偏差値37からの高校受験 #3「モンスターのペアレント(後編)」
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偏差値37からの高校受験 #3「モンスターのペアレント(後編)」

りじゅ

うちの中2の息子はとにかく勉強が大嫌いです。自分の親がそうであったように放任主義だった私ですが、高校受験を目の前にしてさすがにまずいという状況になってしまいました。

この話は現在進行形なので、結末はまだ私にもわかりません。
これは、勉強嫌いの息子と教育熱心ではなかったのに追い込まれた母が日本の受験戦争に立ち向かう記録です。
私たちのような親子が減ることを願って。


前回は、そんな息子を育てた私の幼少期から塾に入るまでの頃について書かせていただきました。


今回は、その続きから高校受験までについて書きたいと思います。


友達がいるからという不純な動機で入った塾が非常に厳しく激しい塾で、最初は恐怖だけで勉強していました。
だた、通っているうちにだんだん先生の生徒への愛情の深さを感じていました。内容を理解すると勉強が面白くなり、テストの順位が少し上がると喜びを感じていました。

両親は相変わらず勉強しろとは言わず、一切強制もされなかったのですが、私は自主的に勉強するようになりました。

同じ頃、塾に出現したライバルが私の負けず嫌いの性格に火を点けたのです。単語テストでも、チェックテストでもあいつだけには負けたくない!絶対に負けない!!多分向こうも同じことを思っていたと思います(笑)


ずっと真ん中だった私が、この塾で鍛えてもらったおかげで学校の試験で125人中10位になったことがありました。
毎回10位までに入るのは常連メンバーだったので、学校の先生は大金星に驚き、両親も喜んでいました。
私も嬉しくて塾の先生に報告すると、意外な反応が、、

「こんなとこで満足するな!まだまだやれるぞ。」

言われたのはこれだけ。
10位をとっても褒めらえない?
信じられませんでした。そんな反応をする人がいるなんて、、、予想もしていませんでした。

なんか悔しい、、、でも、いつも私を見ている先生に言われるともっといける気がしてきました。

夏季講習や冬季講習では先生が時間の許す限り一日中色んな科目の授業をしてくれました。先生は授業中に勉強以外の話もいっぱいしてくれました。
授業前・授業後・空き時間は自習室を自由に使うことができました。
その時間は常識を逸脱していて、夜は10時までですが、朝は6時から使わせてくれました。
冬の朝の6時は真っ暗です。私は皆が寝ているであろう時間に塾にいることに少しワクワクしていました。

暗くて人通りが少ないせいか、心配性の父はいつも自転車で送ってくれました。
車でもなければ、後ろに乗せてもらう訳でもなく、誰もいない商店街を二人並んで走っていました。
いつも朝の自習教室にいたのは私とあいつの二人だけでした(笑)

身体が丈夫な私は、長期休みは三時間睡眠とお風呂、食事以外ずっと勉強をするようになりました。

そこの塾は365日休み無しだったので、皆が浮かれてるクリスマスも年末年始も同じリズムで休まず勉強していました。
家族が旅行に行っても残って勉強していました。
これが人生で一番勉強した一年間でした。
この頃になると、ライバルは「あいつ」ではなく「自分」に変わり周りが気にならなくなっていました。


頭の回転が良いという訳ではなかったのですが、学校の試験は範囲が決まっているのでやった分だけ得点が高くなりました。試験範囲の教科書を一語も漏らさず丸暗記&理科数学は繰り返し問題を解きました。
多分私ほど試験勉強に時間を使っていた人も、試験にかけていた人もあの学校にいなかったと思います。

成績が受験に一番影響する頃になると、学校試験で5科合計475点・125人中1位になりそこから卒業まで1位をキープしました。

私が1位になると、両親も友達も驚いていました。塾の先生もやっと褒めてくれました。

成績は4が2つであとは5になり、周りの勧めでその学区で一番上の公立高校を推薦で受けることにしました。結果は不合格。
(合格する子はオール5で生徒会長等)


結局、元々入りたかった三番目の公立高校を一般入試で受けて合格しました。
(この実績のせいで、両親も変化し私の兄弟は全員この塾に入れられました(笑))

私が合格したのは、一言で表すと「自由」な学校でした。やっちゃいけないことが無く、皆のびのびとやりたいことをやれる学校でした。

エントランスのベンチで鉄板持参で焼肉している生徒がいても先生は「煙どうにかしろー」としか言いません。
ピザの配達を頼む人もいましたし、
学校の出入りも自由で昼休みは近くの公園で過ごす人も。
私は中抜けしてカラオケに行くこともありました。
顧問の先生さえ見つけられればどんな部活もつくることができ私は服飾愛好会を作りました。
エントランスの鏡の前ではストリートパフォーマンス愛好会のカッコいい先輩たちがいつも踊っていました。


髪型も服装も自由でしたが、放課後合コンに行く先輩は皆茶髪・サテンのブラウス・黒のワイドパンツ(当時のアムラーですね。)、
ドレッドも金髪もオッケー!
だからと言って「不良」という人もいなく皆勉強と遊びのバランスを上手く取っていました。
ただ、私はここで完全に勉強スイッチがオフになり三年間遊びに専念してしまいました。ちなみに、あの有名なひろゆき氏やあいのりのブクロー(古い(笑))も同じ学校でした。


塾の先生の言葉の通り、私は受験を通して財産を手に入れました。
それは先生に出会わなければ絶対に経験できなかった事で、今でも私の人生に大きな影響を与えてくれています。
大学生になってからも、社会人になってからも試験や資格取得の勉強をする度に思い出すあの一年間。「あれだけやれた」という記憶がいつでも私の背中を押してくれます。

自分の経験から思う事、

勉強は無理やり強制してやらせられるものではない。

スイッチが入ればやる時はやる。

だから私は息子にも強制する気にはなれず、息子のやる気スイッチを探していました。そう、あの日までは。


長文最後まで読んでいただきありがとうございます。


つづく

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りじゅ
中学生と乳児育児中のワーママです。元シングルで脱貧困を目指し0から貯蓄&キャリア形成してきました。(関連記事あり)ネタが尽きない長男と癒やしの次男との日常の中から実話を綴ります。