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「幸せ」について考えたこと

みなさんにとって「幸せ」って何ですか。

趣味のダンスの練習をすること、パンケーキを食べること、それとも好きな人と過ごすことでしょうか。

何に幸せを感じるかは人それぞれ。色々な幸せの形があるはず。

私が最近幸せを感じる瞬間は、家でゴロゴロしながらYouTubeを見てる時。

1日休日があったら、好きな本を持ってスタバでお気に入りのティーラテを飲む。

そんな優雅な休日もあれば、前日からカップラーメンとお酒を買い込んで夜更かしして、起きるのは夕方という干物のような一日もある。Netflixがあればそれで十分。

ご飯を食べに行くことも好きだけど、よくわからない前菜がいっぱい出てくるイタリアンレストランよりサイゼリヤでお腹いっぱいになりたい。

これが私にとっての幸せなんだと思う。

私は大学4年生なので、この時期になると「卒業旅行には行かないのか」と聞かれる。「国内で旅行をする」と答えると、「なぜ海外に行かないのか」と言われる。

海外旅行も楽しそうだけれど、私はどちらかというと温泉で1日のんびりする方に魅力を感じる。綺麗なホテルより小汚い宿の方がよく眠れそうな気がしてしまうし、「どこに」行くかより「誰と」行くかの方が私にとっては大事である。

私の生活は、いわゆる「映えない」。キラキラしていることより、地味な方を好んでしまう。

私は小さなことで幸せを感じられる方なのかもしれない。だけど私にとっての「幸せの軸」は、かなり容易に歪んでしまう。

インスタを覗けばみんないつも誰かと一緒にいて、ディズニーランドに行ったりしている。

スウェットでラーメンを食べながらSNSを開くと、さっきまでラーメンを食べれることの嬉しさでいっぱいだったはずなのに、一瞬で自分が惨めな気がして、孤独を感じてしまう。いつのまにか画面の中の友達に黒い嫉妬心を抱いてしまう。

SNSで沢山の称賛を貰えれば幸せ、カッコいい恋人がいれば幸せ、友達が多い方が幸せ、お金持ちと結婚できれば幸せ、というような「世の中で画一化された幸せ」に自分の「幸せの軸」を擦り合わせなければいけないような気がしてしまう。

だから「人も比べても幸せに慣れない」ということはわかっていても、他人を羨んでしまうし、自分にとっての「幸せ」を時々見失う。

今の世の中で、思う存分に幸せを味わうためにはきっと「強さ」が必要だ。誰かに否定されても歪まないような幸せの軸を作らなければならないと思う。芯のある人になって、寂しさを感じないほど好きなことに夢中になりたい。

幸せは空から降ってこない。だから「誰かに幸せにしてほしい〜」と他人に委ねてはいけないし「自分で自分を幸せにする」意思を持たなければならないだろう。

本来なら幸せは大小で量れるものではないだろうし、誰かにマウントを取らなければ幸せを感じられないわけでもないはずだ。「私は幸せである」と自信を持って言えるように、私は自分が幸せだと思うことを最大限に大切にできるようになりたいと思う。