やまかさ

「山笠のあるけん博多たい」というキャッチフレーズのCMがあった。商品がなんだったのか、完全に忘れている。ググってみたら、「博多山笠」というお菓子のCMだった。

博多祇園山笠は、櫛田神社の祇園例大祭に奉納する神事で、7月15日早朝の「追い山」で締めくくられる。流れ(町内のくくり)ごとに山を掻き、そのタイムを競う。

そもそも鎌倉時代に博多に疫病が流行ったとき、聖一国師が町民の担ぐ施餓鬼棚に乗って、祈祷水を撒きながら町を清めて周り、疫病退散を祈願したことが始まりと言われている。

「山笠のあるけん博多たい」は、『山笠があるから、博多は博多なのだ』という意味だが、とにかく山笠中心に生活が回っている「山のぼせ」のことを言っているのだと思う。

わたしのように他の土地からやってきた者は特に、山笠に思い入れもなく、中洲よりも西側に住んでいると、全然生活にも関係ない。行事が始まる6月は、道が渋滞したり、長法被を着た男性たちがちょっとアルコールの匂いをさせながら歩くのを見たりして、あまり良い気持ちではなかった。

が、去年も今年も、追い山の奉納は延期になった。すると、どうだ。淋しいではないか。

山笠の奉納は7月15日の早朝。その日から急にセミが大きく鳴き始める気がしていた。梅雨もその頃に明ける。本当に「夏本番」という気持ちになっていたのだな、と思う。自分には関係ないはずだったのに、いつの間にか夏の区切り、風物詩として、わたしの中に存在していたのだ。

それにしても、疫病退散で始まった神事が、疫病のせいで延期になるとは。

わたしは夏をどこから始めれば良いのだろうか。今年も去年のように、いつの間にか夏が終わっているのかもしれない。「え?夏?来てた?」という気持ちのまま、気づけば秋だった。それなのに日焼けだけはしていて、損した気分だった。



サポートいただけたら、次の記事のネタ探しに使わせていただきます。