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Soulful Fiction Novel Number One 『LOVE(Original Mix)』 A-5




ミラーボールの発明者に、心からの心を込めて本作を捧ぐ。



A-5.Strange Love

 土曜の午後三時十五分。
 “らぶ”の店内にはすでにヴェノムTVのスタッフが詰めており、ストリーミング配信に併せて公開するためのインタビューを撮影している最中であった。DJブースのまえに椅子を置いて座ったその男は、インタビュアーの質問に淡々と答え続けていた。

『“音楽とは、ジャーニーです。音楽は僕らを、いまここではない、いつかのどこかへ連れていってくれる。行き先は人それぞれ違います。ラブソングを聴いて、かつての恋人と別れた深夜のバーへジャーニーする人もいれば、いつか出会うであろう未来の恋人と並んで歩く幸福な並木道にジャーニーする人もいる。でも同時に、僕らは間違いなく、いま、ここにいるんです。つまり、偏在しているんですよ。音楽をかけた瞬間、すべてのことが同時に起きるんです。レコードは、宇宙なんです。一枚ごとに、宇宙なんです”』

 ピンク色の半袖のポロシャツにピンク色のスラックスといういでたちの、まるでカービィを彷彿とさせる肥満体の中年インタビュアーは、ウンウンうなずきながら質問をぶつけた。

『なるほどそうですか〜。いや音楽に対する溢れんばかりの熱意が伝わってきましたよ。ちなみに、最後、イヴェントのキャッチコピーなんかも伺ってもよろしいですか?』

『えーと……

“全員が!
全員で!!
全員を!!!
アゲてくっしょ!!!!
そういうことっしょ!!!!!
それしかないっしょ!!!!!!”


……ですね』


 
 男がそう言うと、インタビュアーはにこにこしながら締めくくった。

『すばらしいですね。はい、というワケで“土曜の夜はディスコに変身!? 巷でウワサのコインランドリー突撃密着独占取材潜入㊙︎大作戦”でした〜』

 そしてカットの声がかかると、インタビュアーは小さく頭を下げて挨拶し、そそくさと忙しそうに去っていった。男は大きく息をついたあと、質問の回答をすべて書き込んだシートを手に、DJブースに立っていたカツオに声をかけた。

「なー、やっぱおかしない?」
 首をひねりながらそう言うタケフミに、カツオはレコードを丁寧に拭きながら答えた。
「何が」
「や、だってオレ主催ちゃうし、DJもせんのに、なんでオレがインタビュー答えるん?」

 タケフミはぼやくように言ったが、カツオは唇を尖らせた。

「しょうがないじゃん。おれ、そういうインタビューとか無理だもん。絶対緊張してふつうにしゃべれなくなるもん」
「にしても、事前にもらった質問に全部答え書き込んだヤツを、わざわざオレが読み上げんのは絶対おかしいやろ」
「いいじゃん。一応後ろのほうにちゃんと映ってるし。むしろ寡黙な仕事人って感じでカッコいいだろ」
「カッコええかなぁ……」タケフミは首をひねった。「ていうかアレやで、さっきからそのレコードずっっっっと拭いとるで
「え?」
 タケフミの指摘を受けて、カツオは初めてそれに気づいた。カツオは三十分にわたって、延々と、山田邦子の“つっぱりハイティーン・ガール 〜ちょっとそこ行くお兄さん〜”の7インチをひたすら拭いていたのである。しかも別に今日かけるつもりもないのに。
「めちゃめちゃ緊張してるやん。オファーの話したときは自信満々やったくせに」
「し、仕方ないだろ。だって、ヴェノムTVって観てる人、超多いんだろ」
「ああ、さっきミーティングのときちらっと聞いたけど、同時接続アヴェレージで1万超えるらしいで」
「ヤバいじゃん。1万とか、もう、じゃん。おれ、1万人から視線浴びたことないよ」
「世間のだいたいの人はそうやろ。だから胸張りいや。そんだけスゴイことやってるってコトなんやから」
「んー、スゴイこと、かぁ……」
 タケフミは発破をかけたつもりだったが、カツオは目を伏せて黙りこくってしまった。カツオは目立ちたがり屋のくせにアガリ症なところがあり、カメラやマイクを向けられたりなどするとそれを異常に意識してしまって、途端に挙動不審になるのが常だった。高校の文化祭の演劇では、『やあ、おはよう、今日もいい天気だね』というたった一言のセリフがうまく言えず、『や、や、やあ、お、お、お、お、おはよう、きょ、きょっ、きょ、今日も、いいいいいいいい天気だね(ブッ』などとカマしてしまう始末であった。ちなみに最後の『(ブッ』は緊張のあまり肛門をついて出た屁である。カツオは不安と緊張でいっぱいだった。果たしてうまくDJできるのか。アイは観に来てくれるだろうか。カツオの頭の中はもうそればっかりが、ぐるぐると渦巻いていた。


 

 土曜の午後六時五十分。
 イヴェント開始十分前に差し掛かった“らぶ”の店内は、たくさんの人が詰め掛けていた。軽く数えても五十人はいた。今まではどれだけたくさん入ってもせいぜい二十人を超えるか超えないかというところだった、それがいとも簡単に倍以上に跳ね上がったのである。告知してからわずか三日しか経っていないというのに。まったくメディアの力というのはすごいものである。

 カツオは楽屋代わりの自室でひとり正座し、階下の喧騒に耳をそばだてながら、ソワソワと落ち着かずにいた。カツオは必死に自分に言い聞かせていた。できる。いける。大丈夫。ヘーキのヘーザ。へっちゃらへっちゃら。エブリシン・ゴナ・ビー・オーライ。しかしそうしたポジティヴワードを繰り返せば繰り返すほど、カツオの緊張はますます激しくなるのだった。そうしてカツオが真っ青な顔でブツブツつぶやいていると、勢いよく扉を開けてタケフミが顔を出した。

「らぶやん、出番やで」
 カツオは驚きのあまりその場に跳び上がった。
「ウォオオイびっくりしたぁあ! ノックしろよノック! エチケットだろエチケット!」
「なんや、まだ緊張してるんか。そんなんでイケんのかいなホンマ」
「いけるいける。全然いける。余裕。超余裕。マジで超余裕だから」
「全然余裕感じられへんけど。声、震えてるで」
「ちげーよ震わせてんだよ、ビブラートの練習してんだよ」
 そうしてあくまで強気を装うカツオにタケフミは溜息をついた。カツオはゆっくり立ち上がると、扉のまえでぴたっと立ち止まり、ぼそりとタケフミに言った。
「あのさ、早乙女さん……車椅子の女の子、来てる?」
 タケフミは肩をすくめたのち静かに首を振った。
「……そっか」
 そうしてカツオが視線を落とすと、タケフミは舌打ちしたのち、カツオの尻を叩いた。
「来てようが来てまいがブチかますしかないやろ。音楽はジャーニーなんやろ? ジャーニーさせえや、思いっきり」
「……任せろ」
 カツオはこの日のために急遽購入した白のスーツに黒いディスコ・シャツといういでたちで、グッと親指を立てたのだった。

 自動ドアから店内に入ると、むせかえるような熱気がカツオの顔面を直撃した。それと同時に、すべての客が一斉にカツオのほうを見て、歓声を上げた。“フロアが沸く”というのはこういうことかとカツオは思った。たくさんの人々が屈託のない笑みを浮かべて、キラキラした目でこちらを見つめていた。その光景は、カツオを怖気付かせるに十分だった。フラッシュが焚かれ、指笛が舞い飛ぶ人いきれの中を、カツオは歩き出した。なるべく緊張を気取られるまいとゆっくり歩いたが、手と足が同時に出ていた。

 そうして人波をかき分け、やっとこさDJブースの中へと入ると、カツオは改めて店内を見回した。

 たくさんの人がいた。

 本当にたくさんの人がいた。

 けれど、そこに、アイの姿はなかった。

 カツオはチクリと胸が痛むのを感じた。もし、アイがいてくれたら。運動会の日に好きな子のまえで張り切る男子小学生のように、未知なるパゥワを発揮できたのに。カツオはDJ卓に両手を置くとうつむいた。心臓は変拍子を打ち、指は自分の意思と無関係に震えていた。血液が逆流し、後頭部がじんじん痺れていた。“マジでやんの?”という心の声がこだましていた。やるしかねえんだよ。ドゥー・イット・カツオ。カツオはぱっと顔を上げて、回っているカメラをチラ見してから喋り出した。

「ど、ど、どうもっ、ほ、本日はっ、『らぶ』に御来店いららきっ、まころにっ、誠にありがとうございますっ。ピース!!」


 
 カツオが高々とピースサインを掲げると、店内で拍手と歓声が巻き起こった。しかしそのピースフルなムードとは裏腹に、カツオは混乱をきわめていた。

「……さ、サタデーナイトはだいフィーバーっ、恋路はいつもリアスしり、そこのけそこのけれんしゃがろおる、わりゃがらんくれえっせりあ! こ、こ、こんばんもソウル・ミュージックのおりらんがギャフベロハギャベバブジョハバ」

 

 パニック状態のカツオはもう“噛む”とか通り越して、言葉のミンチを発した。それでもオーディエンスはそういうギャグなのだと思って笑っていた。その中でただひとり、壁にもたれて腕組みしながら見ていたタケフミだけが、苦々しい顔で頭をボリボリ掻いた。

 顔を真っ赤にしたカツオはレコードバッグからを抜き取るとそれをターンテーブルに載せ、針を落とした。そしてカツオはLEDライト付き片耳式ヘッドホンを頭と肩にはさみ、音をチェックしながらツマミを操作しようとしたが、ヘッドホンがすっぽ抜けて床に落ちた。カツオはそれを拾おうとしたが、ヴォリューム・レベルのツマミに指を引っ掛けてしまい、耳をつんざくような割れ割れの爆音が“らぶ”に鳴り響いた。観客は顔をしかめながら耳を抑えた。カツオは慌ててヴォリュームを元に戻し、平静を装ってもう片方のターンテーブルに次の盤をセットしようとしたが、手がすべってレコードを明後日の方向へ飛ばした。突如舞い降りてきたレコードをキャッチした水色ジャージのおじさんは、不安げな顔でそれをカツオに差し戻した。

 カツオは恐縮しながらそれを受け取るとふと辺りを見回した。

 ……先ほどあんなに盛り上がっていたはずのフロアは白けムードが漂っていた。カツオは自分が情けなかった。惨めでたまらなかった。おれは、結局、ただのデクノボーなのか。そしてカツオが下唇をぎゅっと噛んだ、まさにそのときである。


 自動ドアが開き、ひとりの客が、店内へと入ってくるのが見えた。その客の姿を見た瞬間、カツオは息が止まるかと思った。

「……早乙女さん」

 そこにはアイがいた。“ティーンジェネレイト”のTシャツを着て、黒いダメージジーンズをはいたアイは、店内の混雑ぶりを驚いたように眺め回すと、車椅子を漕ぎながら、ゆっくり、ゆっくり中へと進んでいった。そしてちょうどミラーボールの真下で止まると、アイはカツオをじっと見つめた。ふたりの視線がぶつかった。瞬間、カツオの思考回路はショートを起こし、目の奥で火花が飛んだ。そうして脳下垂体からは大量のβエンドルフィンが分泌され、カツオは全身に力がみなぎってくるのを感じた。

 カツオはもんどり打って転がるようにDJブースへ舞い戻ると、もう片方のターンテーブルにレコードを載せた。そしてスーツのポケットからハチマキを取り出すと、それを額にぎゅっと巻いた。そのハチマキには日の丸……ではなく、銀色のミラーボールが染め抜かれていた。そうしてカツオはレコードに針を落とすと、自分の両頬を何度も掌で叩いて気合を入れた。カツオは両手でツマミを握ると腰を落としてガニ股になり、ゆ〜〜〜〜っくりとツマミを回して曲を繋いだ。

 そうしてスピーカーからじゅわっと滲み出してきたのは、KINGSの『ストレンジ・ラヴ』であった。カツオの顔面はさながらチョーキングをしているときのジミヘンのようだった、つまりイキ顔をしていた。ざらついたハイハットとスネアに合わせ、カツオはイキ顔のまま顎を小刻みに揺らした。その揺れはやがて肩、腰、膝、つま先へと伝播し、やがてカツオは恍惚とした顔で踊り始めた。

 観客は唐突なカツオの覚醒に一瞬戸惑ったが、すぐにワッと歓声をアゲた。カツオはそれに答えるように、イコライザーでLOWをアゲた。フロアの熱気は途端に急上昇した。

 カツオはジャケットを脱ぐと、それを放り投げた。そしてディスコ・シャツも全部ボタンを外してしまうと、やっぱりそれも放り投げた。スラックス、革靴も脱いで放り投げ、ついにパンイチになったカツオは激しく腰を振りながら踊った。カツオの胸には、愛のグルーヴが吹き荒れていた。伝えたいことは死ぬほどあったが、どれも言葉にできなかった。だからカツオは踊った。カツオは全身をハチャメチャに動かしながら、愛のバイブスを放出した。

「OH,YEAH〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!!!」


 カツオはそう叫ぶと同時にDJブースから飛び出した。フロアでひときわ大きい歓声が上がった。タケフミは両手を叩いて爆笑していた。アイも車椅子の上で身体をよじらせ爆笑していた。カツオはますますヒートアップして踊り狂った。モニターをチェックしていたヴェノムTVのADが、隣のディレクターに声をかけた。

「やべっす。同接数、バキバキ上がってます」

 ディレクターがモニターを覗き込むと、画面の左下に表示された同時接続数をしめすカウンターがぐんぐん回っていた。右側のコメント欄などはまるで濁流のごときスピードで上から下へダダ流れ、投げ銭もハンパない額が飛び交い出していた。ディレクターは目ん玉を引ん剝いて唸った。

「おい、おい、おいおいおいおい、マジかよ、おい」
「やべっす。マジやべっす。俺こんなの見たことないっす」
「そ、そんな、まさか、信じられん……どんどん上がっていく……じゅ、18万?」

 そして、奇跡は起きた。アクセス過多によって配信が落ちたのである。ディレクターは『ジーザス』とつぶやき、ADは『やべっす』と言った。

 そんな状況に陥っているとは露知らず、カツオは踊り狂った。汗を飛び散らし、バキバキに瞳孔を開かせ、忘我の境地で踊りまくりまくっていた。そしてついにカツオはトランクスすら脱ぎ捨て、両手を高々と掲げた。

『イイーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!』


 店全体がビリビリ震えるような爆笑が湧き上がった。アイも、タケフミも、ヴェノムTVのスタッフも、水色ジャージのおじさんも、涙を流さんばかりに笑っていた。カツオは妖精のごとき足取りでDJブースに戻ると、締まりのない笑みを口元に浮かべながら次のレコードをセットした。

「つーぎ、つーぎ、つーぎ、つーぎ」

 そしてカツオは片耳式ヘッドホンを頭と肩に挟み、末端部のLEDライトを点灯させると、その赤い光をたよりにツマミを微調整した。それから腕を広げ、フェーダーを動かしながら次のレコードのアタマを合わせると、カツオは素早くヘッドホンを素早く外した。そして両手でミキサーのツマミを握ると、ゆ〜〜〜〜っくりとツマミを回して曲を繋いだ。

「あ゛あ゛あ゛〜〜〜、すげい〜〜〜〜〜〜……!!」

 カツオは完全なイキ顔で、ツマミを両手で握ったまま上半身を回転させながら、ゆっくりゆっくりと膝から崩れ落ちていった。記者会見レベルの勢いでフラッシュが焚かれ、もうほとんど地鳴りのような雄叫びが店内にこだました。みんな笑っていた。みんな踊っていた。みんな胸の中央で何かが疼くのを感じていた。そう、それこそ、

LOVE


である。ああパーティーの夜は更けて、かくして“らぶ”の初配信は大成功に終わったのであった。

 

 

 土曜の午後十一時十二分。
 コインランドリーにはカツオとアイの二人きりしかいなかった。
 イヴェントが終わったあと、ヴェノムTVのスタッフたちはカツオを取り囲み、口々に囃し立てた。ディレクターなぞは感極まったのかポロポロ涙を流しながらカツオの手を取り、『すばらしかった。本当に、すばらしかった』と繰り返した。常連も、初めて来たお客さんも皆『最高だった』とカツオに言い、そうして一人、また一人と去っていった。タケフミも『しっかりかませや〜』と意味深な言葉を残して早々に帰った。そしてぽつんと残されたふたりは瓶ビールを飲みながら、他愛もないおしゃべりを交わしていた。

 カツオはその会話を楽しみながらもしかし、ある言葉をアイに告げようと決めていた。そして虎視眈々と、その言葉を投げかけるグッド・タイミングを見計らっていた。

「……あ、もうこんな時間かぁ」


 アイが腕時計を見ながらぽつりと言ったとき、カツオは今だ。と思った。


「いやー………………ウチ来る?


 カツオは“ジャストなタイミングでイットをドゥーした”と信じきっていたが、アイは苦笑したのち、目を細めて答えた。
「……急にぶっこんできたねえ〜。もうちょっとさ、前振りとかあるでしょ」
「いや、その、ちがくて。全然変な意味じゃない、マジで変な意味じゃない。ずっとここにいんのもさ、ホラ、アレじゃん。だからさ、ちょっと場所変えてさ、ゆっくり話そうってだけだよ。それだけ。マジでそれだけ」
「え〜……」
「あ、それにさ、いまウチにめっちゃ美味しい大福あるし」
「いくら何でも誘い文句ほかにあるでしょ」
「あ、あと“AKIRA”全巻あるよ。それに最近、ごっつのDVD-BOXも買ったし。あと、あとね……」
 必死に食い下がるカツオの顔を見て、アイはぷっと吹き出したあと、目を伏せたままぼそりと言った。
「……もういいよ、わかった。行く」
「え?」
 カツオが聞き返すと、アイはゆっくり顔を上げ、カツオの目を見つめながらはにかむように言った。
「だからさ、キミの部屋、行ってもいいって言ってんの」

 そういったアイの瞳はわずかに潤んでいた。カツオは思わずツバを飲み込んだ。
 




♪Sound Track : Strange Love / KINGS


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