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Soulful Fiction Novel Number One 『LOVE(Original Mix)』 B-2





ミラーボールの発明者に、心からの心を込めて本作を捧ぐ。



B-2.Get Into Your Love

「親しさの瞬間は美しい五月の日のようなもので、微妙な一時期である。それはどうかすると恋の命とりともなりかねない一時期で、最も美しい希望を一瞬のうちにしぼませてしまうことがある」(スタンダール)


 快晴きわまる月曜の昼、“らぶ”を訪れたタケフミは驚いた。店内のソファにぐってりと座り込んだカツオが缶ビールを手に、濁った目で宙をにらんでいたからである。その足元にはなんと、ビールの空き缶が軽く20本は転がっていた。タケフミは慌ててカツオに声をかけた。

「ちょ、らぶやん、どうしたん」
「お〜〜〜〜……タケ、おはよ〜……」

 カツオはタケフミに気がつくと、手をゆらゆら振って、締まりのない笑みを浮かべた。タケフミは溜息をついた。


「めちゃめちゃベロベロやん。いつから飲んどんねん」
「え、え〜……? 土曜の夜、から……?」
「土曜て、イヴェントの日やん。あんときあの子とええ感じやったやないか。あれから何あったん」
 タケフミは足で空き缶を退けながらカツオの隣に座った。カツオは頭をユラユラ揺らしながら、完っ全に座りまくった目でタケフミをじろりと見て、言った。
フラれたんだよ」
「フラれた?」
「もう、なんつうの…………ブワア〜〜〜ッって感じで、フラれた」
「ぜんっぜんわからへんわ、もっと具体的に話して」


 それからカツオはベロベロになりながらも土曜の夜の出来事について語った。それは順番があちこちへ飛んだり発音が不明瞭だったりと、なかなか読解が困難なドランク・ストーリーであったが、タケフミは辛抱強くそれに耳を傾けて概要をおおむね飲み込むと、腕組みをしながら唸った。


「は〜〜、マジか〜〜……それは何ちゅうか……いかついなぁ」
「しかもそのあとさ、おれ、めちゃくちゃ鬼電しちゃった……」
「うわ最悪や。それは考えうる限りで最悪の選択やで」
「わかってるよ。でもさぁ、一人でさぁ、ずっとぐるぐる考えてたら、もう不安で不安でたまんなかったんだよ。気がついたら、もう、指が止まらなかった。電話かけまくり、メール送りまくり」
「どんなメール送ったん?」
「え〜……? “ごめん、おれが悪かった。でも何が悪かったか正直わからない。だから悪いとこあったら言って、全部直すから”……とか」
「うわ最悪。最悪や。そんな最悪のことしかないメール、よお送れたな」
「わかってるよ。でも、それ以上に、わかってほしかったんだよ」
「“わかってほしい”って暴力やからな、フツーに」
「暴力とか、おれ、そんなつもりは」
「らぶやんがどういうつもりだったかとか関係ないねん。ほんで、どうなったん?」
「……そのあと、“ごめん”ってメールが一通だけ来て……そっから……着拒された」
「それで酒びたりの日々を送ってるちゅうわけか。普段、そんな飲みもせんくせに」
「だって、もう飲むしかないじゃん、こんなん」
「ほどほどにせんとマジでアル中なるで」
「もういいんだよ、おれは、酒に溺れて溺死するんだ」
「酒ほどタチ悪いドラッグないで、コロンビアでよく言われとった、アルコールは“遅延されたヘロイン”だって」
「“チエン”ってなに? ぴえん超えてぱおん超えてチエンってこと?」
「全然ちゃうけど、まぁ、そういうことでええわ」
 タケフミが呆れたように答えると、カツオは真っ赤な顔でぼそりと言った。
「……なぁ、タケ、おれ、どうしたらいいのかな?」
「何がや」
「だからさ、早乙女さんのことだよ」
忘れろ
「マジで言ってる?」
「マジで言うとる。もうそういう状況になった以上、打つ手ないもん。忘れろ」
「わ、わっ、忘れられるワケないだろ!? 早乙女さんはなぁ、早乙女さんはなぁ……おれが人生で見てきたどの女の子よりな、誰よりも、いちばん、ダントツで、最強にかわいい子なんだよ!」
「ああ、何せナタリー・ポートマン超えやもんな。しかも“LEON”の頃の」
「そうだよ! しかもなぁ、早乙女さんはなぁ、おれのDJで、初めて踊ってくれたんだよ! 地球上でいちばん、いや人類史でいちばんかわいい子がな、おれのDJで踊ってくれたんだ! 動物園も行ったし、一緒にビールも飲んだんだよ! 忘れられるワケないじゃん! 死ぬまで、いや死んでも忘れない。来世も来来世も来来来世も、絶対、絶対、絶対覚えてる。一秒たりとも忘れるもんか」
「……そんなに好きなんか」
「好きだよ。超好き。クソ好き。リアルに、ガチで、マジで、本気で愛してる」
「じゃあ、忘れんな

 タケフミの言葉に、カツオは目を白黒させた。


「はあっ? 忘れろとか忘れんなとか、どっちだよ」
「そんだけ好きなんやったら、忘れんな。ずっと好きでおったらええ。でも、ひっそりやれ。連絡取ったりとか、もうそういうのはやめ。誰にも、なんも言わんで、ひっそり、黙々と好きでいろ」
「……そしたら、どうにかなんの?」
「知らんわ。その子がどういう問題抱えてるかも、らぶやんのことどう思うとるかもわからんしな。でも、その子の問題を聞き出そうとしたり、どう思うてるか知ろうとすな。ただ、待て。ウェイトや」
「ウェイト……」
「もし、その子が、らぶやんとはもうこれっきりやと思てへんなら、きっと向こうからあるから、モーションが」
「モーション……」
「あの子を自分のものにしようとか思うな。あの子は、らぶやんのもんでも、お父さんお母さんのもんでもない、あの子自身のもんなんや。出しゃばったらあかん。あの子の気持ちや行動を何より尊重せえ」
「…………わかった。そうする」
病みツイートとかそういうのもなるべく避ける方向でな。酒もほどほどに。もどかしくても、つらくても、一日一日、やり切っていくしかないで」
「…………そしたら、また、イヴェント、来てくれるかな?」
「知らん。でもそう信じて、やり続けるしかないやろ」
「それしかないかな?」
「それしかないやろ。土曜のアーカイブとかネットの評判見返してみたけど、めちゃめちゃすごいで」
「え、そうなの?」
「最終的に同時接続が20万超えたらしい。投げ銭も100万以上あったらしいで」
「そ、そんなに!?」
「せや。らぶやんはな、そんだけスゴいことやってんねやで。だから、クサるなよ。何があっても続けなあかん。ちゃんとやることやれ。今できることせえ。祈るっていうのは、そういうことやで」
「……わかった。やるよ」
「おお、その意気や」


 カツオは缶ビールを握り潰すと勢い良く立ち上がった。


「やるよ、おれ! やってやってやりまくるよ! 絶対にあきらめたりなんかしねえ! 意地でもハッピーエンド迎えてやる! そんで早乙女さんと死ぬまでランデブーだぜ! 俺はやる! 俺はやる! 俺はやるぞ! うおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!

 

 そしてテンションが上がりすぎたカツオは、雄叫びをあげながら、空きカンを扉の方へとオーバースローで投げつけた。それと同時に扉が開き、スーツ姿の男性二人組が店内へと入ってきた。カツオが投げた空きカンは、ダブルのスーツを着た壮年男性の額にブチ当たった。そんなつもりは露ほどもなかったカツオは途端に顔面蒼白になり、慌ててペコペコ謝罪した。

「うわっ! あの、すいません! マジですいません! 超すいません! 怪我ないっすか!? 大丈夫すか!?」


 壮年男性の隣に立っていた精悍な顔つきの青年はカツオに食ってかかろうとしたが、壮年男性はそれを制すると、ハンカチで額を拭きながら低い声で言った。
「あー、大丈夫。大丈夫だから」
 そして壮年男性はハンカチをしまうと、角刈りの頭を撫でながら太い眉毛をピクピク動かし、低い声でカツオに尋ねた。
「えーっと、アナタが、ここの店長?」
「え、あ、はい、そうですけど……」
 一瞬のうちにカツオの脳裏を妄想がかけ巡った。よくわからんが、このおじさんはどうやらかなり偉そうだ。偉い人特有のオーラがビシバシ滲み出ている。ひょっとしてひょっとしたら、どこぞの大会社のイベンターとかではなかろうか。あの配信を見て、何かおれにどデカイオファーを持ってきたのではあるまいか。

 しかし、カツオの妄想は、まったくもって大ハズレだった。壮年男性はスーツの胸ポケットから警察手帳を取り出し言った。

「警察です。あの、なんか、インターネットで配信を観たってヒトから通報があってね。ちょっと署の方で、詳しい話、聞かせてもらえるかな」

       
            

            ※   ※   ※

 

 三十分後、カツオは警察署の取調室で、硬いパイプ椅子に座らされていた。簡素なテーブルを挟んだ向かいには先ほどの壮年男性と血気盛んな青年がいた。それぞれ刑事ということだった。青年刑事はパソコンを打ちながら調書を作成し、壮年刑事はその太い眉毛をピクピク動かしながら、カツオを取り調べしていた。

「え〜っと、羅武さん。アンタが今回やらかしたことちゅうのは、ま、一言でいうなら風営法違反だね」
 壮年刑事が何を言っているのかわからず、カツオは首をかしげた。
「ふうえいほう?」
「そう、風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律ね」
「ふ、風俗なんかやってないすよ。うちは、いたって健全なコインランドリーっすよ」
「でも、音楽かけて、人呼んで、踊らせたんでしょ」
「それの何が問題なんすか?」
「問題は山ほどあんの。まずそもそもコインランドリーってのはそういうお店じゃないでしょ。そういうお店じゃないのに、そういうことしたっちゅうのはこれ、ハッキリと問題あるから」
「でも、だ、誰にも迷惑かけてないですよ。苦情だって一回も来てないし」
「そういうことじゃないの。法律ってそういうことじゃないのね。法律っていうのは社会のルールだから。みんなが安心して暮らすためのルールだから。アンタは今回、それを破ったの。そういう届出してないし、そもそも条件も満たしてないでしょ、あそこ」
「お、お金も取ってないし、お酒だって出してないですよ」
「そういう話じゃないんだよ。アンタ頭悪いね」
「……じゃあ、頭の悪いおれでもわかるように説明してください」
「だからね、DJだのMCだの、そういうことしたかったら、そういう場所行ってやりなさいって話してんの。こっちだって全部なんもかんもダメとか、そういうこと言ってるワケじゃないのよ。“踊っていい場所”ってのが世の中にはちゃんとあるんだから」
“踊っていい場所”って何すか? 踊っちゃいけない場所ってこの世にあるんですか?」
 カツオがそう食い下がると、壮年刑事は舌打ちをした。
「アンタほんとに頭悪いな。そういう話してるんじゃないから」
「だ、ダンスは、言語より先に生まれた、人間の最古の表現です。なんで、法律が、それを規制するんすか」
「あー知らん知らん、そういうのは政治家にメール送って聞けや。とにかくこれはルールだから。ルールを破るのがダメなの。アンタ、このままだとマズいことなるよ」
「……まずいこと?」
「届出も出してない、許可も取ってないのにそういうことすっとね、楽曲使用料の請求、来るかもしらんよ」
「しようりょう?」
「そう。世の中にはちゃーんとね、そういう仕組みがあんの。アンタバカだから知らないだろうけど。とにかくこのままクラブ営業してっとね、アンタ痛い目見るよ。人生取り返しつかないことになるよ。あのお店ごと潰すハメになるかもしらんよ」
「……じゃあ、どうしろってんですか?」
 不安げな視線を向けながら尋ねるカツオに対し、壮年刑事はドスの利いた声で言った。
音楽止めろ
「……は?」
「DJとかそういうのやめて、これまで通り、フツーのコインランドリーとしてやってく。それしかないね」
「……それは」
「あ? “それは”? それは何?」
 テーブルの上で指を組み合わせる壮年刑事に、カツオは目を伏せ小声で答えた。
「……それは……できません」
「できない? なんで?」


 カツオは膝の上で拳をぎゅっと握りしめながら、絞り出すような声でいった。


「……あの、おれ、ずっと、自分から、何かをしたこと、なくって。この歳になるまでずっと、働きもしないで、ずっと、ウダウダしてたんです。でも、はじめて……はじめて、自分から、何かを、やったんです……だから……やめたく、ないんです……これだけは、ちゃんと、本気で、全力で……やりたいんです。やり続けて、いたいんです……」


 しかし、壮年刑事の声は冷ややかだった。


「そう。そうなの。まぁね、アンタもね、カワイソウだと思うよ。私だって本心を言やあね、こんなことしたくないよ」
「だったら……っ」
「でもね、見逃すワケにはいかんの。アンタなりに使命感とかあるのかもしんないけどね、だからって、ハイそーですかって野放しにするワケにはいかないのよ。ね、悪いこた言わないから、もうクラブ営業はあきらめな」
「……っ……う、ぐ……っ」


 気がつくとカツオは泣いていた。一度流れ出してしまうとそれはもう止めようがなく、次から次へと涙が溢れ出した。しかし壮年刑事は腕組みをすると、あざけるような口調で言った。


「泣いてもダメ、泣いてんじゃないよバカが。簡単な話でしょ、何も店つぶせって言ってんじゃないんだ、ただクラブ営業やめろって言ってるだけよ。そしたらこっちだって、それなりに、温情っていうのが、あるから」
「……でもっ、やべだぐ、だい……」
「そうやって強情張ってっとね、大変なことになるよ。アンタの家族にも友達にもね、みーんなに迷惑かけるよ。アンタ、それでいいの? ん? アンタ、本当にそれでいいワケ?」



 ——数時間後。

 カツオは警察署のまえに立っていた。昼間はあれだけ晴れていたというのに、いつのまにか空には真珠色の雲が立ち込め、冷たい雨がしとどに降っていた。カツオはうつろな目で、雨の中をふらふらと歩き始めた。カツオはひとつの条件を飲むかわりに釈放されていた。それは、“らぶ”で金輪際、クラブ営業をしない、という条件であった。カツオは雨に打たれながら、ぼんやり曇った灰色の街を、ただ蹌踉とゆらめいていた。





♪Sound Track : Get Into Your Love / George Smallwood



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