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ジャグリングにはまりすぎて団体の代表になって、京大を中退し、それでもベンチャーに入ってジャグリングを続けている話

僕がどんな思いでジャグリングのオムニバス公演を運営しているのか、それを今日は書こうと思う。
普段は多くは語らないけれど、これを機会に『秘密基地』をなぜやっているのかについて書いてみようと思う。

(ピントクル主催 『秘密基地vol.8』チラシ)

ぼくは京都でJuggling Unit ピントクルという団体の代表をしている。
そして、全国からジャグラーをよんで、「ジャグリングの新たな魅力を開拓する」をテーマに『秘密基地』という実験的な舞台公演をしている。それは何百人も入る大きな舞台で商業的に成功させようと思ってやっているわけではない。それは京都の奥の小さな劇場で、それこそ秘密基地のようにジャグリングを好きな人が好きな人のためにおこなう舞台公演だ。
なぜ、そんな舞台公演を本気でやっているのか。

その前に少し僕の話をしよう。
ぼくは中学3年生でジャグリングをはじめた。3個のボールを器用に投げ続けるあれだ。
きっかけはTVでジャグリングをみてなんか面白そうだなと思ったから。
そして、僕はジャグリングにはまった。めちゃくちゃはまった。ジャグリングをきっかけに全然知らないやつと友達にもなった。高校になって「ねえ、愛好会をつくろうよ!!」なんていわれてそんな友達と愛好会を立ち上げたりもした。毎日毎日時間があればどこでもボールを投げた。余談だが、今ではその愛好会は10年続き部活(東海中学・高校ジャグリング部)にまで成長している。

そして、ぼくはジャグリングをやりたいがために京大にいった。京大のジャグリングサークルは非常に熱心に活動していることで有名だったのだ。中にはそのままプロの大道芸になる人もいるほどだ。ぼくは勉強なんかまったくせずに、そんなサークルでジャグリングをし続けた。大道芸チームをつくって毎週土日はパフォーマンスをしにいったし、舞台公演のためには朝から夜まで練習をした。そして、仲間たちとああでもこうでもないなんてジャグリングについて語りあったりもした。

それは他でもない。ジャグリングが大好きだからだ。
ジャグリングをみること、やること、考えること。そのあらゆることが楽しくて、新しい世界をみせてくれて、僕を興奮させたのだ。本当に大好きだった。

そして、大学も後半に差し掛かった時に、「本気でジャグリングをやらない?」といわれた。それは中学からずっと一緒にやってきた仲間で、「愛好会をつくらない?」といったやつと同じだ。あのときと僕は同じように答えた。
「ああ、もちろんやるよ。」
そうして2014年にピントクルは誕生した。

(ピントクル ギャラリー公演『つみきねてぃっく』の様子)

たぶん、ジャグリングという言葉を聞くと、道端でやっている大道芸やピエロのようなサーカスをイメージするかもしれないけれど、ジャグリングにはもっと多様な種類がある。
というか、多様な面をみんなが本当にいま探し出して開拓しているところなのだ。それも世界中で。

そんななかでぼくたちは「ジャグリングの新しい魅力」ってなんだろうってことを考えて、ジャグリングの最先端のパフォーマンス、舞台公演をつづけた。

どの活動もめちゃくちゃ楽しかった。ジャグリングを続けていて幸せだなと思った。いつまでもこんな日がつづけばいいなと思っていた。。。

。。。

と、そこまでかいて、ぼくはキーボードをタイピングする手をとめた。
一度ベッドに横たわり天井を眺めながら考えてみる。

そんなに好き好きアピールしてんじゃねよ、と冷静なぼくがいった。
そんなにさあ、楽しいことばかりじゃないだろうと。何をいってるんだと。

僕は思った。
たしかに。

ピントクルの結成当時は日本のジャグリング界、特に舞台でジャグリングをしようと流れが活発になっていた。しかし、時を経て活動するチームが減っていた。いろいろと苦しい状況の中でジャグリングを辞めてしまう人もいた。
そして、もちろん自分たちの活動も全然お客さんがこなかったり、「意味がわからない、つまらない」なんて辛辣な意見をもらったりして苦しい時期があった。
だから、ぼくは悟ったのだ。ジャグリングだけをやっていくことはできないんだなって。
そしてぼくは思った。

本当に、ぼくは今ジャグリングが好きなのだろうか?

10年も経てば環境もかわる。当たり前に自分の好きなことだけで生きていけるほど社会は甘くはない。ましてやまだ一般的でないジャグリングの新しい魅力をみせよう、ということでは本当にうまくやらないと無理な話だし、そこまで達するにはぼくたちには何かが欠けていた。
やがて、他のメンバーは就職したり、研究の道に進んでいった。そんななか、以前ぼくはまだ悶々と大学生をしていた。
メンバーと会う時間も少なくなっていて活動も減っていた。そして、ある日あの言葉がでた。「ピントクルを解散しようか」と。

ああ、解散か。

ああ、そういう時がきたんだなと思った。突然くるんだよね、こういうのって。まあ、苦しい状況だからな。うん、でも。。。

まわりのメンバーがあれやこれや、なんとか続ける方法はないかと話し合いを続け、考えていた。だが、ぼくは解散という言葉を聞いた時からなぜかずっと別のことを考えていた。

それは、「信じること」についてだ。

本当に、ぼくは今ジャグリングが好きなのだろうか?
その答えは否だ。
少なくとも10年前と比べて。好きだから、楽しいからという理由でジャグリングをつづけているわけではない。

それではなぜ?なぜぼくはジャグリングをするのか?

10年も経つと熱はさめる。それは当たり前だ。
しかし、僕の「思い」は冷え切ってはいたけれど、それは悪いことばかりではない。
冷静になってみえてくることもある。

それは、信じるということだ。
ぼくはジャグリングを信じているのだ。

好きだから、楽しいからとか、そういうことではなくて、なにかそこには信じるだけの「何か」がそこにはあるんじゃないろうかと。

そしてぼくはこういった。
「僕がピントクルの代表になる。そして、ピントクルはオムニバス公演を運営して場をつくる団体にする。」

ジャグリングのユニットがひとつ解散したところで、大きなお金を動かしている企業でもなければ、ましてやだれかの命にかかわったりすることなんてないのだから、遠くからみたら本当にそれはちっぽけなことなんだけど、それはぼくのなかで大きな決断だった。人生で一番だったかも。そうぼくのなかではね。

そうして僕は大学を辞めた。でも生きていかなかればならないから必死に空いている時間でプログラミングを勉強して、なんとかとある小さなベンチャー企業に拾ってもらうことができた。
もちろん、そこではジャグリングの活動との両立を認めてもらったうえで働いている。
本当に僕は幸運だ。感謝しかない。

だから、本当に単にジャグリング を披露して楽しかった終わり、なんていう舞台公演にはしたくない。そのあとああだこうだなんてしゃべったりしながら、面白い動きが次々におこっていってほしい。つまり、人々のジャグリングの活動が「点」としてあるのではなく、なにかしらとつながって「線」になってほしいと僕は思っている。そんな場所に『秘密基地』という公演はなってほしい。

本当に大げさなんだけど、文化にしたいんだよね。

そんなことを言ってはみたものの代表は大変だ。お客さん、出演者、技術スタッフ、運営。
あらゆる秘密基地に関係するみんながなにか「良い」体験をしたと思ってほしい。そんな循環を回していきたい。もちろん、お金もちゃんとまわさないといけない。だって、継続してつづけなければ意味がないから。

ぼくはまだまだ未熟だから的確で素早い判断ができるわけでもないし、行動も遅ければ、リーダーとして一番大事な「思い」もちゃんと伝えることができない。
だから、この文章は思いをちゃんと伝えるための宣言でもある。
そんな拙いぼくでも応援してくれている人がいて、今はなにもできないかもしれないけれど、いつかはさ、絶対に返してやるんだという、これは宣言なのだ。

もう一度いう。ぼくはジャグリングを信じようと思う。
それには少なくとも、みんなが何か面白いことをしてやろうという場が必要だ。
だから、僕はこのひととならジャグリングを信じてもいいかもしれない、という人をよぶ。
もちろん、それには学生、社会人、プロかどうかなどは関係ない。そのひとにはそのひとだけの人生があるように、そのひとにはそのひとなりの多様な「ジャグリング」がそこにはあるからだ。

さあ、そんなことをいっているあいだに、まもなく『秘密基地』がはじまる。
長々といろいろしゃべってきたけれど、そんなことは忘れて「祭り」のように、ジャグリングをみてびっくりしたりおどろいたりしたら、歓声をあげて、すごいと思ったら拍手をして、ハレの日を存分に楽しんで欲しいと思う。みんなで一緒に。祭りというのは何も考えずにただ楽しむのが一番だ。たぶん、ぼくが一番楽しんでいるんじゃないかな。
そうやって祭りを楽しむことこそが「祈り」へと、つながるのだと僕は思っている。

最後に
もしも、ぼくがこのような思いでやっているピントクルの秘密基地に共感し応援してくださる方がいましたら、こちらPolcaというサービスでご支援をしていただけると非常に嬉しいです。よろしくおねがいします!!

https://polca.jp/projects/7kls5SPqFWP 

20180824 中西みみず

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