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【エッセイ】相手を見て、挨拶をする。 #未来のためにできること

 『おはよう!』「…(無視)」『「お」だけでもいいよ?言ってみよ?おーーー!』「…(無視)」

 息子に「おはよう」を無視され続けて3年半。息子が3才6ヶ月の時、ついに初めて「はょ」と返してくれた。

虎の素っ気なさが、
無視をする時の息子にそっくりである。

 息子は自閉症スペクトラム、所謂ASDと診断されている。発達障害の一種、中でもコミュニケーションが苦手と言われる障がいだ。代表的な特徴は目が合わない。幼児だと「言葉の発達が遅い」ということで気がつくことが多い。「おはよう」と相手を見て挨拶をする、それが苦手だ。


 そんな息子の姿を見ていて、気がついたことがある。私自身も、相手を見て挨拶をしていなかった。夫には、お皿を洗いながら「洗濯物ありがとうね!」なんて言うものだから「本当にありがとうって思っているの?」と言われる始末だ。

 それから、意識的に「相手を見て挨拶をする」というのを実践してみた。保育園での送り迎えで、レジで、家庭内で。それで気がついたことがある。「相手を見て挨拶をする」のは意外と難しい。たったそれだけのことでは全くない。難しいことなのだ。

遊園地の周回列車で
身を乗り出す息子と娘。

 子育て中なら幼い子どもから目を離せない。不意に振動するスマホにも気を取られ、目の前の山積みになっているタスクに気を取られ、目に飛び込んでくる様々な広告に気を取られる。トラップがたくさん存在する。

 でも一方で「相手を見て挨拶をする」だけで得られるメリットは大きい。「おはよう」「ありがとう」「おやすみ」これらの言葉を相手をしかと見て言うだけで、心の繋がりを感じられる。レジでお金を払う一瞬のやりとりでさえ、少し豊かに感じた。

たとえ亀でも、目が合ったように感じると嬉しい

 挨拶は「武装解除」が起源なんだそうだ。「私は武器を持っていません」「あなたに敵意を持っていません」これを表現するために、お辞儀では頭を差し出し、握手では手を差し出す。こうして人と人とが繋がり、社会の一員として存在していられる。

 そう、挨拶は社会への入り口にある鍵と言ってもいいだろう。No one will be left behind.(誰ひとり取り残さない)というSDGsの目標。「取り残さない」と思ってくれる誰かの助けを待つのではなく「自ら入って行こう」という意思と行動も大事だと思う。だから、私はASDの息子に「挨拶」という鍵を授けたい。

 そのために、自分自身が相手を見て挨拶をする。その姿を息子に見せ、息子にも促す。それが私の、未来のためにできること。


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