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山塚りきまるの『なんかメロウなやつ聴きたい』第八十回 これから「ジョン・ライドン」の話をしよう(前編)


ジョン・ライドン。またの名をジョニー・ロットン

ミュージシャンはよく『あの時代はカッコよかった』とか『あのアルバムまではマジで最強だった』とか言われたりしますが、このひとほど、いわゆる“黄金期”が短く、そして濃厚だった人物は珍しいと思います。

19歳でセックス・ピストルズのヴォーカルとして加入、21歳でセックス・ピストルズ唯一のアルバム『勝手にしやがれ!』をリリースし脱退(バンドは実質上の解散)、22歳でパブリック・イメージ・リミテッドを結成し、『パブリック・イメージ』をリリース、23歳で『メタル・ボックス』をリリース、25歳で『フラワーズ・オブ・ロマンス』をリリース。

ここまでが、彼のいわゆる黄金期であり、全盛時代です。19歳から音楽を始め、それからわずか5年のうちに、彼は音楽史における革命をいくつも起こしたのです。まさに驚異的としか言いようがありません。これ以降の活動がイマイチ評価されていないのは、この5年間の軌跡があまりに凄すぎるからでしょう(1982年頃から急激に太り始め、ファッションリーダーとして知られていたにも関わらずヘンな服を着出し、ある種アイドル的だった端正なルックスが崩れてしまったのもあると思いますが)。

なにせ20代のうちから『あいつは終わった』とか『もう死んだ』とか『老害』とか言われていたのです。いくら若いうちが華のミュージシャン稼業といえど、20代のうちからそんなことを言われるミュージシャンがほかにいるでしょうか、いやいない(反語)。

しかし、あの5年間の活動によって、彼はパンクのプリンス、ニュー・ウェイヴの反逆児として永遠にその名を残すでしょうし、音楽のみならず、ファッションにおいても永遠のアイコンであり続けるでしょう。歌も下手で、楽器も出来ず、衣服にも興味がない(自称。絶対ウソ)人間がこのような功績を成し得た理由は、彼が音楽知識が豊富なアイデアマンだったということと、圧倒的なカリスマを持っていたということの二点に尽きると思います。

あくまで僕の個人的な定義に過ぎませんが、天才とカリスマは違います。天才は身体性に基づいていて、何かの能力が突出している人間です。カリスマとは現象学に基づいていて、ある種のテーマを大衆にプレゼンし、アジテートできる人間です。

その定義に基づいて言うなら、ゴッホは天才ではあってもカリスマではなかったろうし(生前の話です。カリスマは株価のように変動を起こします)、ヒットラーは天才とは言えずともカリスマであったのでしょう(これも生前の話です。僕はナチスドイツの差別行為や虐殺を憎むものです)。もちろんまれにその両方を持ち合わせている人もいます。aikoやジョン・レノンがその例でしょう。

そういう意味合いにおいて、ジョン・ライドンはカリスマの持ち主でした。それも甲子園で毎年登場する『10年にひとりの逸材』のようなものではなく、並外れた、多くの人々の人生を変え、おそらくその死後も強い影響力を持ち続けるであろう、カリスマの中のカリスマです。


というワケで、山塚りきまるの『なんかメロウなやつ聴きたい』第八十回は“これから「ジョン・ライドン」の話をしよう”と題して、この世紀のカリスマが駆け抜けた鮮烈極まりない5年間についてお話ししていこうと思います。ただ、あんまりにも書きたいことがありすぎるんで、前後編に分けてお届けさせていただきます。みんな、ついてきてね!

とまれ、まずそもそもジョン・ライドンのご尊顔をご存じない。という御仁もいらっしゃるでしょう。こちらの画像をご覧ください。


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この人です。この人がジョン・ライドンです。

かっけーーーーー。

この髪の毛を逆立てるヘアスタイルは彼が始めたと言われており(諸説あります。個人的には同時多発的に起こったのだと思う)、なんと70年代の初頭にはこのスタイルだったそうです。このヘアスタイルは彼のトレードマークとなるのですが、他のパンクス諸氏と違って彼は若干毛髪が長めで、かつ猫っ毛のため、逆立てても独特のエアリー感、無造作感が溢れ出ており、非常に現代性があります。おしゃれです。

ヘアスタイルのみならず、彼はそのファッションにおいても独自のセンスを発揮しています。


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まずこれ。色とアイテムの組み合わせが挑発的すぎます。重ね付けしたネクタイにブルーのジャケット、グリーンのスラックスに紫のラバーソールなんていう組み合わせ、普通の人間は絶対しません。ピンバッジやソックス、タバコといった小物もアクセントが利いています。


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これは1978年にジャマイカで撮られた写真ですね。確か撮ったのデニス・モリスじゃなかったかなぁ? 

ボブ・マーリーとかピストルズ撮ってた伝説のカメラマンですね。このときジョンはもうピストルズ辞めてて、ヴァージン・レコーズの新人発掘部門みたいなとこで働いてたんですよね。

当時、世はまさに大レゲエブームが来てたんで、多分良いシンガーとかバンドを探しに、あと慰安旅行も兼ねて、あとマリファナを吸いに(笑)、ジャマイカに来たんだと思います。

その頃のパンクスってレゲエも合わせて聴いてたんですけど、その中でもジョン・ライドンって筋金入りのレゲエオタク&オーディオ・マニアとして知られてたんで、こういう仕事もらえたんだと思います。職権乱用とかじゃないと思いますよ、多分(笑)。

この世でババアしか被ることが原則として許されていない伝説のアイテム・サンバイザーをいとも簡単に、ファッショナブルに被りこなしています。それにミリタリー・シャツとネイビーの綿パン、モカシンを合わせるという色彩感覚に脱帽。


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チェックonチェックはジョンがよくやる着こなしなんですが、本当によく似合いますね。ネクタイも締めたら締めっぱなしで、裏側のループを留めないのがジョン・ライドン流です。

このスーツ、パブリック・イメージ・リミテッドの初期によく着てたんですけどカッコいいよなー。チェック・スーツってともすればギャグっぽい感じになっちゃうんだけど、ジョンが着ると不思議なインテリジェンスが醸成されますね。それにハンターみたいな男臭いボアコート羽織ってるのも良すぎ。


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この赤いコート、TV収録とかで着てるんですけど、足首のちょっと上ぐらいまでの丈のロングコートなのね。素材も毛足が長くてちょっと独特だし。身幅も含めて全体的にボリュームあるコートなんですが、キャメル色のチェックのスーツの上にこれ羽織ったりしててね、凄まじくカッコいいです。これ着こなせる人、男性ではなっかなかいないと思います。


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たぶんセックス・ピストルズの活動初期ですね。初期とか言っても2年足らずしか活動してないワケですが(笑)。

ダルダルの薄汚れたモヘアニットのセーターをダメージジーンズの上にバッと着ただけ。ピストルズの最初のライヴを観たモリッシーは『ベッドから這い出てきてそのままステージに上がったような格好だった』というレポートを書いているのですが、まさにそんな感じの服装ですね。それでこれだけカッコいいという。やめたくなりますよ人間。ポージングもキュート。


まあまあ、こうやって写真貼っていくだけでね、ウットリしてしまうのでこのへんで止めておきますが、ジョン・ライドンというのはこんなルックスだったんですよ。

今はこんなんですけどね。


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どうした!!!!!!????????


完全にカービィじゃん!!!!!!!!!!!!!!

いかん、若い頃のカッコいい写真をもう一回見て気を鎮めなくては!!!


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かっけーーー。

鳥山明のマンガに出てきそう。

これビール瓶持ってグラスでビール飲んでる写真なんですけど、グラスに注いで飲んでたとしても、それぞれ違うビールだったとしても面白いですね。センスあるなーー。


まあまあ、髪型にも服装にもアイデアがある人だったんです。服装にアイデアがある人っているよね。おしゃれとはまたちょっと違うの。アイデアがある人。他の人は絶対選ばないようなアイテムで、他の人が絶対思いつかないような組み合わせをする、独特の美意識がある人。

そうですな、たとえば人身売買のオークションがあったとしたらおしゃれな人は100万円からスタートですが、服装にアイデアがある人は1億円スタートですね。そのぐらい価値とレアリティーに差がある。


さて、ジョン・ライドンのルックスの魅力は語り散らかしたので、今度はその音楽的功績について語っていこうと思います。

まずセックス・ピストルズからですね。

世界一有名で、世界一偉大で、世界一カッコいい伝説のパンク・バンドです。

ロック・ギタリストの永遠の王者がジミヘンであるように、ジャズ・サックス・プレイヤーの永遠の王者がチャーリー・パーカーであるように、パンク・バンドの永遠の王者はセックス・ピストルズです。

木更津キャッツアイのぶっさんの言葉を借りるなら、『アルバム一枚出して解散したんだ。だから誰も超えられねーんだ』です。

アルバム一枚きりで解散したバンドなんて山ほどありますが、たった一枚きりで、文字通り世界を変え、歴史に名を残したバンドというのは後にも先にもセックス・ピストルズだけでしょう。

さてこれからセックス・ピストルズの話をしますが、文献によって記述が大きく異なり、本人たちの証言ですら時代によって変わるバンドですので(まぁ、当たり前なんだけど)、そうですなぁ、エンサイクロペディアを読むぐらいの気持ちで読んで頂ければ幸いです。


セックス・ピストルズはもともとヴィヴィアン・ウェストウッドマルコム・マクラーレンがやっていた『SEX』という名のブティックに、窃盗で生計を立てていたスティーブ・ジョーンズポール・クックが服を盗みに来たところから始まりました。観察眼の鋭いマルコムはそれにすぐ気がつきましたが、警察に突き出したりはせず、彼らにこう言いました。

『お前らオレの元でバンドをやれ』。

スティーブもポールもこの勧誘には大賛成でした。なぜならスティーブは、デヴィッド・ボウイのバック・バンドの機材を大量に盗んできており、高価なギターやアンプやドラムセットなどを持っていて、いつか二人でバンドをやろうと話していたところだったからです。

そしてマルコム立会いのもと、スティーブとポールは、グレン・マトロックという青年と合流させられました。

グレンは『SEX』の店員で、眉毛こそ太かったものの、楽器が出来、作曲もするというので、引き合わされたのでした。

こうしてセックス・ピストルズの前身バンド・ストランドが出来上がりました。そして強烈なヴォーカリストが必要だということになり、オーディションで選ばれたのがジョン・ライドンでした。ジョンは後年、なぜピストルズに加入したのかと聞かれて、こう振り返っています。

『俺の人生で一度ぐらい、そんな冗談があってもいいと思ったんだ』。

ジョンは中学を退学処分になるレヴェルの不良でしたが、チャーミングな人情家でもあり、小学校の先生みたいなこともやったりしていたので、意外と真面目な人です。というか真面目じゃないとあんな音楽できない。

ピストルズが初めて、“練習しようや! どこどこのパブに何時に集合ね!” ということになり、当日現場に現れたのはジョンだけだったという逸話も残っているぐらいです。ジョンは一番嫌いだったグレンに電話をかけて『お前なんかハンマーでぶっ殺してやる!』とわめいたそうです。

まぁそんなこんなでいつの間にかストランドは『セックス・ピストルズ』に改名され、ピストルズはついに初ライヴを敢行することになります。それは1976年6月4日、マンチェスターで行われました。観客は42人(いろんな文献で“たったの”って表現されるけど、アマチュア・バンドの初ライヴの客が42人ってかなり上等だよね実際)。

そして、その42人は全員何か新しいことを始めたといいます。ザ・スミスのモリッシー、バズコックスのピート・シェリー、ジョイ・ディヴィジョンのイアン・カーティスなどもこの場にいましたが、彼らはピストルズのライヴに触発されて即バンドを始めました。

ピストルズはあれよあれよと快進撃を続け、その年の11月にはデヴュー・シングル『アナーキー・イン・ザ・UK』を出します。攻撃的で反社会的なその歌詞は良くも悪くも大反響を呼びましたが、クイーンの代打で出た初のTV出演では『ファック』を連発、契約打ち切りになります。そしてほぼ全曲を作っていたベーシストのグレンが、ジョンと仲悪すぎワロタだったため脱退します。

契約打ち切り、音楽的キーマンの喪失という手痛い仕打ちを受けるものの、しかしそこでめげない我らがピストルズ、後任ベーシストにジョンの親友であったシド・ヴィシャスを迎え入れます。

後年ジョンは、なぜシドを加入させたのか? と聞かれて『バンド内での自分の発言力を高めたかった。あいつは俺の親友だから』と答えています。実際ジョンとシドはとても仲良しで、音楽の話とかでよく盛り上がってたみたいです。

シドはそのパブリック・イメージとは裏腹にトラウト・ロックとかも好きだったらしくて、CANキャプテン・ビーフハートをジョン・ライドンに教えたのがシドと言われています。

CANやキャプテン・ビーフハートは、ジョンがピストルズ脱退後に組んだバンド、パブリック・イメージ・リミテッドにも非常に強い影響を与えているバンドです。ジョンはパブリック・イメージ・リミテッド結成当初、シドをベーシストとして勧誘していたそうですから、ホントに仲良かったんだろうし、技術とかじゃなくて、音楽的なセンスもリスペクトしてたんじゃないかと思います。

でもシド、CANとかビーフハートのこと、ギャグ漫画読む感覚で、『何これウケる』とか思って聴いてたんじゃねえかって邪推もありますな。まあまあまあ、のちに永遠のパンク・アイコンとなるベーシストを手に入れたピストルズは新しいレコード会社と契約を結び、『ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン』をリリースしようとします。しようとしたんですが、右翼の反発を恐れたレコード会社が発売を中止、またもや契約打ち切りとなりました。しかしこの騒動によってバンドは多額の違約金を得ました。



ロック史上最も完璧なMV。これを超えるものはない。

ピストルズは音源とかより映像から入った方がカッコよさが体感しやすいかと思います。

僕初めてピストルズ聴いたの中2のときだったんだけど、どれだけ過激な音楽が飛び出してくるんだろう! ってドキドキしながらスピーカーの前で体育座りしてたら、なんか普通に遅くてしょぼいロックが流れてきて『ぴえん…』ってなった思い出がありますね。

たぶん当時の僕はハードコア・パンクみたいなのを期待してたんだと思う。

しかもそのピストルズ、すごい選曲良くないマニア向けのやつだったから尚更なんだよね。まあまあ、中学生にとってCDアルバムっていうのは贅沢品で、当時の僕の経済事情だと一ヶ月に2枚買うのがやっとでしたから、『失敗した!』って認めたくなくて、毎日学校から帰ってくるたびに爆音で聴いてた。

『全然よくねー』って思いながら聴いてた。

声出してかなきゃ負けだと思ったから『超かっけーーー!!!』とか叫んでた。

これをカッコいいと思える自分になろうと、ひたすら己への洗脳を試みた。この一連の行為を僕は『修行』と呼んでいる。

で、ひたすらみっちり毎日聴き続けたある日、『……ん? これ、いいかも……!?』という気持ちがふつふつ湧いてきた。そしてそれはやがて確信に変わった。

『掴んだ! ついに掴んだぞ!』という感じだった。

俺はあの日からセックス・ピストルズをカッコいいと思える人間になったんです。

だからあとでMVとかライヴ映像観たときは、カッコよすぎて失神しましたね。冗談抜きで。選曲悪い編集盤でもカッコいいと思えるところまで開発してたんだもん。

あのね、自分がカッコいいと思ってる人がカッコいいと言ってるものをカッコいいと思える人間になりたくて、必死に背伸びして映画観たり音楽聴いたりする『修行』は、端的に言って『感性の開発・拡張』です。まぁアナルと同じです。広げれば広げただけいろんなもん突っ込めるし、感度上がっていけばいろんなもんが気持ちよく感じられるんです。

好きになると決めて好きになるという決意が、いつかあなたにとんでもない景色を見せてくれます。

『修行』は精神的に充実してる若いうちにやっとくべきですぞ。

さて話が盛大にスリップしましたが、ジョンが猫背なのは7歳のときに患った髄膜炎の影響です(これにより彼は一度全ての記憶を失っています)。睨みつけるような目線も髄膜炎の影響で、そうしないと焦点が合わないからです。

しかしこの病気の後遺症が、“ふてぶてしい”と評された特異なヴォーカル・スタイルを形作るのだから世の中はわかりません。

我々は嫌なことがあると落ち込みます、失敗したなって思います。ですがそれはいま見える範囲で下された判定であって、長い目で見たら成功かもしれないんです。

リスは秋のうちに木の実をたくさん集めていろんなところに埋めておくけれど、その場所全てを覚えているワケじゃないんです。そしてリスの物忘れによって、世界中で年間数万本の木が生まれているんです。

リスの『失敗』が地球に緑をもたらしている。

『失敗』なんか存在しない、まやかしです。

またしても話がスリップしましたが(笑)、ジョン・ライドンのヴォーカルの魅力は、その歌い方にあると思います。歌が上手いとか、声が良いとかじゃないんです。歌い方が凄いんです。

甲本ヒロトが初めてジョニー・ロットンを観たとき『ヴォーカルっつうのはこういう風に歌うんだぜ! って言っているように見えた』と言っています。そのぐらい強烈で、鮮烈だったんです。過激な歌詞を歌う、訛りのきつい、吐き捨てるようなヴォーカルは大人の眉を潜めさせるには十分でしたし、子供は大人がキライなものが大好きです。

ピストルズは最終的にヴァージン・レコードと契約し(この社長の経歴クソ面白いんでぜひ検索してみてください)、エリザベス女王在位25周年祝典の日、テムズ川に船を浮かべて船上ゲリラ・ライヴを行い、『ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン』を演奏し、無事逮捕されました。

これによってジョンは右翼に襲われて、左掌をナイフで貫かれたらしい。

だから一生ギターが弾けないんだってー。

へー。

ホントか?

しかしながらこのプロモーションによって、『ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン』は一週間で20万枚を売り上げる大ヒット、チャート一位を記録します。記録しますが『こんな不敬な曲を一位にするワケにはいかない』ということで、本来二位だったロッド・スチュワートの曲が一位になります。こんな事件後にも先にもねえ。

そういえばじゃがたらがオリコン0位取ったっていう話昔聞いたことあんだけどどういうこと? 知ってる人教えてください。

しっかし、スキャンダルで売れるっていうのも凄い時代ですなぁ。今だと炎上・回収・存在抹消だもんね。怖い世の中ですよー。




ちなみにこの船上ゲリラ・ライヴは映像が残っています。レゲエ流れてるあたりが当時のパンクスって感じですねー。


そしてついに1977年10月、セックス・ピストルズは待望のファースト・アルバム、『勝手にしやがれ!』をリリースします。このアルバムについてもいろんなエピソードとか珍説があるんだけど全て割愛します。もしくは割礼します。憧れはお前の胸の中を流れてゆくんだよ!!! あっ、サイケデリックロックバンドの割礼の方だったんだ、ふーん。



アルバムの一曲目。かっちょいー。

『あいつらイン・ザ・シティをパクりやがった』ってポール・ウェラーが言ってたけど、別にパクリとかそういうレヴェルのリフでもなくない?

でも作曲者のスティーヴ・ジョーンズは『ジャムからパクった』って言ってた気がする。

パクリって何?

まあまあまあ、リリースされたアルバムは世界各国で大ヒット。そして1978年、ピストルズはアルバムを引っさげてついにアメリカツアーを敢行しますが、ツアーの途中でジョン・ライドンが脱退します。

もともとピストルズの音楽にそんなに興味がなく、ロックが好きだったワケでもなかったジョンは、自分のコピーみたいな服装をした観客が何か事件を求めてやってくることに心底嫌気が差していたのでしょう。右翼には襲われるし。メンバーも全員仲悪くなってたらしいし。シドはヘロイン中毒だったらしいし。最悪だね。

ライヴの最後で、ジョンはあのロック史上に残る名台詞『騙された気分はどうだい? 全てはまやかしなのさ!』と言い放ち、ステージを後にし、脱退しました。あとのツアーは全部キャンセル。脱退会見においても『ロックは死んだ』という名言を残しています。




シドが作ったとされている唯一の楽曲。ヴォーカルのテキトー&発狂具合が最高にクール。


さて、セックス・ピストルズを脱退したジョンが最初にやったこととは?


伝説のニュー・ウェイヴ・バンド、パブリック・イメージ・リミテッドは何が凄かったのか?


なぜ彼は太ってしまったのか?


唯一の主演映画『コップキラー』ってどんな映画なの?


そうした話題は全て、“これから「ジョン・ライドン」の話をしよう(後編)”へ回すこととします。お楽しみに。


というワケでいかがでしたでしょうか、山塚りきまるの『なんかメロウなやつ聴きたい』第八十回 これから「ジョン・ライドン」の話をしよう(前編)、そろそろお別れのお時間となりました。後編もよろしくお願いします。



愛してるぜベイベーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!




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