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「豊か」ということ

先日読んだ、『本屋、はじめました 増補版』。
荻窪にある「Title(タイトル)」という新刊書店が開店するまでと、開店してからのことを店主の辻山さんが語った一冊。
辻山さんがお店の場所を探したシーン。出店場所を松本に探しに行ったときの感想で、こんな一節があった。

「まぁ、良い街である。ただ、良い待ちすぎて、何も努力しなくなるのではないか」。高速バスで新宿まで帰り、妻と話した。以前に仕事で福岡や広島などに住んでいた時は、休みの日には本はほとんど読まず、車で近くの温泉に出かけたり、おいしい地のものを食べて、それは満足な生活でした。あまりに周りの環境が良すぎると、人はそれに満足して、本などの文化的なことを渇望しなくなるのです。
本屋は情報感度が命です。今、何が流行っているのか、展覧会、イベント、SNSでの誰かの発信……。という渦中に常にいないと、良い仕入れはできないように思います(もちろん、そうした世界が全てではありませんが)。松本に住むと、何年かは今までの知識の貯えでやれるだろうが、そこから先は、周りの環境が豊かすぎて、情報を取るための努力をしなくなるのではという予感がしました。

この「豊か」ということに対して、最初違和感を感じた。なぜなら東京のほうが、環境は豊かだろうと思ったから(わたしは地方出身だから、余計そう感じるのかもしれない)。地方のほうが自然は多いが、文化的な豊かさを含めて考えると東京のほうが豊かなのではないかと思ったのだ。

しかし、昨年10月に行った高知のことをふと思い返したら、「地方の環境が豊か」ということが理解できた。高知には確かに豊かさがあったのだ。

泊まったビジネスホテルの朝食バイキングに出た、素揚げした茄子の味の濃さ。茄子ってこんなにおいしかったのか! と思った。
柑橘の種類も豊富だった。直七、仏手柑……。東京では見たことがない名前の柑橘が豊富で、それぞれ合う料理があるという。柑橘といえば、日曜市で食べた「田舎寿司」。季節それぞれの野菜がネタとして乗っかっている寿司。シャリが柚子酢で、ネタは甘酢を使っている。ひとつの料理に2つの柑橘の味を楽しめるなんて。
そう、高知には素材の豊かさがあった。

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昨年放送されたドラマ『グランメゾン東京』。わたしはこのドラマの2話をちょうど高知旅行中に見ていた。高知で豊かな食材に触れていたこともあって、東京は「編集」の街なんだなぁと思った。木村拓哉さんは地方から極上の食材を仕入れ、それを素晴らしい腕で料理=編集していた。

地方と東京どちらが豊かか、ではなく、役割のちがいなのかなぁと今はぼんやり思っている。とりあえず、高知にまた行きたくなった。


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