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本に愛される人になりたい(93) 新潮日本文学アルバム第40巻「種田山頭火」

 「しぐるるやしぐるる町へ歩み入る そこかしこで袖触れる 見上げた先には何も居なかった ああ居なかった」は、米津玄師さんの『さよーならまたいつか!』の歌詞の一部です。NHKの朝ドラ『虎に翼』の主題歌で、YouTubeでフルバージョンのMVを見て出会った歌詞です。
 「あ!これは!」と引っかかったものの、それが何かが分からないまま、私の脳内にある<分からない箱>に納めていました。Googleですぐに調べれば良かったものの、そこまでの気力は皆無だったので、<分からない箱>の区分けの<ま、とりあえずコーナー>に置き去っていました。
 先日、NHKの『虎に翼』の特番を見ていると、作者の米津玄師さんが種田山頭火の「しぐるるや しぐるる山へ 歩み入る」という俳句の「しぐるるや」という言葉使いが好きでそこから影響を受けたと話されていて、<分からない箱>の<ま、とりあえずコーナー>に眠っていた「あ!これは!」がスッキリと解決しました。
 高校生になったばかりだったか、誰かのエッセイに触発され種田山頭火の俳句や彼の生き方に魅せられ、手に入る種田山頭火の本をかなりの冊数貪り読んでいました。そして、それ以来、数年に一度は種田山頭火の俳句や生き方を再確認したくなります。
 昨年の世田谷から片瀬海岸への引っ越しで、L.A.での3回を含めて累計15回の引っ越しをするなかで、種田山頭火の本は書棚のどこかに隠れたり(これを<隠れん本>と造語で呼んでいます)、紛失していたりで、いま手元にあるのは数冊になってしまいました。
 ここに取り上げた新潮日本文学アルバム第40巻『種田山頭火』は種田山頭火の経歴をコンパクトにまとめたものですが、数年に一度マイブーム的に種田山頭火に再会するにはとても助けられる本になっています。
 明治15年(1882年)に山口県に生まれ、昭和15年(1940年)松山市の御幸寺の境内の庵、一草庵で心臓麻痺で死去するまでの、彼の人生がまとめられているのですが、どの俳句がどのような暮らしをしているときに産み出されたのかを簡単に知る手がかりとしては、とても良い本になっています。
 本書には故・伊集院静さんのエッセイが収録されているのですが、そのなかで「山頭火の俳句は、彼のかかえ込んだ途方もない哀しみなど忘れて、読んで行く方がいいように思う。山頭火の見た青空。それは現代に生きる私たちの胸の隅にひっそりとかくれている色彩ではなかろうか」とエッセイを締められています。
 高校生のころ、心の底に隠れていたモヤモヤの芯を、ぽん!と引き抜いてくれた種田山頭火の俳句がいくつかあったはずだけれど、今となればすべて後づけで、いまだにどの俳句だったか怪しいのですが、たまに種田山頭火の俳句を読み、「いつも一人で赤とんぼ」や「風は初夏の、さつさうとしてあるけ」…等々だったんじゃないかと十代の私を想像しては楽しんでいる私がいます。故・伊集院静さんの言葉を知る由もない高校生だった私は、「彼のかかえ込んだ途方もない哀しみなど忘れて、読んで行く方がいいように思う」という故・伊集院静さんの言葉どおりに種田山頭火の俳句の世界に入りこんでいたのではないかと思います。大人として実体験する生きる痛みや苦しみなどまったく分かるはずがなかった高校生の私にとって、種田山頭火の俳句は求めるべくして求めていたものを教えてくれたようです。
 たまに種田山頭火に「出会う」と、散り積もった心のバグが消え去るような気がしています。中嶋雷太

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