Soulful Fiction Novel Number One 『LOVE(Original Mix)』 A-3
ミラーボールの発明者に、心からの心を込めて本作を捧ぐ。
A-3.I Am Still In Love
それからカツオとタケフミは宣伝活動に勤しみ、イヴェントを開きつづけた。宣伝の効果が現れたのか回を追うごとにお客さんは少しずつ増え、六月の終わりにはなんと十数人ほどの客が訪れるようになっていた。カツオも徐々にDJスキルを伸ばし、多忙きわめる宣伝活動の合間を縫って音楽を聴きまくっては選曲していた。カツオはとても充実した日々を送っていた。しかしこれまで感じたことのない満足感を味わいながらも、カツオの頭にちらつくのは、あの女の子のことだった。客足はしだいに伸びていたけれど、あの子が顔を見せることはなかった。カツオは毎週末、DJブースからフロアを眺め回してはひっそり溜息をついていた。カツオの想いは募るいっぽうだった。
そして七月のよく晴れた月曜日、フライヤーを貼らせてもらうために、カツオがあちこち自転車で走り回っていたときである。ふと、一軒のレコード屋がカツオの目に入った。そば屋と帽子屋のあいだに挟まれたその店は小ぢんまりとしていて、うっかりしていると見過ごしそうなぐらいだった。こんなところにレコ屋があったのか、と思いつつ、せっかくだからフライヤーを貼らせてもらおうとカツオは自転車を停めて、店のまえまで行ってみた。
アルミサッシの扉の上には『構造と力』と書かれた看板がくっついていて、“変わった名前だな。ていうかそれってまんまファンク・ミュージックのことじゃん”と思いながらもカツオはフライヤー片手に店内へ入っていった。広さにして十二、三畳ほどのその店は、左右に三段式レコードラック、中央にエサ箱、奥がカウンターという配置になっており、壁面には高価なオリジナル盤やら珍しいカラーヴァイナルやら小柳ゆきのダブミックスやらが飾ってあった。カツオは店内をキョロキョロ眺めながら通路を歩き、そしてカウンターの奥で本を読んでいる、黒髪ロングに丸メガネの地味なワンピースを着た女性店員に声をかけた。
「あの、すいません。ここにフライヤー、貼らせてもらえませんか」
「ふらいやー?」
そうして女性店員がパッと顔を上げた瞬間、カツオは驚きのあまり腰が砕けそうになった。その女性店員が、あの車椅子の女の子だったからである。
「えっ、あっ、おぅえぇええっっ!?」
カツオは言葉にならぬ呻き声をあげた。まさか、まさかこんなところで会うなんて。これはもしや運命なのではなかろーか。しかしなぜ黒髪ロングになっているのか。めっちゃかわいいからいいけど。それになぜそんな少女趣味的なワンピースに身を包んでいるのか。めっちゃかわいいからいいけど。ていうかこないだメガネかけてなかったじゃん。めっちゃかわいいからいいけど。あらゆる種類の鮮烈な驚きが全身にびりびり響いて、カツオはただ混乱するばかりであった。しかし女の子は丸メガネの奥で目をキョトンとさせて、首をかしげながらカツオにいった。
「……あのー、どうかしましたー?」
どうやら女の子は、カツオの顔など忘れているようだった。その無垢な瞳を見つめながら、カツオは内心ちょっとがっかりしていた。いや、めちゃくちゃがっかりしていた。カツオはいつになったら会えるのかと一日千秋の想いだったというのに、女の子にとってはカツオの存在など日常の中の取るに足らないヒトコマにすぎなかったのである。その事実はカツオを大いに落胆させ、そして悩ませた。いったい何と言えばいいのだろう。何から伝えればいいのかわからないまま時は流れて。浮かんでは消えてゆく、ありふれた言葉だけ(by 小田和正)。
そうしてカツオがエサをねだる金魚のごとく口をパクパクさせていると、女の子が『うん?』と言って身を乗り出し、カツオの顔をじっと見つめた。
「ん、あれ? どっかで会ったこと、ありますっけ?」
しかし完全に気が動転していたカツオは、完全にどうかしている言葉を口走った。
「あ、あ、会ったどころじゃないよ、おれ、君のブラジャーを持ってるんだぜ」
一瞬の静寂ののち、女の子は眉をひそめると怪訝な顔で言った。
「……は?」
女の子の声はきわめて冷ややかだった。あらゆる順序をブッ飛ばしてとんでもない発言をしてしまったことに気づいたカツオは、しどろもどろになりながら慌てて説明した。
「いや、ちがくて。これ変な意味じゃないんですよ、全然変な意味じゃないんですよ、ほら、こないだ、あなた、うちのコインランドリー来たでしょ。来たんですよ。確かに来ました。ほらあの、K市の、“らぶ”ってトコですよ。で、そのときに、あなた忘れたんですよ。洗濯機の中にブラジャーを忘れていったんですよ。ね、おブラの方をね。黒いレースのヤツね。おれはね、それをずっと預かっているんですよ。預かり続けているんですよ。あ、もちろん個人的にってことじゃないですよ、あくまでお店でってことですからね、オーケー?(ここまで4.1秒)」
カツオはブレーキの壊れたダンプカーのごとき勢いで、いや、逆噴射状態のバキュームカーのごとき勢いで一気にまくし立てた。そこでようやくカツオは我に返ったが時すでに遅し、女の子の顔は『無』であった。ふたりの間を沈黙が流れた。それは時間にしてせいぜい三秒ぐらいだったが、カツオには十六年ぐらいに感じた。これが特殊相対性理論である。カツオがもういっそこの場で舌を噛み切って自決してしまおうか、と考えていたとき、女の子が目を伏せ、そして薄い肩を揺らして笑い始めた。
「っ、ふふ、あははははっ、きゃははははははっ!! そうだ、そうだ、わかった、わかった、思い出したよ」
カツオは一体何がウケているのか分からなかったが、とりあえず女の子が笑ってくれたことにホッと胸を撫で下ろし、曖昧な笑みを浮かべて追随した。
「あ、ああ……よかった、お、思い出してくれて」
「あのヘンなコインランドリーでDJやってたひとでしょ。キミはほんとにやばいひとだね」
「あー、うん、よく言われる、“早い”って」
「早い早い。早すぎ。キミほど早いひと、会ったコトないもん。えーっと、あれ、名前聞いたっけ?」
「カツオ。羅武カツオ。羅は“森羅万象”の羅で、武は“武器”の武って書く」
「それって、本名?」
「そう。イケてるでしょ」
「うん。めちゃめちゃいけてる」
そして女の子はにっこり笑った。薄い桃色の唇がわずかにめくれ上がり、そこから八重歯がのぞいていた。八重歯フェチのカツオは『ウワッ、可愛い』と思いながら黙ってそれを見つめた。
「そっかー。わたし、下着忘れてたのかー。はずかしいなー……」
「いや、いやいやっ、まぁ、間違いは誰にでもあるからねっ、ドンマイドンマイ、ここからここから(?)」
「今度、取りに行くね」
「あ、いや、アレだったら全然持ってくるし、ここに」
「いや持ってこなくていいよ。それはさすがに御免こうむるよ」
「あっ、そか。ウン、オッケー、了解」
カツオがせわしなく頭を掻きながら答えると、女の子はまたぞろ笑った。
「あはは、やばー。めっちゃおもしろいね、キミ」
「お……おー。おー。よかった。ウケたなら、何より」
「ふふ、キミみたいなおもしろいヒト、初めて会ったよ」
頬杖をつき、空気に頭をもたせかけるようにわずかに首をかしげて女の子がそう言ったとき、カツオの脳内で天啓ともいえる閃きが走った。
——え、なにこれ? ひょっとして、おれ、今モテてる?
カツオは愚かにもそう思った。だが仕方のないことなのである、カツオはこれまでの26年間、ほとんど女性と接することなく生きてきた。つまり女性に対する免疫がないのだ。ちょっとでも好意的と思われる反応をされると、すぐに舞い上がってしまう。まして片思いしている女の子に、“キミみたいなおもしろいヒト、初めて会ったよ”なんて言われた日にゃ、浮かれるあまり無限調子こきモードに突入してしまう。なんとも愚かで哀しい生き物である。かくして無限調子こきモードに入ったカツオは、急にイケてる感じでカウンターにもたれかかった。
「ウン、まぁね、中学の卒業文集の“おもしろい人ランキング”で3位になったこともあるしね」
「すごい、わたし、“早く死にそうな人ランキング”で2位だったよ」
「そっちは1位を獲った」
「すごーい。カリスマ性抜群だねー」
「まぁね。こう見えて結構地元じゃさ、“顔”みたいなとこ、あったからね」
「やばー。あとでサインもらおうかなー」
「はっは、いやいや、サインなんてそんな。サインなんてするような身分じゃないよ。サインなんておこがましいよ。あっしゃ、しがない縮緬問屋の三右衛門でござい」
「やっばー! それめっちゃやばいねー! もっかいやって」
「あっしゃ、しがない縮緬問屋の三右衛門でござい」
「やっばー! やばすぎる! 意味わかんなー! 超意味わかんなー!」
女の子はカウンターを両手でばたばた叩きながら、愉しそうに笑った。胸のあたりで揺れる綺麗な黒髪を見て、カツオは思い出したように尋ねた。
「そういえば、なんでまえと髪型違うの?」
「あ、これ?」
女の子は髪を撫でると、両手で頭部を持ち上げた。つややかなロングヘアがカパッと外れて、その下からあのオレンジ髪が姿を見せた。
「ウィッグだよ。ほんとはめんどくさいからヤなんだけどさ、暑いし」
「何でウィッグしてんの?」
「店長命令。さすがに見た目がイカつすぎて、お客さんが怖がっちゃうからって。だから服もこーんな地味なの着てんの。ダッサいメガネまでしてさ」
そういって女の子は再びウィッグをかぶり、そそくさと髪を整えた。
「ピアスも隠せって言われてるのさ」
ばちばちにピアスの空いた両耳が隠れる寸前の、その一瞬をカツオは見逃さなかった。清楚な、ともすれば垢抜けないような服装をした黒髪ロングでメガネをかけた女の子が、両耳にばちばちにピアスを開けているそのさまは、じつにカツオの琴線に触れた。カツオは胸をときめかせながら女の子に言った。
「いや、でも、に、似合うと思うよ」
「こんなの似合ってもうれしくないよー。お客さんにはウケいいけどねー」
「え、な、ナンパとか、される?」
「されないよー。うち、ご年配のお客さんがほとんどだしー。まぁ、たまにコーヒーおごってもらったりするけどね」
「そ、そう。え、アレ、か、彼氏とか、いたりする系?」
カツオがきわめて平静を装いながらそう尋ねると、女の子はカウンターの上に猫のように伸び、上目遣いでカツオを見上げた。
「……なんでそんなこと聞くの?」
「え」
「キミに関係ないじゃん、べつにさ」
女の子は頭をゆらゆら揺らしながらカツオの様子を眺めていた。そのくりくりとした無垢な瞳からは真意は感じ取れなかった。カツオは何と答えたらいいものか、考えあぐねた。カツオの脳裏に三択が浮かんだ。
A.ごめんね、プライベートに立ち入っちゃって
B.実は、ずっとキミのことが気になってたんだ
C.関係あんだよ!!!!!!!!! と大声で叫んだあと強引にキス
まず、Cはありえない。めちゃくちゃ熱い世界観ではあるが、明らかにもうそういう時代ではない。となるとAかB、このどちらかとなる。カツオのバイブス的には断然Bだった。明らかにBだった。この胸にほとばしるLOVEをほんのひとさじだけでも伝えたかった。カツオは唾を飲み込むと、思い切って口を開いた。
「……実は」
「じつは?」
「実は……実は、ずっと……」
「ずっと?」
「……ずっと、ずっと気になってたんだけど…………えっ、なに、B’zってレコード出してんの!?」
そしてカツオはカウンターの上にあるB’zの13thアルバム『BIG MACHINE』のLPを指し示した。女の子は平然と答えた。
「うん、デビュー30周年記念でさ、ちょっと前に全アルバムがヴァイナル化したんだよ」
「うわヤッバ! 知らなかった! やばいね! 超欲しい!」
「わたし、20枚全部買ったよ」
「マジで!? ヤバいね! 超いいね! いやB’zってマジでヤバいよね!」
「うん、B’zはまじでやばいよ」
「そっかぁー! うわー! いいなぁー! いいなぁー! やべー! いや羨ましいわー! めっちゃ羨ましいわー! 超羨ましいわー! そっかぁー! へー! そうなんだぁー……へえー……」
カツオの声とテンションは徐々にデクレッシェンドし、最終的にカツオは“笑わない子供”といった趣で力なく佇んでいた。カツオは無力感に苛まれていた。“B”の選択肢を遂行する勇気が出ず、強引に話題をB’zへとそらした自分が情けなくて仕方なかった。拒絶されるのが、怖くて怖くてたまらなかったのだ。
「……じゃ、あの、ぼく、帰ります」
カツオがフライヤーを抱えたまま踵を返すと、女の子が言った。
「わ、急だねえ。いくら何でも急すぎない? さすがに情緒不安定すぎない?」
「いや、その、あんま長話してたら悪いし……」
「フライヤーはいいのー? それ置きに来たんじゃないの?」
「あ、じゃあ、ハイ。あの、これ、お願いします」
カツオがカウンターにドサリとフライヤーを置くと、女の子はそこから一枚取ってしげしげと眺めた。
「わ、かわいい。いいデザインだねー」
「た、タケフミって友達に作ってもらったんだ。いま、ふたりでイヴェントやってて、結構、お客さんも増えてきたんだ」
「へえー。サイコーだねー」
「よかったらま、また来てよ」
「んー。おっけー」
「お、お待ちしております。じゃ、じゃあ、また」
「うん。またねー」
伝えたいことは本当は山ほどあったが、“またね”と言ってしまった以上、去るよりほかはなかった。そうしてカツオが女の子に背を向け、とぼとぼと歩き出したときだった。どこからか野太い男性の声が響きわたってきた。
『——よお、このまま帰っていいのか?』
突如として聞こえてきた謎の声に、カツオはキョロキョロ辺りを見回した。しかし声はすれども姿は見えず、店内にはカツオの他に人影はなかった。カツオが困惑しているとふたたび声がした。
『ここだよ、こ・こ』
そしてカツオは、壁に飾ってあった一枚のレコードに目を止めた。
『……あっ、ジェイソン・ハリデー先輩!』
何ということだろう、90年代英R&Bシーンの伝説的プロデューサー、ジェイソン・ハリデーがレコジャケ越しに語りかけてきたのである。ジェイソン・ハリデーは胸元に手を置き、諭すような口調で言った。
『このまま黙って去るつもりか? 彼女になにか、言いたいこと、あるんだろ?』
『……いや、でも、僕、もう無理ですよお……』
『何が無理なんだ?』
『僕……やっぱり勇気が足りないんです。I LOVE YOUが、言えないんです』
『バカヤロウ!!』
ジェイソン・ハリデーのソウルフルなシャウトが炸裂した。驚きのあまりカツオの肩が跳ねた。
『ひっ!』
『臆病になってどうする! いいか、この世を動かしているのは愛だぞ!』
『あ、愛……』
カツオがボーゼンとしていると、ジェイソン・ハリデーは人差し指を振りながら釘を刺すように言った。
『いいか、愛を伝えることを恥ずかしがったり、怖がったりしちゃダメだ。自分の心に従え。心の底から思った、本当のことだけをするんだ。湧き上がる欲求、それに忠実に。そして常にユーモアを忘れずに』
『……でも……』
カツオが視線を落とすと、ジェイソン・ハリデーは溜息をついて言った。
『チッ、ったく、しょうがねえな。おい、このレコードをかけろ』
『え?』
『ああ、このレコードだ。ジェイソン・ハリデー作、タイトル“ジェイソン・ハリデー”。このレコードをカウンターの試聴機で流してもらえ。おっと、B面の最後の曲だぞ』
『な、なんでっすか?』
『その曲が流れた瞬間、愛が、お前を掴む。そしたらもうゲームはこっちのものだ。お前はただ、愛に身を委ねればいい』
『……ウッス。じゃ、あの、失礼します』
ワケもわからぬままカツオは頷き、うやうやしい手つきでそのレコードを取った。ジェイソン・ハリデーがカツオの顔を指差しながら念押しした。
『いいか、B面の最後の曲だぞ。ちなみにウェイン・マーシャルっていう俺のダチ公が歌ってる。なかなか才能のあるヤツでな、俺が初めてウェインに出会ったのは……』
先輩の話を無視してレコードを小脇に抱えると、カツオはカウンターまで歩いていった。女の子はカツオの顔を見ながら首をかしげた。
「うん? どーかした?」
「あの、このレコード、試聴したいんだけど」
「……イイケド」
女の子は訝しげな視線をカツオに向けながらも、そのレコードを受け取った。
「B面の最後の曲ね」
「はいはい」
そして女の子はレコード盤を取り出すと、それを試聴用プレイヤーの上に乗せて針を落とした。短いチリプツのノイズののち、ウィンドチャイムの音色が鳴り響き、悩ましげなヴォーカルがそれに追随した。そうして店内に、90年代のR&B特有の、過剰なほどにメロウでロマンチックなラヴ・バラードが流れ出した。カツオは目を閉じ、その楽曲に聴き入った。身をくねらせたくなるほどSWEETなSOUNDに、カツオはハートが強くうずくのを感じた。何か外部の良き力に抱かれているような気がした。
そうか、これが、愛か。
カツオは天井を仰ぎながら、愛のヴァイブスをその全身からほとばしらせていた。
「ねー、ちょっとー、止めるよー?」
一番のサビが終わったあたりで女の子が声をかけると、カツオはカッと目を開いて叫んだ。
「あのっっ!!!!!!!!!!!!!」
女の子は肩をびくんと揺らし、目を丸くしてカツオの顔を見た。
「わ、びっくりしたぁ。急に大声出さないでよ」
「あの、あの、その、えっと、お、おれ、おれおれおれと……」
「なしたなした?」
カツオの膝が、意思と無関係に震えていた。ここだよカツオくん。今こそ生まれ変われ。ほんとうのことだけするんだ。心の底から思ったほんとうのことだけを。カツオはぎゅっと拳を握り締めると、勇気を振り絞って言った。
「お、おれと、どっ、動物園に行きませんか!?」
女の子はキョトンとした顔を浮かべた。
「……どうぶつえん?」
カツオはフィンガー・スナップをしながら叫んだ。
「そう、動物園!」
女の子は右に首をかしげた。
「どうぶつえん?」
「動物園!!」
カツオがまたぞろ叫ぶと、女の子は今度は左に首をかしげた。
「どうぶつえん?」
「動物園!!!」
次はまた右。
「どうぶつえん?」
「動物園!!!!」
左。
「どうぶつえん?」
「動物園っ!!!!!」
女の子はちょっと困ったように笑いながら言った。
「……えー、それってえー……」
すかさずカツオは最大音量で叫んだ。
「おっ、お願いします!!!!!! お、お、俺と、で、デートしてくださいっ!!!!!!!!」
——しばしの沈黙ののち、女の子はケラケラ笑った。
両手を叩いてケラケラ笑った。
子供のように身体をよじらせながら、本当に愉しそうに。
「っふふ、あはは、あはははっ! キミ、ほんとおもしろいね……うん、わかった。いいよ」
「え、いいの!?」
「うん、いいよ。ひさびさに動物園、行きたいし」
「ッシャ! ッシャ! ッシャ!」
カツオは三回連続でガッツポーズを取った。女の子は笑いながら頬杖をついた。
「でもさー、いいの? キミ、まだ、わたしの名前も知らないじゃん」
「あ、そ、そうか! いや、あの、失礼ですけどお名前お伺いしても?」
「アイ。早乙女アイと申します」
「アイ……」
「そ、アイ。ラブとアイが出会うってさ……なんかちょっとすごいなって、さっきからずっと思ってたんだ」
そういって女の子は——アイは、はにかむように笑った。
そしてふたりはデートの約束をした。それもなんと明後日、水曜に。こんなに嬉しいことがかつてあっただろうか、カツオは言いようのない幸福感に包まれていた。もちろん帰りしな、ちゃんとジェイソン・ハリデーのレコードを買うのも忘れなかった。
「じゃあ、また、あさってね。フライヤー配り、がんばってね」
「ああもうめちゃくちゃ頑張るよ、超頑張る!」
「あ、それからね、わたし、いないよ」
「え、いないって、なに?」
「彼氏」
そういうとアイは八重歯を見せていたずらっぽく笑った。カツオは外へ出ると、レコードをカゴに入れて自転車のサドルにまたがった。ハンドルを握ったとき、カゴの中のジェイソン・ハリデーが、“がんばれよ”といってカツオにウィンクをした。
♪Sound Track : I Am Still In Love/Jason Halliday
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