邪がよくなってからも外に出ることはなかった。日がな一日布団にくるまりまんじりともせず過ごした。音楽さえ聴かなかった。これまでは何があっても音楽を聴けば全ての問題は一瞬で解決したのに、今のカツオには、どんな名盤も、どんな名曲も、どんな名演も、まったくの無効であった。それらはすべて、ただの音の塊にしか感じられなかった。とにかく何をする気力も起きなかった。毎日二十時間以上眠り、時たま味のしない食物を惰性的に貪り、胸がつぶれるような深い哀しみに苛まれ続けていた。痩せこけた青白い顔は無精髭に覆われ、落ち窪んだ目は完全に光を失っていた。カツオはもはや生ける屍も同然だった。

 そうして八月も終わりに差し掛かった木曜の夜、カツオはベッドからむくりと起き上がると、力ない足取りで“らぶ”へと向かった。取り調べを受けてからというもの、“らぶ”はずっと休業状態になっており、カツオは一度も足を踏み入れていなかった。電気をつけると、カツオは誰もいない店内をじっと眺めた。市松模様の床のタイルを、ウーハーみたいな乾燥機付き洗濯機を、手製のDJブースを、能天気にキラキラ光るミラーボールを、ただ黙って見つめていた。カツオの脳裏には、この夏の思い出が走馬灯のごとく駆け巡っていた。

 かつて、ここで、すべてのことが起きた。音楽とともに。でも、もう何も起こらない。ここで音楽が鳴り響くことはもうないのだ。すべてはもう、終わってしまったのだ。いつのまにか魔法は消え去り、今となってはただ冷たく重苦しい現実だけがそこには横たわっていた。

「っ、うおおおっ、うわあああああああああああっ!!!!!」

 

 カツオは雄叫びをあげると走り出し、そして高く跳び上がった。宙吊りにされているミラーボールを両手で無理やり引き剥がそうとしたのだ。しかし三週間引きこもり続けたカツオの身体は弱り切っていて、その指先はミラーボールに触れることすらかなわず、カツオはそのまま蹴躓いて転び、DJブースへと突っ込んだ。鈍い音とともにベニヤ板を張り合わせただけの粗末なDJブースはばらばらに損壊し、カツオは頭をしとどに打った。そうして瓦礫の山の中でのろのろとカツオが身体を起こしたとき、誰かが店内に入ってくるのが見えた。カツオのかすんだ視界では、それは一瞬、アイの姿にうつったのだった。

「っ、早乙女さんっ!!???」

 

 カツオは思わず声を張り上げた。しかしそれはアイではなかった。見知らぬロン毛の青年だった。派手な柄シャツにニッカボッカ、爆盛りのリーボックのスニーカーをはいたその青年は、キョトンとした目でカツオを見ていた。

「……いや、金子っスけど。あの、大丈夫スか?」

 そう尋ねる青年に、カツオは肩を落として答えた。

「……大丈夫じゃないよ。大丈夫じゃないし、それにいまウチやってないよ。オモテの張り紙見なかった? “都合により暫くお休みさせて頂きます”って書いてあったでしょ」
「あー、いや、見たっスけどー、なんかすげー叫び声が聞こえてきたんで、なんかヤベーこと起きてんじゃないかと思って。したら案の定メチャクチャなことになってるし」
「ああメチャクチャだよ。御覧の有様さ」
「ていうかお兄さん、おでこからメチャクチャ血ぃ出てるっスよ」
「え?」

 指摘を受けてカツオは額をさわった。生暖かい感触が指先をぬるりと包み、目視すると手はベッタリと赤黒い血で覆われていた。青年は緊張感のない声でカツオにいった。

「なんかー、救急車とか呼んだ方がいい系スか?」
「……いい、いい、いらない、いらない。血ぐらい出んだろ、生きてたらよ。わかったらとっとと帰えんな、見せもんじゃねーぞ」

 カツオは血まみれの手を振って青年を追い払おうとしたが、青年は腰に手を当てると店内を眺め回した。

「やー、なんかチラッと聞いたんスけどー、ここ、イヴェントやめたってホントっスか?」
「……ああ、やめた。完全に終了した。いままさにお片づけしてたところだよ」
「うわ、マジ? 超もったいねー。ぜってーやめねーで欲しいわー」
「……え?」

 カツオが思わず目を丸くすると、青年は顎をポリポリ掻きながらいった。

「いや、だってー、こんなウケる場所なくないスか? おれこの辺住んでて、この店ずっと使ってたんスけど、ミラーボールつけてDJブース作ってイヴェント始めたの知ったとき、マジ超爆笑したっスもん。ハッキリ言ってクソイカれでしょ、そんなん」
「クソイカれ……」
「でもー、初めてイヴェント来たとき、オレ普通にめっちゃ感動したんスよ。やべえ、みんな超踊ってるし超楽しそうじゃん! って思ってー。こんなワケわかんなくて超ラヴい空間あるんだって、マジ超衝撃でした。めちゃくちゃ影響受けたっスわ」
「え、影響……?」
「そうっス。おれバンドやってたんスけど最近解散しちゃってー、しかも財布盗まれるわケータイ壊れるわ彼女と別れるわでマジ超最悪だったんスけどー、イヴェント来たときマジめちゃくちゃ元気出たっスもん。どんな世の中でもウケることってちゃんとあるんだな、ウケる人ってちゃんといるんだなって思ったっスもん。オレもウケることしなきゃダメだって、もっと自分からウケていかなきゃダメだって気づかされたんスよ」

 青年は、顔をほころばせながら、愉しそうに語った。カツオの胸がどくん、と高鳴った。しばらく使われず、見向きもされず、ホコリをかぶっていたカツオの中の何かが、音を立てて再起動をはじめていた。

「やー、オレ、ソウルとかファンクとかディスコとかそーゆーの、別にそんなだったんスけどね。ここのイヴェント来るようになってから、結構そっち系聴くようになったんスよ。とくにこの曲とかめちゃめちゃ聴いてるっス、流れてきた瞬間ソッコーシャザムしたっスもん」

 そして青年はスマホを取り出し操作すると、音楽を再生した。それはチェッカーズの『ファニー・カインダ・ラヴィン』であった。チェッカーズといってもあの高杢禎彦を擁する日本のバンドではなく、70年代から80年代にかけて活動していたイギリスのファンク・バンドのほうのチェッカーズである。スマホから流れる、貧弱な音量のその楽曲にカツオは黙って耳を傾けた。それは切実で、リアルで、たまらなくダンサブルで、かつスウィートな、この上なく魂を震わせる音楽だった。そう、人はそれを、“ソウル・ミュージック”と呼ぶ。

「これのギターソロ、マジ超いいっスよね。なんかうまく言えないけどー、オレ、この曲のギターソロみたいに生きていきたいっスわ」

 青年の言葉に、カツオの胸がかあっと熱くなった。血液が沸騰し、皮膚が粟立ち、考えるよりも先に身体が動いた。なすべきことは全て、細胞が記憶していた。カツオはすくっと立ち上がるや否や、ダッシュで店を飛び出し、二階の部屋からハチマキと工具セットを持ってくると、ポカンとしている青年に叫んだ。

「高木ィ!!!!!」


「……いや、金子っスけど」
「折り入って君に頼みがある。DJブースを直すのを手伝ってくれ」

 そしてカツオは、どくどく血を噴き出す額に、ぎゅっとハチマキを巻いた。


            

           ※    ※    ※ 


 翌朝。散らかり放題の四畳半でタケフミが惰眠を貪っていたとき、ふいに枕元のスマホが鳴った。寝ぼけ眼をこすりながらタケフミが電話を取ると、カツオのソウルフルなシャウトが鼓膜をつんざく勢いで響きわたった。

「タケぇええ!!!!!! やんぞ!!!!!!!!!」

 

 タケフミは顔をしかめて一瞬スマホを耳から離したのち、怪訝な声で返答した。

「……ずっと連絡シカトしとったと思ったら何やねん、朝っぱらからイキナリ。“やんぞ”って一体どういうことやねん」
「今週末、ゲリラでイヴェントやんぞ」
「……らぶやん、何言うてるかわかってんの?」
「わかってるよ。わかりまくってるよ。もうおれは、全てのことがわかったんだよ」
「もし次、イヴェントやったら間違いなく実刑つくって言うとったやろ」
「……自分が、誰かに、影響を与えるなんて、思ってもみなかったんだよ」
「はあ?」
「とにかくやる。絶対やる。死刑になるとしてもやる」
「……まぁ、死刑までにはならんと思うけど」
「おれは、ウケることがしたい。ウケることをやり続けたい。フェイドアウト終わりはヤなんだ。しゅるしゅる音が萎んでって、しめっぽく終わるのなんかゴメンだ。もしこれが最後になるとしても、とびっきり派手に終わりたいんだ」
「……本気?」
「ああ本気も本気、リアルにガチでマジの本気だよ。もうどうなっても構わない、落ちぶれるより一夜の王でありたいんだ。おれは、そのためなら地獄に落ちたっていい」

 熱のこもった声でカツオはいった。タケフミは下唇を噛んでしばし逡巡していたが、やがてこっくりとうなずいた。

「……わかった。付きおうたるわ、地獄めぐり」




♪Sound Track : Funny Kinda Lovin' (Demo) / The Chequers



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