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青春18きっぷの旅で手に入れたもの

人生最後の夏休みだ、と思っていた。大学3年の秋の入り口のことだ。来年の今ごろはきっと就活に忙しいだろうし、こんなに何もせずにのんびり過ごせるのはいまだけなんだろう、と思っていた。そんな気持ちの一方で、焦りもあった。

最後の夏休みを満喫すべく、友人たちは皆短期留学に行ったりリゾートバイトをしたり海外旅行に行ったりと大忙し。わたしはいつもと同じようにアルバイトをし、昼間は歌を歌ったり漫画を読んだりして過ごし、いつもと変わらない日々だった。そんな自分をかえりみては「何か思い出をつくらないと大学生としてやばい」という気持ちに押しつぶされそうになっていた。

お金はそんなになかった。友人は着々と夏休みのイベントを消化することに勤しんでいたから誘える相手もいなかったし、ひとりで海外に行く勇気など当然持ち合わせていなかった。

妥協案みたいにわたしの中で導き出された答えは「青春18きっぷで広島にいく」こと。途中、静岡、名古屋、京都、大阪、岡山……と立ち止まりながら、ひとり旅を楽しもう、そう決めた。

夜はゆっくり眠りたかったし、初対面の人たちと話をするのもあまり好きではなかった。だから全泊、ゲストハウスではなくビジネスホテルを予約した。旅程はあんまり細かく組んでいなかった。水族館が好きだったから各地の水族館だけは必須で周り、あとはなんとなく「観光地」とされるところをプラプラして過ごした。

京都の千本鳥居に向かう日には空いてるロッカーが見つからなくて、スーツケースを担いで鳥居までの階段を登った。これじゃあ観光なのか筋トレなのかわからない。大阪ではひとりで飲食店に入ることに疲れて、セブンでおでんを買ってホテルで食べた。なんとなく関東の出汁より薄味な気がしたけど、気がしただけで真相は不明のままだ。岡山ではバックパッカーに声をかけられて美観地区の説明をたくさんしてもらったけど、解散した後ひとりで夕暮れの街並みをみている時間の方がよっぽど幸せだった。

TwitterやFBには「ひとり旅楽しい!最高!」って投稿していた。でも、正直まあまあ退屈で、毎日寝る場所が変わるのもストレスフルで、電車に乗っている間は景色なんて眺めずにほとんどスマホを触っていた。岡山での観光を終えてホテルに戻ったとき、「疲れたなぁ」と思った。それからすぐに翌日の広島のホテルをキャンセルして、翌朝には新幹線で東京に帰った。

およそ1週間のこの経験から導き出されたのが、「わたしはじっとしているのが好きなんだ」ということだ。仕事を休み始めてからの数ヶ月も、わたしは自分の意思で家の外に出たことがほとんどない。服がほしいとか、流行り物を食べたいとかそういう気持ちもまったくなく、せいぜい家の近所の喫茶店でコーヒーを飲みながら本を読むくらいだ。それが何物にも代えがたい幸せなのだと説明してもきっと理解されないだろうから、「毎日何してるの?」と聞かれても、「なにもしていない」とは言わないのだけれど。

当たり前のことのように思えるが、人には向き不向きがある。貴重な休みの日に外でアクティビティを楽しむのが幸せな人間もいれば、わたしのように、「なんにもしない」を徹底することに喜びを感じる人間もいる。はたから見れば「かけがえのない思い出」を作り出している前者の方が素晴らしく思えるのかもしれないけれど、わたしにとっては、今こうしてこの文章を書きながらアロマキャンドルの火を見つめる時間もまた、わたしを形作るための大切な時間だ。

自分の時間は自分のものでしかなくて、誰かが優劣をつけるべきものではない。とにかく、目の前にいる自分を幸福にするために、どんな形でもいいから自分なりに力を尽くすことこそが重要なのだろうな、と思う。

青春18きっぷの旅で手に入れたもの。それは「じっとしているのが好き」という"幸せの価値観"との出会いだったのだろう。楽しかった思い出は心に残ってないけれど、費やした10万円と1週間は、無駄じゃなかったみたいだ。

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