分かってほしい

先日、狩猟の講習会に行ってきました。

実技研修と、法令知識の講義。正直、法令知識にはあまり期待していなかったけど、午前中の知識面の講義がとても良かった。

50年狩猟をしていて、ジビエ加工やらいろいろ特許を持っていたり、追求していったことである部分の常識を変えたり、書籍なども出している方。

よくある、ただルールをルールとして伝えるものではなくて、見てやって試して研究したから分かる、あらゆる方向から裏付けされた安全知識。
学説は学説。便利なモノは便利なモノ。だけど、その前は何故、どういう風にやっていたか。などから自分なりに根拠を付けている。
他に無い、その方ならではの凄い価値だなと思った。


これは、前職の職場でも、お客さんであるITエンジニアにも思っていたこと。

僕は2年前まで、新卒から10年ちょっとの間、某転職エージェントに勤めていました。

前職は分かりやすい成長主義成果主義の会社で、結果的にベテランを蔑ろにしていた。
例えば、ベテランの15年選手と薄給の1.2年目でも、支援できる顧客の数はそう変わらない。体の数も時間も平等だから。
いや、平均するともちろん変わる。全然違う。
だけど、成長中の無垢な新人の方が突発で結果を出すことがあって、費用対効果で言うとそっちに賭けた方が短期的には効率的。

いいことでもあるけど、だから新卒や若手に物理的にも期待を寄せるし、ベテラン社員の扱いはソフト面もハード面も良くなかった。
マネジメントする側としては、新人がこんだけやってんのにあなたコレ?みたいな扱いは普通。
あと基本的に、役職的なものへの意欲を見せないと理解されづらい風潮もあった。

でも、長くやってる人は数字上の結果以上に深みや厚みがあって、その人だから出来ること、分かること、解決すること、対応出来ること、受け止められることがたくさんあったし、直接的な営業成績以外の評価に入らない部分で、それはそれはかなりの貢献をしていた。

これにジレンマに感じて、当時は会社に不満も持ってたし、もっと大事にしてあげてくれと何度も何度も言ってた。
「このままじゃ会社の宝が離れていくし、それだと一生若手が将来を想像できない」ということで
自分が「自分の居場所は自分でつくるんだ!」と言って率先して直接的な顧客の転職サポート以外のことも手を出してたし、スペシャリスト的な役職にもついて、講義の場に立って持論を話しまくっていた。

今思うと、本来はそのベテランが腐らずに自分の能力や特色を生かして、自分で居場所をつくるべきでもあったと思う。もちろん会社側の努力も必要だけど。
実際、入社してから退職するまで、ずっと育成者不足とか、部の半分以上が新人とか、新人ばっかで知識が無いので助けてあげてください!って全部の部が全部の部に対して言っていたから。


顧客側にも同じようなことを思っていた。僕は人材紹介をメインとしながら人材系の商材を全般扱う法人営業と、キャリアアドバイザーと、ヘッドハントと、広く経験をしていた。対応顧客もイレギュラーでなんでもありだったけど、IT業界は一貫してずっと対応していた。

ITの世界では一般的にはプログラマーは価値が低い。
でも、優秀な設計者やプレイングマネージャが夜鍋して解析できないバグでも、一瞬で特定しちゃう下請けの下請けのプログラマーもいる。
逆に、コードや設計が分からないプロジェクトマネージャは不要という会社も多いけど、何のこっちゃ中身を知らなくてもプロジェクトを進められちゃう人もいる。同じように、なぜかその人であれば関係者を良好に動かしてしまうコンサルタントもいる。(そういうのやめて、、と思ってる人も沢山いると思うけど)
キャリアアドバイザーをやっていた当時は、目の前のお客さんのこの厚みや深さをどう活かすかに力を使っていた。端的な職務経歴書では読み取れない良さをどう表現してどう伝えるか。

思い返すと、お客さんの支援についても、会社内での活動についても、いつもモチベーションは、不当だと感じることに対しての助力や責任だった。


なんでこんな扱いなんだ。なんで良さがわからないんだ。なんで良さがわかってるのにそれに対価が無いんだ。
エージェントなんだから、この人は、この会社は支援しないといけない。できないといけない。これを活かすのが世のためだ。

本当にそう思って仕事をしてきた。
おかげさまで、社内で紹介されるようなサポート事例は沢山作った。

分かってもらえないことの辛さがわかるから。分かってもらえない人を見ると辛くなるから。誤解されたくないから。分かってほしいから。
だから、自分だけでも分かってあげて、意地でもなんとかしたい。

人を救っているようで、自分を救おうとしていた。


僕の母親は割とヒステリーで、謎なポイントで制御不能なくらい怒ったり、そもそも思い込みが多くてそのモードに入ったら言葉が入らなくなることが多かった。(もちろん優しくて愛情深くて、仲も良かった。めちゃくちゃお母さん子だった)

僕としてはショックで驚いたことも沢山あった。
既に小学校に入る前には、制御不能になっている(本当はそうじゃないかもしれない)母親を見て妙に冷静になっていた。自分がしっかりしないといけない。母親を守らないといけない。
愚痴もすごく多かった。僕は愚痴を話す相手でずっと聞いていた。

父親も自己表現が苦手なタイプで、母親には相当、母方の親戚にもあまり好かれていなかった。
僕も苦手で、父親とはどう接していいかわからなかった。けど、根拠なく好きだし、かっこいいし、憧れでもあった。
その父親が誰からも分かってもらえず、本人がいる目の前で陰口を言われていたり、どう接していいかわからない対応をされていたり(実際超わかりにくい)、母親からあからさまな嫌な態度を取られているのをずっと見ていた。
だからなのか、分かってあげたくて、無意識に父親の愛情を見つけよう見つけようとしていた。

子どもなりに不器用に両親ともを分かってあげようとしていた。
分かってあげるために、反論をせずに愚痴を聞き続けて味方になろうとして、制御不能になってるときも自分が防波堤になろうとしていた。
分かってあげるために愛情を見つけようとしていた。

本当は自分が分かってほしい。悲しむお母さんは見たくない。悲しむお父さんは見たくない。悲しむお兄ちゃんは見たくない。誰も傷つけたくない。
でも、両親の仲が悪いこと、好きな人が好きな人を嫌って傷つけていること、兄が自分と比べられて傷ついていることが悲しくて、でもそれを無意識に家族に負担を掛けないように自分のなかで押し殺して無いことにしていた。

これが、自分のなかでの「分かってほしい」の大きな一つ。
ただ、仲良くしたいだけ。
ただ、その人がその人として笑っていてほしいだけ。

でも、自分のせいで僕を苦しめたと捉えてほしくなくて
僕のせいで相手を悲しませたくなくて
僕の悲しみは自分のせいだと責任転嫁してると思われたくなくて
嫌われたくなくて、まったく出せなかった、辛かったこころ。

いや、十分甘えてたよ。甘えに甘えてた。

でも、一番甘えたいところ、一番弱音を吐いて駄々をこねてわがままを言いたかったところを我慢していた。

だからこそ、本当に頼りたいことを頼れなかった幼い自分のために、頼りたいときに人を頼る。
嫌われるのが怖くて本音を話せなかった幼い自分のために、嫌われたとしても本音を話す。(多分嫌われない)
自分が強くなって守らないといけなかった幼い自分のために、強がりに気づく。

怖い怖い。





う〇こ

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