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令和のチャールズ・M・シュルツから「家族を愛することを選んだ」ことを教えてもらった


読む本を間違えた。

柔らかな光が差すカフェのオープンテラスで盛大に吹き出してしまってから、そう思った。

今日は小春日和だし、おしゃれに外で読書をしよう、とシャツにベストという文学少女然とした格好をして出かけた。鞄に入れた本は岸田奈美さんの「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった」。私が岸田さんのファンだと知って、叔母が誕生日に贈ってくれたサイン本である。

これまた友人が誕生日に贈ってくれたチケットで買った、ブレンドコーヒーのマグカップとホイップクリームの乗ったワッフルの皿を持ってテラス席に着いた。祝日のわりに空いていて、テラス席は6席あったが、私の他には女子高生が2人、向かい合って話をしているだけだった。

足下を落ち葉が駆け抜けていく中で表紙を開いた数分後、作戦名「秋の文学少女」は失敗に終わった。物静かに読む物語としては、ユーモアに溢れ過ぎていたからだ。

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そこを読んだ時に、すでにコップの水の表面張力みたいに込み上げていた笑いが一気に決壊してしまったのだった。その場の全員(女子高生2人)の視線を集めてしまったことは言うまでもない。知的な文学少女にはなれなかった。

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「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった」は、岸田さんのエッセイ集である。家族や大好きな人との愛すべき出来事が17編収められている。私は眼鏡を外して、弟さんが書いたというページ番号を眺めつつ、一枚ずつページをめくった。

「はじめに」で、岸田さんはお父さん似だ、ということが書いてあった。もうそこで共感してしまった。私も父似だからだ。父は、たまに突拍子もないことをする母とは違い、真面目で世話焼きな人だ。そんな父に似て、私も直球ストレートが決め球の、真面目な人格になった。科学好きも似たようで、小さい頃から科学教室に連れて行ってもらったおかげもあってか、理系の大学院にまで進んだ。ただ、掃除好きの性格は似なかったようで、そこは似てほしかった、と、服が散乱した床を見て切実に思う。


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「『死んでもいいよ』とお母さんに言った」というエピソードを読んでいると、女子高生たちは「友達が芸人になりたいことを親に言えないらしい」、という話をしていた。

岸田さんの、お母さんにまつわるエピソードからは、なんでも言い合えるような関係性がうかがえる。翻って自分と母のことを考えてみると、そんなふうにじっくり話をすることはあまりない。高校生のとき進路を決めるときも、「好きにすれば〜」と言われ、拍子抜けしたものだ。

よくよく考えると、生活スタイルが母とは合わず、高校生まで、1日のうち顔を合わせるのは3時間ほどだったのではないかと思う。母の朝は早い。5時には起きて洗濯物を干し、朝食を作る。6時半に私と姉を叩き起こし、テレビに夢中で食べるのが遅い私を「口が止まってる!」と急かす。7時前には仕事場へ向かう。母の仕事が終わるまで、私と姉は近くの祖父母宅に預けられていた。20時ごろ母が帰宅し、夕食を作り終えるとすぐにお風呂に入り、さっさと夕食を済ませたあと21時半には床につく。22時ごろ父が帰宅する頃、私はだいたいソファで漫画を読んでいた。

そんなこんなで平日はほとんどゆっくり話はできない。そんな母とのコミュニケーションは、お弁当に入っている手紙だったのだ。高校3年間と大学の4年間、母はずっとお弁当を作ってくれていた。そこにメモ用紙が挟まれていた。そのメモ用紙に2,3行の文章が書かれている。その日のお弁当のタイトルと、コメント。コメントは「テストがんばれよ」とか普通のときもあったが、途中からネタがなくなったのか、創作物語を書き始めていた。1日に1行進む物語。手元に残らないもんだから、たまに整合性がなくなる。お弁当箱を出すときにそれを告げると「そこは適当に」と笑う母。なんでこんな手紙を初めたのかはわからないが、確実にこの手紙が母とのコミュニケーションにつながっていた。

最後のお弁当にはこんなメモが挟まれていた。

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夜中遊び回る不良娘で悪かったって。


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英語の受験勉強を通して「人に説明できるくらい理解すること」を学んだというエピソードを読んでいるとき、ちょうど女子高生たちがリーディングの勉強の仕方について相談していた。君たち、この本にいいこと書いてあるぞ。

私に「人に説明できることが、理解できたということ」だということを教えてくれたのは、姉だった。

私は数学が得意だったけど、姉は分数でつまづいた典型的な算数嫌いだった。しかし、公務員試験のためにどうしても数学が必要になった。そこで姉は私に「数学を教えてくれ」と頼んできたのだった。年下に勉強を教えてくれと乞うのは、勇気のいることなんじゃないかと思うのだが、それを自然にできる素直さは姉の長所だ。その時はそんなことには気づかず、自分の得意なことをひけらかす機会を得た私は、嬉々として快諾した。かくして私は姉に三平方の定理やら因数分解やらを教えることになった。

しかし、ふたをあけてみれば、自分はスッと理解できたことを、ちっともわかってもらえない。「そう教科書に書いてあるじゃんか!」と思うのだけど、納得がいかないようなのだ。そこで手を変え品を変え説明を試みる。「あー!わかった!!こういうことか!」と姉が叫んだ時は「やっとわかってもらえたか!!」と嬉しくなった。と同時に、理解していたつもりのことも、自分の言葉にして人に説明するのは難しいのだな、と反省した。

今でも何かを説明するとき、「この表現で姉が理解してくれるだろうか…」と考えながら組み立てている。


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タイトルの、家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった、という一節が含まれるエッセイを読んでいるとき、女子高生たちは「10日で彼氏と別れた」という話をしていた。

ありがたいことに、「家族を愛する」ということになんの疑問も抱かずに生きてきた。過保護な祖父、規律正しい祖母、適当で面白い母、娘を甘やかしすぎな父、素直で優しい姉に囲まれて暮らしてきた。おおよそこの本に出てくるような辛い出来事は経験しておらず、何不自由なく大学院まで進ませてもらった。たまに嫌なことがあっても家に帰れば元気になれたし、絵画で賞をとれば賞状を額に飾ってくれて、お祝いにしゃぶしゃぶを食べに連れて行ってくれた。

高校に進んだときに、家族仲が悪いという友達の話を聞いて、「この世には親と一緒に暮らしたくないという人がいる」という事実にヤシの実が頭に落ちてきたような衝撃を受けたことを覚えている。一方で自分は親切な両親のもとに生まれてなんと幸せなことか、とも思った。

それからも「環境に恵まれていて、なんてラッキーな人生なんだ。」と思っていたが、そうか、私は「家族を愛する」ことを選んでいたのか。父と母は互いに人生のパートナーを選び、私と姉を信じることを選び、私に「家族を愛すること」を自然に選ばせてくれていたのだ。


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読み終わったあと、高校の教科書に、漫画「Peanuts」の物語が載っていたのを思い出した。そこには「Sence of humor」が大事である、といったことが書いてあった。どんなことでも笑い飛ばせるようなセンスを常に持ちなさい、と。その時は何のことだかわからなかった。お笑い芸人になれということか。いや笑いのセンスとかないし。

今ならわかる。違う、そういうことじゃない。岸田さんのエッセイでは、辛かったことも書かれている。でも、絶妙なテンポの良さと"ユーモア"で、最後には笑って読み終えられるようになっているのがすごい。

高校生のときはわからなかった、「ユーモアのセンス」をこの本は教えてくれた。岸田さんは令和のチャールズ・M・シュルツと言っても過言ではない。

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