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もしかしたらうちの犬は、わたしがウエディングドレスを着るのを待っていたのかもしれない

隣の家に住む幼馴染から連絡があったのは、ウエディングドレスを着るほんの数分前のことだった。そのときわたしがいたのは、沖縄県の石垣島。離島でウエディングフォトの撮影をする予定だったのだ。

実家を出てから6年。実家が隣同士とはいえ普段連絡をとることなどほとんどない幼馴染からラインが来るのは珍しかったから、すぐに内容を確認した。

ラインに表示されていたのは、うちの庭で犬が死んでしまっているということと、「もっと早く気づいてあげられたら助けられたかもしれないのに、ごめん」、という言葉。

わたしは取り乱すこともなくその場ですぐに家族に連絡をした。実家から遠く離れた石垣島からわたしができることは、1秒でも早く家族の誰かが彼を抱きしめてあげられるようにメッセージを打つことだけだった。

コロがわたしの家にやってきたのは18年前、わたしが6歳のとき。そのころのわたしは、友だちの家で飼われていた小さなダックスフントに吠えられただけで号泣するくらい犬が嫌いな子どもだった。それなのに、里親譲渡会で手のひらにおさまりそうなほど小さなコロに出会ったとき、一生可愛がるからねと心に誓ったのだった。

わたしはコロと一緒に大きくなった。末っ子として可愛がられる6才年下のコロにヤキモチを焼いたり、少ないお小遣いでドッグランに連れて行ったり、隣り合って昼寝したりした。

ピアノの発表会の前の日も、初めてセーラー服に袖を通した日も、受験勉強で机に向かってばかりだった日も、どんなときもコロはすぐそばにいた。ひとりぼっちが嫌いなわたしが寂しい思いをしないように、だったのかもしれない。

コロが死んでしまう2年前、お姉ちゃんが結婚した。わたしが住んでいた家にはお姉ちゃんの旦那さんが住むようになって、コロには生まれて初めて新しい家族ができた。

わたしがウエディングドレスを着た日にコロが死んでしまったのも、なんとなく、わたしに新しい家族ができるのを見守ってくれていたからなのだろうなと思う。寂しがりなわたしが一人で生きていかなくてもいいように。小さいころからずっとそばにいた自分に代わる人を、ちゃんと見届けてから。

18才で家を出た後、コロのことを考える時間は日に日に短くなっていった。会う頻度も減って、久しぶりに実家に帰ってもコロはあまり喜ばなくなっていった。

当たり前だけれど、わたしがひとつ大人になるたびにコロも歳を重ねていっていたのだ。目が見えなくなって、鼻もきかなくなって、少しずつ、わたしのことを忘れていっているようだった。

わたしがお別れをする前にコロは骨になってしまったから、お日様と土の匂いのする柔らかな毛をもう一度なでることができなかった。わたしを覚えているかい?と尋ねることも、わたしの家族になってくれた大切な人を紹介することも、もうできない。

だけどまあ、それでもいいか、とも思う。きっとどこかでわたしの大切な人のことを見ていて、「任せたよ」って思ってくれたから、一足先に出発したのだろうし。

わたしは、真っ白なドレスを着て笑った日にきみがいなくなったことを、きっと忘れないだろう。そしてそれを忘れない限り、きみはずっとずっとわたしの心の中に居続けるはずだ。

香ばしい匂いのする肉球。耳の付け根の柔らかな皮膚。胸元の白くてふわふわの毛。伸びすぎた爪と、興奮したときに鳴らすピーピーという鼻の音。

手に取るように思い出せるきみの命を、一生忘れないで生きていこう。石垣島の真っ青な海を見つめながら、わたしは思った。




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