『never rarely sometimes always』 勇敢な旅?少女たちは過酷な旅にしか出られないーそれが、この世界のルールだから。『17歳の瞳に映る世界』エリザ・ヒットマン監督作品
全面的に映画の中身について語りますので、これから観る予定の方、内容を知りたくない方は、後々にお読みください。
『17歳の瞳に映る世界』邦題の意味はよくわからない。原題は『never rarely sometimes always』 「 ない まれに 時々 いつも」。
おそらく配給会社は、こちらの方が意味がわからないし、集客も出来ないと考えたと想像できる。美少女二人がクローズアップされる宣伝ポスターやチラシ(フライヤーですか)も、「少女たちの勇敢な旅を世界が絶賛」という煽り文句も。つまりは、要するに、彼女たちが生きる世界ーそのものを表している。
17歳 少女 それだけで振り向かれる。あるいは、それしか振り向かせる要素がないのだと。しかし、肝心の映画本体の宣伝CMの始まりは、こうだ。
「男だったらと思う?」
「いつも」
思春期だからーと母親や周囲の人たちに、不貞腐れている、反抗してるだけだと受け取られている17歳、高校生のオータム(日本でなら「女子高生」と呼ばれる)ある日、学校に行くふりをして一人施設を尋ねる。そこはレディスクリニックで、検査を受け、妊娠10週を超えていると告げられる。
オータムは、誰にも相談しない。母親にも学校の教師にも。周りの大人は、誰一人も彼女の置かれた現実に気が付かない。ただ一人気がついてくれるのは、いとこのスカイラーだけ。すごい美人だ。めっちゃ可愛いってやつだ。
オータムは、ネットでググって堕胎の方法を探す。「一人で出来る」のではないかと考える。ここで決定的にオータムは、妊娠出産について無知なことがわかる。
映画を見ているわたしの中に痛みが走り始める。
一人では無理だと観念したオータムは、さらにネット検索し、ニューヨークシティでなら可能な場所があるのを知る。でもオータムにそんなお金はない。スカイラーと一緒に、スーパーでレジのバイトをしているくらいだから家も裕福ではない。
バイト先でオータムの事情を知ったスカイラーは、レジの精算金をかすめとる。いつもいつもベタベタのセクハラしてくるキモい店長に未練などないとでもいうように。二人は、ひっそりと明け方の長距離バスに乗る。
映画の中では、とくだん何も起こらない。ただ淡々と二人の少女が、堕胎をしてくれる施設にたどり着き、日帰りはできず、市街をひたすらうろつき回って時間を潰し、朝が来て、また施設に行って、やっと手続きをし、オータムは、とうとう目的を達成し、疲れ切って故郷に帰る。
本当に、ただ、それだけの映画。
『17歳の瞳に映る世界』という邦題に意味があるのだとしたら。オータムとスカイラーに関して、彼女たち以外からの説明は、どこにもない、ということくらいだろうか。
わたしたちは、知ることができない。なぜオータムは妊娠したのか、なぜ何もかも一人でやり過ごそうとするのか。どうしてスカイラーしか助けはおらず、そして、なぜスカイラーは、オータムを助けるのか。
彼女たちは、彼女たちだけでしか、いられない。だから、この世界は、そのようにしか出来上がっていないからなんだって。
オータムを妊娠させた相手は誰か、とうとう最後まで明かされないが、映画は、わたしたちに想像しろ、考えろ、あなたは、理解できるはずだとスクリーンの向こう側からシグナルを出し続ける。
never rarely sometimes always
ない まれに 時々 いつも
とは、オータムが、望まない妊娠による人工中絶を支援する団体(アメリカ社会には人工中絶を禁止している州もある。ペンシルベニアでオータムは「中絶の罪」をプロパガンダするビデオも見せられる)でのカウンセリングを受けるシーンでの「答え」のことだ。
支援施設は、全員女性で、男の医者などは見えなかった。
初めての性交はいつでしたか
最後の生理はいつでしたか
これまで何人と関係しましたか といった「答え」のある質問から始まり。
強要されたことはありますか
嫌なのに応じたことはありますか
暴力を受けたことがありますか
ない まれに 時々 いつも
どれに当てはまるか。
オータムは、だんだん答えにつまり、涙を流す。相談員は、今答えなくてもいいのよ。話したくなったら電話してもいい。と優しく話しかける。(アメリカではニューヨークでは、こういう女性の尊厳を守る人権運動や団体があるのだなと感心しながら。日本はどうなのかなと思いながら。)
想像力のある人間ならば、映画をみていれば、思いつくはずだ。オータムを妊娠させたのは、同居している父親だと。年の離れた妹弟がいる、母親の「父親らしくして」と促す態度から見て、継父なのだろうとも。
オータムは、家庭で性的虐待を受けている17歳の少女であり、だから、たった一人で何もかも引き受けなければならないと思い込んでいる。好きな彼氏と付き合って妊娠したとしたら、少なくともママには話せる、ママに相談することは出来る。ママに助けてもらえる。それなら「ママと同じ」だから。
でも絶対にママには言えない。ママの彼氏とセックスしたなどと告白すれば、今ある世界は、すべて崩れる。何もなかったことになれば、今ある世界は守られる。自分さえ、元の自分に戻りさえすれば。
なぜ? どうして?
オータムは、自らを傷つける者に怒りを向けない。ただ無視し沈黙するだけ。自分を蔑ろにする世界を壊すのではなく、自らをさらに傷つけることによって、世界を守り、維持しようとし続けるのか。
「弱い」
オータムは、知ってる。自分に何の力もないことを。オータムは知ってる。戦おうとしたところで責められるのは自分だと。
お前が、誘ったのだ
お前は、メス犬だから
俺のせいじゃない 男のせいじゃない
お前は、女なんだから。
世界は、がなりたてる。いつも、いつも、どこでも、どこにいても。
女なんだから、生理が来て、血を流し。股ぐらにナプキンを挟み
女なんだから、男に求められたら 体を開き
女なんだから妊娠したら、「あなたは、今一生のうちで一番美しい音を聞いているのよ」と、胎児の鼓動を聞かされ。
産みなさい、育てられなければ、養子縁組に出しなさい
母親の気持ちは、母親になればわかる。わたしも母親だから
女だから母親になるのかって?
望まないなら選んでもいい。あなたの意思で選ぶの。大丈夫よ。産む産まないの選択は、あなたにある。
女だから 分娩台と同じ処置台にあがり また股を開いて
オータムは恐怖を堪える。たった一人で麻酔薬の力で眠りに落ちていく。
映画を見ている、わたしの中の痛みは、瞬く間に、怒りに変わる。
なんで、なんで、なんで? どうして、どうして、どうして?
こんな目に逢う? いや遭わされる?
答えは、一つしかない。
おまえが、女だからだ。
怒りに、胸がつぶれそうに なりながら。
NY についても、電車の中でも、オータムとスカイラーを取り巻く視線は、ねっとりと「女であること」に向かってくる。
オータムは、無視し続けることで、そのねっとりした目と戦っているが、実のところは、何もできない。オータムを助ける使命を抱いたスカイラーは、実働戦士だ。何によって?
スカイラーは、たまたま出会った若い男の欲望を操り、足りないお金を借りることに成功する。結局「女を売る」のかよ。唾を吐かれるの?
じゃあどうすればいいっていうの?
どうすれば、このただひたすらに残酷な世界で、彼女たちは。
17歳の少女たちの勇敢な旅ーどうしてもそう言いたいのだとすれば。誰も助けてくれない、たった一人の弱い少女でしかいられないなら。せめて、たった一人の自分になろう。
頑なに唇を閉じ、密かに宿った命を葬り、その「罪」と呼ばれる責任を、全ての痛手と悲しみ、苦しみを引き受け。それでも一人の「わたし」になる。
ない まれに 時々 いつも
どんな答えでも、生きているのは わたし。
オータムの意志を共有するスカイラー。わたしとわたしが、小指を繋げる。そのほんのわずかなリングの熱が、彼女らをこの世界に生かす、確かなもの。
「17歳の瞳に映る世界」ーそれは、すなわち、わたしたちが作ってきた世の中の仕組み。彼女らを「弱い」存在にしてるのは、何か。彼女らを「勇敢」と呼ばなければならない側の都合は何か。彼女らをねっとりと見ている視線の持ち主は、誰か…。
一切合切なにも振り返らないのだとしたら。すでに大人になったあなたが、この映画に出会う意味は、どこにもない。そして、ならばこそ、あなたは、この映画に出会う意味がある。
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