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四書五経【大学】07 「伝」五章〜格物致知〜

本日は「伝」五章。
「伝」五章は、八条目の" 格物致知”について書かれてあります。


■ 冒頭が消えた...!?

ただこの章は今までの章とは違い、いきなり最後のまとめのような句からはじまります。冒頭に本来あった文は、秦の始皇帝がおこなった「焚書坑儒」のために失われてしまったとか。

そこで程子の説を参考に&他の章に似せて、朱熹が欠落部分を記載(=格物補伝)したのが、この「伝」五章になります。

「大学」の中で最も大切な章のひとつである「伝」五章、本文に入っていきたいと思います。

■ 知を致すは物に格るに在りとは

所謂知を致すは物に格るに在りとは、吾の知を致さんと欲せば、物に即(つ)いてその理を窮むるに在るを言うなり。蓋(けだ)し人心の霊、知あらざる莫(な)し。而(しか)して天下の物、理あらざる莫し。
惟(た)だ理において未だ窮めざるあり、故に其の知尽くさざるあるなり。
是(ここ)をもって大学の始教は、必ず学者をして凡(およ)そ天下の物に即(つ)きて、その已(すで)に知るの理によって益益(ますます)これを窮め、もってその極に至らんことを求めざる莫(な)からしむ。

<現代語訳・解釈>
知識を完全なものにしたければ、個々の事物について、そこに内在する原理を究めつくすべきである。

人の心は生まれながらに霊妙さをそなえ、どんな場合でも、ものを究めようとする力がはたらく。

同様に、あらゆる事物にも原理・法則がそなわっている。

ただ、実際には、事物に内在する原理・法則を十分究めつくしていないため、知識にも十分ではないところがあるわけだ。

そこで学問に取り組む場合、事物について既に知りえた原理を手がかりに、ますますそれを推し究めて、最高の域に到達することが大切だ。

名称未設定のアートワーク 15

■ 豁然貫通

力を用うるの久しきに至って、一旦豁然(かつぜん)として貫通すれば、則ち衆物(しゅうぶつ)の表裏精粗(せいそ)到らざるなく、吾心の全体大用(たいよう)明らかならざるなし。
これを物(もの)格(いた)ると謂う。これを知の至りと謂う。

<現代語訳・解釈>
こうして長い間、努力に努力を重ねていれば、ある時、からりと突き抜けた境地になり、あらゆる事物について、表裏精粗が、すべて明らかになる。(=豁然貫通
同時に自分の知識は完全なものになり、見解もすっきりしたものになる。

原理を究めつくす知識を推し究めるとは、このことである。


参考文献:
・大学/宇野哲人全訳注
・マンガ孟子・大学・中庸の思想/蔡 志忠著

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