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メルボルン~私の初めての海外留学~ その2

マックと涙のサンドイッチ

私はこの家庭にクラスメイトの友人と二人でホームステイした。
午前中は市内の語学学校へ通い、午後はそれぞれ自由に街を散策、5時までにステイ先に戻る、というのがルールだった。

昼食代はステイの代金に含まれていないので、各自どこかで調達しましょう、と学校から言われていたが、私たちのホストはお弁当を用意してくれた。
お弁当は毎日同じメニューで、ハムサンドとリンゴにビスケット。
しかしこのハムサンド、日本のパンと食感が違い、パサパサして飲み込みにくい。
毎日私たちのために朝から作ってくれているかと思うとありがたかったが、少しだけマックを食べている友人が羨ましかった。

隣でおいしそうにマックを食べる友人たちを横目に、このありがたく、そして飲み込みにくいサンドイッチを涙を流さんばかりに感謝しながら食べる私たちであった。

アボリジニアートのブーメランと名前のないバス停留所

私たちは語学学校のレッスンが終わるとひたすら毎日ケンドーンショップ(オーストラリアで有名なデザイナーのグッズを売る店)と免税店に通った。
当時メルボルンには、今のようにおしゃれなお店がたくさんなかったのは事実だが、他にも観光する場所はあったのではないかと思う。
だが、私たちはひたすらケンドーンと免税店をエンドレスに回り続けた。
免税店で私はアボリジニアートのブーメランを一つ買った。(一体何に使うつもりだったのやら、、、もしかして狩り?!)

語学学校からホームステイ先まではバスで通った。
私たちの降りるバス停には停留場の名前がなく(もしかしたら覚えていなかっただけ?!)バスは、景色をよく覚えて降りる停留場の手前でひもを引いて車掌に知らせるという原始的な仕組みが取り入れられていた。

初日の朝、目を皿のようにしてバス停付近の景色を眺め記憶したのだが、帰りにはどの停留場も似通った景色に見え、案の定乗り過ごしてしまった。

バスを降りてやっぱりここじゃない!と歩いてバスで来た道を戻り、、、家に辿り着いたのは6時近く、あたりはすっかり暗くなっていた。


ホストマザー、心配しているかな、怒ってるかなと不安になりながら家に帰った。
「sorry!」と何度も繰り返す私たちがおかしかったのか、「Oh,sorry.Dont say sorry!」と大爆笑するおおらかなホストマザーであった。

カンガルーとワラビーとタスマニアデビル

週末は観光に連れて行ってくれるというので、ペンギンのパレードが見られるというフィリップ島かな、と期待していたら。。。
行き先は動物園と市場だった。しかし、後で調べたらこの動物園も市場も古くからある有名な観光地だった!
しかも彼らは私たちをここに連れていくために、わざわざ隣の家の人に大きいワゴン車を借りていたのだ。
動物園と市場か、、、とがっかりしたことが申し訳なかった。

私たちは動物園でカンガルーやワラビーやタスマニアデビルに癒され、市場で地元の人々の暮らしを垣間見た。

当時の日本はバブル崩壊前で、東京は世界でもトップレベルの最先端の生活ができる都市だった。
当時の東京に比べると、メルボルンでの生活は私たちの目に質素に映った。
国の経済力も違うし、都市の規模も違うので当然だ。

しかし、私のホストファミリーは自分たちの暮らしの範囲内でできる最高のおもてなしをしてくれたのだと思う。
その暖かい気持ちだけは、そんな経済的な事情はわからない無知な高校生の私たちにも痛いほど伝わっていた。

ホストマザーの顔が濃い弟と憧れの大学生ジェニー

親日家のホストファミリーは夕食の団欒を使って、私たちにあらゆることを質問してきた。好きな食べ物、週末の過ごし方、ティーセレモニーについて、日本の遊具について、等々。
日本語を習ってるのもあり、日本に興味をもっていたからかもしれない。
当時オーストラリアにとって日本が第一貿易相手国だったということも関係しているのかもしれない。

そして、この家庭には度々ゲストが訪れた。
夫婦の友達だという、きさくで軽いノリの日本人男性「とし」、コミカルでユーモラスなホストマザーの弟(しょっちゅうこの家庭に来ていたのでおそらく独身)
この二人とは何度も夕食を共にした。
黒髪でとても濃い顔のホストマザーの弟は、コメディアンのように面白いリアクションをして私たちを楽しませてくれた。

私たちが寂しくないよう、あえてにぎやかにしていたのか、普段からそういう生活だったのかはわからない。
でもおそらく日本人男性「とし」は、日本から来て心細そうにしている私たちのためによんでくれたのだと思う。
ただ、性別も年齢も違う私たちと「とし」とはそれほど話は盛り上がらなかったのだが、そんなことはお構いなしにいつもマイペースできさくな「とし」が加わる食事は楽しかった。

金曜日にはパーティーに行くと言い、ベビーシッターをよんでおしゃれして夫婦で出かけてしまった。
そして、酔っぱらって大勢の友人を引き連れて夜中に突然帰ってきたりもした。
面食らったが、子供がいても自分自身の生活も楽しもう!という彼らの姿勢に好感がもてた。

ベビーシッターはジェニーというとてもきれいな大学生の女の子で、彼女もまた私たちにもあれこれ話しかけてくれた。
オーストラリアに来て以来、世代の違う大人か幼い子供としか接していなかった私にとって、年が近く同姓のジェニーはとてもまぶしく見えた。
シッターと言えども、ホストファミリーが出かけて間もなく子供たちは眠ってしまったので、冷蔵庫を勝手にあけて飲み物を飲みながら、好きなテレビを見て、私たちと話しているだけの彼女であった。


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