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10年越しの猫たちとの再会

25歳の初夏、鎌倉に行った。何もかもが新鮮で楽しかったあのころ。社会人になりお金も自由に使えるようになっていた。行きたいところに自由に行けるようになっていた。まだまだ知らない素敵な場所にもっともっと行ってみたい!そう思っていたあの頃。

静かな時間の流れる甘味喫茶

初夏の鎌倉はひっそりとしていた。女子二人の鎌倉旅。海水浴にはまだ早く、紫陽花はもう終わってしまったその季節は人影もまばらだった。

サーファーでにぎわう海沿いも華やかですてきだけど、北鎌倉の渋い雰囲気に魅了された。いまでも思い出すのは人気のない静かなあの時の北鎌倉。

歩き疲れた私たちは一軒の甘味喫茶に入った。高齢のご夫婦二人で営まれているらしいその店で私たちはあんみつやくずもちや日本茶を注文した。テラス席もある店内の窓は開け放たれており、きれいに手入れされた庭が見渡せた。

その庭に4,5匹の子猫が楽しそうにじゃれあっているのが見えた。

猫好きの私は思わず庭に出て子猫たちを撫でた。どの猫も活発で好奇心旺盛。私たちの手にじゃれついて元気に遊んでいた。注文をとってくれたおじいさんが私たちの様子を見て困ったように微笑みながら言った。「数カ月前に母猫がここに生み落としちゃってね。仕方なく飼うことにしたんですよ。」

困りながらも愛しくてたまらないといった眼差しで子猫を見つめる優しそうなおじいさん。店内で食べたあんみつやくずもちも美味しかったが、何より子猫とおじいさんの存在がこの店を北鎌倉の町と同じように静かで特別な時間の流れる美しい場所にしていた。

その後いろいろ旅をしたけれど

鎌倉に一緒に出かけた友だちはその後旅仲間となり、二人で何度も海外に出かけた。ドイツ、ギリシャ、トルコ、アメリカ。どの国もどの場所もとても素敵だった。しかし私の記憶の中で北鎌倉の子猫とおじいさんがいるあの店は特別な地位を守っていた。ほかのどこにもない特別な場所として。

それほど印象に残る素敵な場所だったにも関わらず、なぜか私は長い間その店を再訪しなかった。その後も何度か鎌倉方面を訪れることはあったが、江ノ島や葉山やJR鎌倉方面どまり。再訪したいような、記憶の中だけに保存したいような複雑な気持ちだった。

10年後の初夏の北鎌倉

いつの間にか私は35歳になっていた。結婚して子供が生まれ、その子供は2歳になっていた。大好きな北鎌倉を見せてあげたい。ふとそう思い、北鎌倉に出かけた。その時もやはり季節は同じ初夏だった。

北鎌倉の雰囲気は10年たっても少しも変わらず、無人駅から降りて明月院までの歩く道すがら、例の子猫とおじいさんのいるお店を発見した。懐かしくなり迷わず店内に入った。

店内の雰囲気もあの時のまま、まるであの時から一週間しかたっていないような錯覚を覚えるほど。


そして私は見つけた。3,4匹の猫が店のあちこちにいるのを。もしかしたらあのときの小猫かも、そう思うと胸が高鳴った。

触っても眠くて仕方がないというように片目を開けてこちらをちらっと見るだけ。警戒心のなさが大切にされ穏やかな暮らしをしていることを感じさせた。

かつての子猫たちは眠くてたまらない大人に

しばらくしておじいさんが注文を取りにやってきた。私は思わず聞いた。「10年前にこの店に来たんです。その時お庭に子猫がいっぱいいて…この子たちはその時の猫ちゃんですか?」

おじいさんは少しびっくりしたような、そしてやがてうれしそうな笑顔になり言った。「10年前に来てくれたお客さんですか。そう、あの時の子猫たちですよ。こんなに大きくなっちゃってね…」動かず眠り続ける大きくなったかつての子猫たちを困ったような愛しくてたまらないような顔で見つめながら。

私はおじいさんとかつての子猫たちが元気だったことがたまらなくうれしかった。おじいさんの愛情が変わらずこの店にあふれていた。変わったのはじゃれる代わりに眠り続ける猫たちのその姿だけ。

さらに10年たった

あれから、さらに10年の月日が流れた。あの店はあるだろうか、おじいさんとかつての子猫たちは元気だろうか。店名を覚えていない今となってはインターネットで調べることもできない。

おじいさんと子猫たちが幸せに暮らしていたあの店は今でも私の心の大切な場所に保管されている。そしてこれからもずっと、初夏が来るたびに思い出す。おじいさんと猫たちの愛情あふれるあの店を。

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