『新聞記者』が、語るものとは何か。観る側に問われる答えーでも、わたしが涙したのは、ただ一人の女についてだった。

今のところ最も信頼できると思われる、映画の語り部・町山智浩さんのこの言葉に、映画『新聞記者』を見ようとする価値は、凝縮されている。

わたしが付け加えることは何もない。ストーリーをなぞる紹介も必要ない。見たいと思った方は是非、観に行かれてください。

そして、ここからは、わたしが映画を見て、心を打たれた事柄について語りたい。W主演の一人である、シム・ウンギョンー吉岡エリカについて。

吉岡エリカは、米国育ちの帰国子女で、父は元新聞記者。とあるスクープを誤報とされたことで自殺してしまった過去を持つ。母は韓国人で、すでに亡い。

この映画は、現実の東京新聞社の記者ー望月衣塑子『新聞記者』を原案とし、現安倍政権の批判でありプロパガンダ映画であるために出演をOKする女優が居らず、難航した結果、韓国女優であるシム・ウンギョンが選ばれた、とネット上で、まことしやかに伝えられていた。

わたしもへーそうなのかあ。さもありなん?とうがった気持ちで観に出かけたのだけれど。(もしもその噂が真実だったとしても)ならばそれは、この映画には、彼女が真実に、選ばれるべきであったからだ。

帰国子女で日本語は覚束ないが、英語はネイティブに近い。父をも殺されながらジャーナリストとして、この国のマスメディアに生きる。

吉岡エリカは、この国でたった一人。家族もいない。夫も恋人もいない。全き、孤独を生きている。そんな彼女が、日本のトップで何が行われているのか、真実を探り国民に「真実を届けたいのです」と内閣府調査室のエリート官僚杉原に訴える。

何も持たず、しがらみも持たず、言わば素裸の女が、国会議事堂の前を携帯電話にすがりつくようにして、走る。走る。走りつづける。

わたしは、涙が止まらなかった。席の周りで泣いている人は誰もいなかったけれど。泣けて泣けて仕方がなかった。

吉岡エリカは、なぜあんなにも一人ぼっちなのか?

どうして、あそこまでたった一人で闘わなければならないのか?

彼女は一体何と闘っているのか?

何かと闘わなければならないと、気がついた。どうしても真実を知らなければならないと気がついた、それを誰かに知ってもらわなければならないと、信じようとするー女ーは。

一人でいる、しかないからだ。たった今、このわたしたちの国では、そうであることしかできないからだ。(映画の中でレイプ事件を告発する彼女もそうであるように)

男には、妻がいる。官僚機構と戦おうとした杉原にも、自殺してしまった上司にも家族がいる。男の下には何かがいつだってぶら下がっている。ことになっている。

女は違う。女の下には何もない。ことさら、その男が構成する社会と戦おうとする女には、この社会は何も与えてはくれない。

だからこそ、吉岡エリカは、はじめから何も与えられていない女でなければならなかった。

たった一人、真実を伝えるために、交差点の信号の下に、立ち尽くす。向こう側には、社会に正義を向けたいと願いながら、家族と自分の身分を思い惑う男が立っている。

彼女は、吉岡エリカは、全き女ーわたしーとして、忽然と立ち尽くしている。

日本の映画が、そのようにしてー女ーを描いたことが、あったのか。

不勉強にして、わたしは、知らない。















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