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四書五経【大学】05 「伝」三章・前半 〜至善に止まる〜

本日は「伝」三章。「伝」三章は、三鋼領の"至善"について説かれています。


■ 止まるにおいて、その止まる所を知る

詩に云く、邦畿千里(ほうきせんり)、これ民の止まる所と。詩に云く、緡蠻(めんばん)たる黃鳥(こうちょう)、丘隅(きゅうぐう)に止(とど)まると。子、曰く、止まるにおいて、その止まる所を知る。人をもってして鳥に如かざる可けんやと。

<現代語訳・解釈>
詩経にはこのように記されている。
-- 天子が住む邦畿は縦横千里もある都で、国民の住む所となっている。
-- さえずり鳴くウグイスは、丘の一隅の木の間に羽を休める。

物みなその止まるところ(住むところ)があって、小鳥でさえ住む場所を心得ている。
まして人として生まれながら、小鳥にも及ばなくて良いのだろうか。

■ 人の子となっては孝にとまる

詩に云う、穆穆(ぼくぼく)たる文王、ああ緝熙(しゅうき)にして敬して止まる。人の子と為っては孝に止まる。人の父と為っては慈に止まる。国人(こくじん)と交っては信に止まる。

<現代語訳・解釈>
また詩経にはこのように記されている。
-- 徳高き文王や武王のことは忘れない」とある。明徳の人物人々の心の奥に感動を与え、その感動が連鎖するため、彼らがこの世を去ってもは絶えず光り輝いて至善の境地にとどまっておられる。

とどまるとは、このようなことである。
▷仁:君主となっては仁愛を発揮する
▷敬:臣下となっては敬い仕える
▷孝:子となっては孝をつくす
▷慈:父母となっては子を慈しむ
▷信:友と交わっては信義を守る

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■ 切磋琢磨せよ

詩に云く、彼の淇澳(きいく)を瞻(み)れば、菉竹(りょくちく)猗猗(いい)たり。斐たる君子あり、切(せつ)するがごとく、磋(さ)するがごとく、琢するがごとく、磨するがごとし。瑟(ひつ)たり僩(かん)たり、赫(かく)たり喧(けん)たり。斐たる君子あり、終に諠(わす)る可からずと。

<現代語訳・解釈>
詩経にはまたこううたっている。
-- 淇水(中国に流れる川)の曲がりくねった奥まった所に、緑の竹が美しく生い茂っている。

人格がすぐれた君子は
学問にはげむこと
▷骨を切るがごとく
みがくがごとく=磋
身をおさめること
▷玉をうつがごとく=琢
磨くがごとし=磨

おごそかで気品に富み光り輝いている。
人格がすぐれた君子はまことに忘れがたいものである。

名称未設定のアートワーク 11

参考文献:
・大学/宇野哲人全訳注
・マンガ孟子・大学・中庸の思想/蔡 志忠著


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