見出し画像

変わらないけど自分にとって大切なもの

去年の自分と比べて、何ができるようになったのか、これから何を得たいのか。去年想像もできなかったことができているか、来年はどうか。

そういう価値観の中では、去年と変わらないこと、何年も変わらないことは、努力不足で怠惰、コンフォートゾーンから出ず挑戦しなかった、ということになっている。

変わらないことは無価値である、と。

でも本当にそうかしら。

春の陽気に心がふわふわしながら、フルートのレッスンに向かう途中、ふと前にも同じ光景をみたような気がする。

毎日こうだったらいいのにな、今とっても幸せだな。

そう思ってルンルンしながら、フルートのレッスンに向かったことが前にもあった。

1年前まで暮らしていたシドニーで。

そこでも大抵レッスンは土曜日で、ローズビルにある先生の家まで、最寄りのバス停から15分ほど歩く途中。

道の脇の庭を眺めて、その庭の花の一つから種が数年前に運ばれて根付いたのであろう、道端の花を見つけては写真をとりながら。

ほらね。

あるいは9年前まで暮らしていた仙台で。

そこでもレッスンは大抵土曜日で、やっぱりバス停から先生のお家まで坂道で、気持ちが良い日はわざとのんびり歩いたっけな。

なーんだ、場所が変わっても、年齢が変わっても、私がやってることはあんまり変わらないんだな。

幸せと感じること、土曜日にすること、好きな季節、お花を探しながら歩くこと。

少し自分に呆れると同時に、嬉しくもなる。それってすごく幸せなこと。

普段生活していると、自分がどれだけ成長できたのか、自分ができなかったことがどれくらいできるようになったのか、つい少し前の自分と競うように確認してしまう。

でも、強制的にいつも通りには動けない今、普段できない振返りの時間をもらっているのかもしれない。

長く生きているうちに、大切な人とさよならしなきゃいけないことも、大好きな場所から離れなきゃいけないこともあるけれど。

多くのものが、同じようでいて少しずつ変わるけれど。

場所を変えてもついてくれるもの、辞められないこと、変わらず続けることがあることは、実はすごく幸せなことだなぁ、と思ったのでした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?