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Soulful Fiction Novel Number One 『LOVE(Original Mix)』 B-1




ミラーボールの発明者に、心からの心を込めて本作を捧ぐ。




B-1.Love,Love,Love

「……だいじょうぶー? 重くない?」
「超余裕、全然軽い。春雨持ってるんじゃないかと思うもん」
「春雨て」
「あ、ちょ、ちょい笑うのストップ。笑ったら振動来る」

 カツオはアイを抱きかかえながら、二階へと続く階段を登っていた。レコードより重いものを持ったことのないカツオにとって、それはなかなかの苦労であったのだが、そんなことはどうでもよかった。全く問題ではなかった。なんせ、自分の両腕の中に好きな人がいるのである。何なら甘い香水のいい匂いまでさせているのである。カツオは細心の注意を払う一方で、舞い上がるほどのよろこびに打ち震えていた。そしてカツオはようやく階段をのぼりきると、扉を足で開け、6畳半の和室のベッドにアイを降ろした。アイはベッドの真ん中にちょこんと座り、部屋をキョロキョロ見回した。


「ふーん。めっちゃモノあるけど、散らかってはないねえ」
「き、キレイ好きだからね」
 昨晩、カツオが入念に掃除をしていたのはもちろん言うまでもない。そしてカツオは照れ臭そうに鼻をこすりながら、ベッドに座るアイをチラチラ盗み見た。天井からぶら下がる裸電球の光を浴びて、アイのオレンジ色の髪は、まるでもえるように輝いていた。むき出しの腕は白くほっそりしていたけれど、弾力に満ちた生気を発散させていた。そして黒々とした大きな瞳はすずしく澄み切っていて、まるで闇夜の星のようだった。

 ——やべえ、早乙女さんが、いま、おれの部屋にいる。

 カツオは眼前の現実が信じられなかった。女の子が自分の部屋にいる。それもめちゃくちゃ可愛くて、めちゃくちゃ大好きな女の子が。カツオはまるで縫いとめられてしまったかのようにその場に立ち尽くした。カツオは、アイのすべてに“すばらしい”と言いたかった。理由を語ることなどもはや陳腐に思えた。湧き上がる感情を言葉へ置き換える作業になんの価値があるだろーか。言葉はいつも不的確だ。その結果として我々は同語反復へとたどりつく。すばらしいものは、すばらしいのである。わたしはあなたを愛しているから、わたしはあなたを愛する。言語活動の果てに、恋は、その最後の語をまるで傷ついたレコードのようにくり返すほかない。そうしてカツオがただじっとアイを見つめていると、アイは戸惑ったような、はにかむような、優しい笑みを浮かべて言った。

「……なに見てんのさ?」

 カツオはそこでようやく我に返った。

「いや、見てない、見てない、全然見てないよ」
「いま見てたじゃん。わたしの顔、ずーっと」
「いや見てないよ。考え事してた」
「ふーん。何考えてたの?」
さるかに合戦ってあんじゃん、あれに牛糞出てくんじゃん。次のイヴェントの衣装、あれの牛糞のコスプレしようかなって考えてた」
「そんなこと考えてたの?」
「ああ、今日ずっと考えてた」
「やばいね、今日ずっと考えてたんだ。他にもっと考えることあるでしょ、絶対」


 アイはケラケラ笑った。カツオもつられて愛想笑いを浮かべたが、笑い声が次第にしゅるしゅるしぼむと、気まずいような、くすぐったいような沈黙が部屋を包んだ。カツオはその場の空気を断ち切るかのように、両手を叩いて不自然に明るい声でいった。

「あ、そ、そうだ、音楽、何か音楽かけよう。どんなの聴きたい?」
「なんでもいいよ、いまのキミのテンションで」
「オッケイ! テンション焼きね(?)」

 そしてカツオは部屋の一角を埋め尽くすエサ箱のまえにしゃがみこむと、大量のレコードをすごいスピードでチェックした。

スティーヴィー・ワンダー、違う。リロイ・ハトソン、違う。ジェフリー・ストーナー、これも違う。マーヴィン・ゲイ、ベタすぎ。ヘヴン・セント&エクスタシー、大好き、でも違う。スウィート・ロマンティック&セクシー・ジョイ、バンド名最高、でも違う。マット・コヴィントン、違う、でも惜しい。カーター&シャネル、違う。リー・ロバーツ、違う。メル・カバン、違う。テディ&ナンシー、違う。スウィッチ、マーサ・ハイ、ウィリアム・ソルター、ジェシ・モーガン、レイ&ヒス・コート、佐藤博、オリバー、エルジンズ、マンハッタンズ、アルフォンゾ、マンフレッド・フェスト、アル・グリーン、プラス、オーラ、ウェンデル・ハリスン、グロスター・ウィリアムズ、ジェノビア・ビーター、ウィザード・オブ・オズ、ピラニア軍団、クリエイティヴ・ソース、ボラ・ロコヴィック、マルシア・マリア、ダロンド、24カラット・ブラック、SOD、今井裕、ビリー・ウッテン、バーバラス、ボブ&ジーン、ブラザーズ・バイ・チョイス、イングラム、ソフトーンズ、ディー・ディー・ブリッジウォーター、マリリン・スコット、プロジェクト・ソウル、ヤングラヴ、ヤーズ・マカレ、トミー・マックジー、コリンズ・アンド・コリンズ、パトリース・ラッシェン、ジョン・エドワーズ、藤井洋平、マッキー・フェアリー・バンド、イージー&アイザック、バーバラ・ジーン・イングリッシュ、ジェイ・P・モーガン、ボリス・ガードナー、小坂忠、ステップ・バイ・ステップ、ダイナミック・シューペリアス、シュガー・ビリー、メリー・クレイトン、ブッダズ・ナルシィーシィー、オガッサ、ソウル・チルドレン、ハイ・フィディリティ、アーサー・アレクサンダー、ラルフィ・ペイガン、ジェフ・ハリントン、ロナルド・レセーダ、ニューヨーク・コミュニティ・コーラル、新田一郎、ビリー・オーシャン、メリッサ・マンチェスター、タリカ・ブルー、ジャック・アシュフォード、スーザン・カドガン、Rupa、セリ・ビー、ピーチズ&ハープ、コンポスト、ジェシー・ヘンダーソン、ラヴ・カンパニー、エミリオ・サンチアゴ、カール・アンダーソン、ダイアナ・テル、黒住憲五、ラトゥール、バーバラ・メイソン、レイ・パーカー・Jr、ロニー・リストン・スミス、エクスタシー・パッション&ペイン、バカラ、ピーボ・ブライソン、ボニーM、カレン・カーペンター、ルー・ボンド、ザ・コネクション・フォー、ドン・コヴェイ、杏里、ライトニン・ロッド、プリモ・キム、ウィスパーズ、シリータ、ルビー・ウィンターズ、ファースト・チョイス、ファクツ・オブ・ライフ、ヴァレリー・シンプソン、スリー・チアーズ・アンド・ザ・コングラチュレイションズ、ウク・クーツ、ドワイト・サイクス、米米CLUB、ギャップ・バンド、レイラ・ピニェイロ、ソニア・サントス、チョコレート・ミルク、パーフェクト・タッチ、シュガーヒル・ギャング、ヘヴン&アース、ナナ・カイミ、バタ・ドラム、二名敦子、ダニー・チャン、シャラマー、愛川欽也、フロー&エディー、ブラック・ルネッサンス……。

 熟考の末、カツオはついに“これだ”という一枚を選び出すと、そこから盤を抜き取り、ターンテーブルに載せて針を落とした。期待感溢れるイントロ、それにウネウネうねるクラヴィネットが絡み、やがて甘いファルセット・ボイスが響きだした。J.R.ベイリーの1974年の名盤『ジャスト・ミー・アンド・ユー』である。しかし音楽が鳴りだしてなお、カツオは一向に落ちつく気配はなかった。カツオは所在無さげに頭を掻くと、思い出したように言った。

「あ、そーだ。大福。きょう、ヴェノムTVのひとから大福もらったんだよ、ちょっと待ってて」

 そしてカツオは部屋を飛び出し階段を駆け下りると、ダッシュで冷蔵庫から大福を取り出して戻ってきた。大福が入った箱を片手に持ったカツオは、明らかに肩でゼエゼエ息をついていた。

「ハア、ハア。い、いやぁ、ッハア、ハア、この大福、なんか、ハア、め、めっちゃうまいらしいから。なんか、めっちゃ人気のお店のやつで……ッゲホ、ゴホッ、ゴホッ!!」
「だいじょぶ?」
 呆れたように尋ねるアイに対し、カツオは腕を振りながら答えた。
「大丈夫大丈夫。それであの、めっちゃ人気のお店のやつで、なんか一時間とかで売り切れんだって、絶対うまいよこれ、マジ絶対うまいと思う」

 そしてカツオは大福片手に歩き出したが、ゴミ箱に足を引っ掛け、転んだ。

「アウチ!!」

 カツオは畳の上に倒れ、ゴミ箱の中身が散乱した。丸めたティッシュやらマンガの帯やら破いたシュリンクやらが『ゴバアッ』と容赦なく広がる。カツオは顔を歪ませながら、誰だこんなとこにゴミ箱置いたやつは、と思った。もちろんカツオ本人であった。“明らかに掃除した感”を払拭するため、昨晩掃除したときもあえてゴミ箱の中身はそのままにしておいたのが仇となった。カツオが慌ててゴミを拾い集めながら言った。

「あっ、お、おっ、おっ、やべえ。ごめんごめん。ごめんごめんごめん」
 カツオは乱雑な手つきでゴミを突っ込むと、ベッドに座るアイを振り返った。
「あっ、そうだ、お茶いる? お茶。やっぱお茶いるよね、大福には。ちょっとお湯沸かしてくるから、待ってて」
「……いいから」
「え?」
 カツオが目を丸くしていると、アイは自分の隣をぽんぽん叩いた。
「もう、何もしなくていいから。何も、いらないから。ここ座って」
「いや、でも……大福食うなら、やっぱお茶はさ」
「いいから」


 アイは撫でるような視線を向けて、そうして有無を言わさぬ力強さで、ぴしゃりと言った。カツオは戸惑いながら、恐る恐るアイの隣に座った。だがカツオの背筋は不自然なまでにピンと伸びており、明らかに落ち着いていないそぶりだった。アイはため息混じりに言った。

「ねえ、おちついてよー」
「いや全然落ち着いてるよ。めちゃくちゃ落ち着いてるよ。超落ち着いてるよ」
「おちついてるひとは、“おちついてる”って三回も言わない。ほら、深呼吸して」
 アイに促されるまま、カツオは目を閉じ深呼吸した。
「三回ね」
 カツオはだまって深呼吸を三回繰り返した。そうしてカツオがゆっくり目を開き、隣を見やると、アイが静かな声でたずねた。
「……おちついた?」
 カツオは放心したような表情でこくこくうなずいた。
「あ、ウン、おちついた……」
 アイはため息をつくと、髪をかき上げながら言った。
「……キミさぁ、女の子と付き合ったこと、ないでしょ」
「いやあるよ。全然あるよ。超あるよ」
「本当は?」
「ないです」
「今なんでウソついたの?」
「いや、だって、恥ずかしいじゃん」
「なにが?」
「おれ26だよ。なのに女の子と付き合ったことないとかさ、そんなん恥ずかしいじゃん」
「バレバレのウソつく方がよっぽど恥ずかしいよ。それに、そういう経験なくたって別にいいじゃん。わたしだって男の子と付き合ったことないよ」
 アイの言葉に、カツオは思わず食らいついた。
「え、マジで?」
「まじで。だからさ、しっかりしてよ。キミがそんな感じだと、こっちまで緊張してくるじゃん」
「え、緊張してるの?」
「緊張してるよ。緊張してるに決まってるじゃないか」
「え、あ、うん……ご、ゴメン……」

 ふたたび、ふたりのあいだを沈黙が流れた。カツオは唇を一文字に結んで足をぶらぶらさせていたが、アイは大きな瞳をまたたかせながら、まわるレコードをただじっと見つめていた。しばらくしてから、アイがふいに口を開いた。
「……これ、誰?」
「J.R.ベイリーだよ。知ってる?」
 アイは無言でふるふる首を振った。
「もともとキャデラックスってグループにいたソウルシンガーでさ、これが初のソロアルバムなんだよね。まぁ二枚しか出してないんだけど。ちなみにいま流れてる曲は“ラヴ・ラヴ・ラヴ”って曲でさ、ダニー・ハザウェイがカヴァーして有名になったんだよね、個人的にはこっちの方が好きだね」
 アイは目を細めると、小首をかしげて低い声でいった。
「……キミはさぁ、好きなことをしゃべるとき本当に早口になるね」
「え、あ、マジ?」
「うん、気をつけなよ。まあ、わたしはおもしろいから好きだけど」
 “好き”といわれて、カツオはどぎまぎしながら答えた。
「すっ……あっ……じゃ、じゃあっ、早口、やめない。一生早口でいる。好きなことをしゃべるときは、ぜってー、早口で言う」
「何その決意? ふふ、キミは、ホントにおかしなひとだね」
 アイは薄い肩を揺らしてくつくつと笑った。ほんのりとピンクに色づくその横顔が、カツオはなんだかとても愛おしかった。カツオはシーツの上でかさかさと指先を動かすと、そっと、アイの手に触れた。アイは急に顔色を変えるとカツオを見た。
「……なにー?」
「え、いや、あの、その……手、繋いでもいい?」
「……いちいち聞くの?」
「いや、こういうのは、やっぱ、その、ちゃんと許可得た方がいいかなって……」
「だったら指でちょんちょん触ってくんのダサいよ。手、握りたいんならさ、こうやってがばって握りなよ」


 そうしてアイがカツオの手をぎゅっと握った。カツオは驚きのあまり言葉を失い、ただだまってアイを見つめた。アイはこれまで見たことのない顔をしていた。物怖じしているような、でも何かを期待しているような、頼りなくて、優しい表情。カツオはアイのオレンジ色の髪を見た。長いまつ毛の向こうの大きな瞳を見た。小さくてかたちのいい鼻を見た。わずかに震える桃色の唇を見た。やがて、アイは、静かに目を閉じた。カツオはゴクンとツバを飲み込んだ。心臓はもう肋骨を突き破って今にも飛び出してきそうなぐらい波打っていた。カツオは肚を決めると、ゆっくり、ゆっくりとアイの唇へと迫っていった……

 ……しかし、なにかがカツオを押しとどめた。

 カツオが目を開くと、胸のあたりに、アイの真っ白な手が添えられていた。カツオがアイの顔を見ると、アイは、夕暮れのような薄暗さを顔一面に広げて、ふるえる声で言った。

「……ごめん。やっぱ、ダメだ」


 そしてアイは握っていた手をぱっと離してうつむいた。何が起きているのかわからずカツオは困惑した。


「え、だ、ダメ?」
「ほんと、ごめん、なんかさ……こわくて」
「こ、こわい? おれ、こわい?」
「ううん、キミがどうとかじゃなくってさ……わたしさ、こういうの、怖いんだよね、昔っから」
 カツオが何も言えず、エサをねだる金魚のごとく口をパクパクさせていると、アイは寂しげな声で続けた。
「なんか、ごめんね、変なきもちにさせて」
「あ、ああ、いや、うん、だいじょぶだいじょぶ」
「……あのさ、やっぱ、帰るね」
「え」
「悪いけど、下までまた、運んでもらっても、いいかな」
「い、いいけど、でも、もう、終電ないよ」
「……おねがい……」


 悲痛ささえ滲んだその声に、カツオは困惑しながらもうなずくしかなかった。そしてカツオはアイを担ぎ上げると、ふたたび階段を降りていった。そのあいだ、カツオもアイも一言も口をきかなかった。カツオは何かとてつもない失敗を冒してしまったのだという罪悪感でいっぱいだった。そうしてアイを車椅子に乗せると、挨拶もそこそこにアイはふいっと行ってしまった。住宅街の濃紺の闇の中にアイが消えてしまうと、カツオは両手で顔を覆い、天を仰いだ。ついさっきまでは幸せの絶頂にいたというのに、気がつくとカツオは寂しい人になっていた。後悔と罪悪感に苛まれながらとぼとぼ部屋へと戻ると、いつのまにかレコードは終わり、針は上がっていた。スウィートなラヴ・ソングはとっくに途絶えていた。




♪Sound Track : Love,Love,Love / J.R.Bailey







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