見出し画像

『アメイジング・グレイスーアレサ・フランクリン』1972年、教会から聞こえる歌声は、神とともにありー

小さなシアターの暗がり。上映が始まる前の広告タイムは、長すぎたり多すぎたりで不満の人も少なからずいるけど、わたしは嫌いじゃない。何事も出会い。映画との出会いのきっかけになるのは、間違いない。

その日、何を見に行ったのか、もうすでに忘れちゃったのに、忘れられなかったのは、前宣伝で聞いたアレサ・フランクリンの歌声だった。誰もが知っている名曲「アメイジング・グレイス」。

アレサ・フランクリンは、超有名な黒人ソウルの歌手。音楽好きの夫が持っているレコードが家にはある。わたしとアレサの間には、それくらいの接点しかない。なのに、涙が流れた。その歌声を聞いた間際から。体が揺れだした。ただの宣伝なのに、ずっと見ていたい。ずっと聞いていたい。そんな気持ちになって。

やっぱしアレサ・フランクリンて、凄い歌手なんだなあ。ろくに知らないで来てしまったけれど。この映画は必ずや見に来よう。そう心に決めていた。

札幌のシアターキノでの上映は、5月28日から。数日後に出かけた。すごく楽しみにしてたから、ワクワクドキドキしながら席に座る。しかし、どのドキドキは、始まってすぐに違う種類のものに変わった。

この映画は、1972年、1月、ロサンゼルス ニューテンプル・ミッショナリー・パブティスト教会で撮影、録音された。当時も映画として公開される予定だったが、技術的な問題で頓挫していたライブ映像を、49年ぶりに再生、完成させた作品だ。プロデューサーは、スパイク・リー。

わたしの映画を見る時の心構えとして「前情報を入れない」というのがある。前情報を入れすぎると先入観になって、目が曇るというか、それこそ「出会い」がなくなってしまうので。直感的に「これは見てみたいな!」と思った映画ほど何も知らないでいようとする。

『アメイジング・グレイス』は、音楽映画なので、なおさらだった。下手に情報知識を入れると耳まで聞き方が傾くから。家にあるアレサのレコードも聞いてみようとは思わなかった。見終わったらでいいと。

だから、やっぱりわたしは、何も知らなかった。映画はライブ映像なのは知っていたが、教会で撮られたこと、アレサの歌う楽曲、全曲がゴスペルー黒人社会におけるキリスト教の賛美歌ーであること。そもそもアレサ・フランクリンが、教会で生まれ、ゴスペル歌手から「世俗の歌手」に転向したことすら、知らなかった。

どうであれ、映画は始まる。教会に集まる人々の向こう側から、アレサ・フランクリンは現れ、紹介され、歌い始める。その一声は、なんと表現していいのか。非常に悔しいけれど。陳腐な言葉しか出てこない。天上に響く声ー美しい、真っ直ぐに聴く者の胸に飛び込んでくる。49年前の音源とは到底思えない。たった今、そこで歌っているような。

教会に集まった人々の顔、うっとりとした表情、尊いものを見たときの感覚。音楽の喜び、自然と体が動き出すリズム、感情や感覚。宣伝を見た時から、画面に映る人たちが、一人一人、全員アレサの歌に集中しながら、一人一人の世界に入り込んでいる様子が印象的で。

日本のコンサートは、全員同じ振りやコールで一体感を醸し出すのが、盛り上がりの象徴のようにされている。わたしは、そもそも意図されてみんなと同じフリをしたりコールするのは、苦手で。自然になるならもちろんいいんだけど。感情移入が激しく、一人で盛り上がったり、予期せず感情が噴き出したり、思わず大声を出したりしてしまうタイプで、いつもコンサートや野球場でもやっちまって自制するはめになるので。

アレサの歌に、みんな勝手に自由に反応しても、誰にも怒られないし、恥ずかしくもないし、むしろ当たり前な光景が、好ましく、羨ましかった。

前半部分のクライマックス、タイトルでもある「アメイジング・グレイス」は、やっぱり素晴らしかった。聞いていて涙が溢れ、止まらなくなる。感動している…感動してるんだよなあ…多分…。

涙が止まらない自分と、冷静な心の自分は、完全に分裂していた。

映画の冒頭から、わたしの頭は、冷却され、耳と身体だけは、音楽を聞いているような感覚だった。なぜかというと、アレサの歌と観客と一体となっている音楽は、教会ーキリスト教の集会で奏でられているゴスペルであり、ゴスペルはアメリカに奴隷として連れてこられたアフリカ系黒人によって形成されてきた賛美歌、宗教音楽だからだ。エンタメとしてのソウル・ミュージック、アレサも歌うラブソング、ポップ・ミュージックじゃない。

アレサは、真実に本質的な意味での賛美歌を歌い、教会の壇上で、神に歌を捧げ、祈りを捧げている。このライブ映像は、そういう意味を持って、そこにあるのであって、ただ教会で撮りました〜アレサの歌です〜♪というものでは決してない。

美しい声、超絶的な音感、微動だにしない波長、時には空気を切り裂くようなシャウト。トランスを生み出すソウルマインドーアレサ・フランクリンの歌手としての才能と表現を楽しめばいいのだーという向きもあるのかもしれないし、別にそれも間違いではないと思う。

だけど、わたしは、そう単純な頭にはなれなかった。アレサの捧げる先の神とわたしに接点はない。信仰がないからだ。

信仰がない者と、信仰がある者との間には、決して渡ることのできない断絶がある。断崖絶壁の向こうとこちら。モーゼの十戒でないけどさ。海が割れた壁の向こうとこちらに、アレサとわたしはいるようなもの。

映画を見ている間中、わたしは、緊張していた。緊張して、体が硬くなり、見終わったら、疲れ切っていた。

本来は、自分がいるべきでない場所に「まあ気軽に来てみてよ」と誘われたつもりで、ホイホイと軽い気持ちで出向てみたら、全くの場違いであった。そう気がつきながら、目が離せなくて、じーっと見つめてしまい続ける。みたいな。

ずっと(これってなんだろう)と思いながら見ていた。アレサの歌う神様への賛美歌ー日本語訳ーは、一言一句、理解できない。でも、この映画と映画でのアレサの歌を「好き」といったり「感動した」と言ったり、もしもしたいのだとしたら、理解できなければ、絶対に始まらないし、ありえない。

白人のキリスト者や日本人のキリスト者にも、厳密には理解できはしないはずだ。アメリカに連れてこられた黒人奴隷の中から生まれた「黒いイエス」の物語と神の世界を。

当然、わたしには、理解などできるはずはない。「わからない」のが当たり前田のクラッカー。そして、だからこそ。まるっきりわからないからこそ。それでもなお聴こえるアレサの声は、なぜわたしの心を揺さぶるのか。体はリズムを刻むのか。涙は流れて止まらないのか。

音楽が、あるからだ。

音楽が、わたしたちの間にある断絶の川を 断崖絶壁の、向こうとこちらを超えて、流れてくる。音楽だけが、繋がれない、わたしたちを繋いでいる。

ただ、その一点突破でのみ。『アメイジング・グレイス』を見る意味と価値はある。「わからない」から始まる道を、開いて。

信仰がないわたしですが。感謝します。

音楽をわたしたちに、この世界に、与えてくれたこと。



付け足し

1972年当時『アメイジング・グレイス』の撮影をしたシドニー・ポラック監督。『愛と悲しみの果て』(85)でアカデミー賞受賞ってパンフに書いてある。それより『ひとりぼっちの青春』(69)の監督だったのか!?

子どもの頃、いつごろだったかもう記憶が曖昧ですが、多分、淀川さんの日曜洋画劇場だと思う。テレビで見て、すごく印象に残っている。ヘンリー・フォンダの娘…なんだっけ? ジェーン・フォンダが主演だったはず。

詳細は、忘れてしまったけれど、アメリカン・ニューシネマ的な諸行無常のアンハッピーエンドの話。ご都合主義でない、生きることの理不尽に触れた、最初の体験のように心に残っている。

たった今、ウイキペディアで調べてみた。記憶の中よりもっと悲惨な話で、そりゃあ子どもが見たら忘れられないような…。

今から思えば、淀川さんのセレクトは、硬軟含めてといいますか、エンタメと問題作とでもいいますか、テレビの前のわたしたちの無意識に、豊かな映画の世界を刷り込むものだった。

20代を過ぎて『淀川長治自伝』を読み、大変に感銘を受け、一気に淀川ファンとなり、映画を学んだわたしでしたが。それ以前から、淀川さんに導かれていたんだなあって感心してしまう。決して水曜ロードショーでも金曜洋画劇場でもなかった。覚えてるのは、日曜洋画劇場なんですよね。

『風とともに去りぬ』と『悲愴』 これがまた強烈な記憶なんですが。例によって長くなるから。またの機会に😀









この記事が参加している募集

映画館の思い出

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?