比べることで生まれる罪悪感。

美人さんがいるってことは必然的に美人じゃないさんがいることになる。

命の重さを訴える世の中。重さがある限り重たい命と軽い命があることになる。

ナンバーワンよりオンリーワンだと口に出せばきれいな心を持っている風だ。

オンリーワンを目指す目的は差別化をはかること。

つまり価値を生むことであって、価値は自身含め人に評価されて価値になる。

こう考えてしまって、結局ナンバーワンを良しとすることとさほど変わらないじゃないかと思う。

人間は比べないと世界や自分を把握出来ないっぽい。

比べる/られる社会だからこそ、比較を否定することは傷ついた人へ慰めとして必要だ。

それに正確に比較が出来る人間ってこの世に全然居ないしね。

つまり何が言いたいかというと。

世の中には傷ついている人がいっぱいいて、慰めの価値観もちゃんと用意されていて、自分は別に何も革新的な概念も方法論も持ち合わせては居ない、という中身のないボヤき。でした。

余談。

よくスポーツ選手がインタビューで、「◯◯らしいサッカー」とか「◯◯らしいプレー」とかいう表現をするけれど彼らは具体的にそれが何を意味するか分かるのだろうか。らしさって何のために必要なんだろうか。

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