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給食の匂いがくすぐったい

給食の匂いを20年以上振りにかぐ、今日この頃。

道路を挟んで家の目の前にある公立中学校。
学校といえど校庭と校舎と体育館と、構成要素はいくつもある。でも私の家に面している部分はちょうど給食室の裏のようで、昼時に外出するとそこいらじゅうに、もんわりと温かい食べ物の匂いが漂っている。ってことは自校式か。

今の家に住み始めて5年目だけど給食の匂いに気付いたのは、ここ1か月ほど。なぜって在宅勤務をするようになったから。それまで平日は職場に行くのが当たり前だったし、例え有給を取ったとしても家にいることはまずなかった。

完全在宅勤務を強いられていた3か月間は学校も休校だったから、匂いどころか、声も、音も完全に消えていた。建物が中学校であることすら忘れていた。

何もかも奪われたステイホーム中、逆に五感が研ぎ澄まされたのかもしれない。給食の匂いはいろんなところをつついてきて、懐かしいやら甘酸っぱいやらで、くすぐったくてたまらない。

給食が苦手だった。
献立そのものが。

子ども時代はお肉が食べられなかったこともあり、苦い記憶しかない。

「残してはいけません。」
特に小学校時代は先生が厳しく、悪魔にしか見えなかった。吐き気をもよおしながら、噛み切れない肉の塊を涙目になりながら牛乳で流し込む。味付けもそもそも好みじゃない。拷問に近かった。

給食自体にまつわるいい思い出なんかないけれど、小学校と中学校では給食が持つ意味が変化した。

家族以外の人達と同じものを食べられることが嬉しくてたまらない。

そこに「恋」以外の理由なんてない。

中学1年生のとき、一つ上の先輩に焦がれていた。
たとえ同じ空間にいなくたって、今この時間、私と同じようにパンをむしっているかもしれない、いんげんをつついているかもしれない、スープを飲んでいるかもしれない!

今日この身体は、数日数か月前食べたものでできている。毎日一食でも同じものを食べている幸せ。

例え一緒に食べられなくたって、わたしとあなたの身体はそうやってできていると思える幸せ。恋する乙女の妄想は制御不能。

給食を食べ終え、お昼休みに偶然見かけたときはいつも以上に照れくさい。

ああ胸いっぱい。

ついでにお腹もいっぱいになればいいのに、思春期の食欲は恐ろしい。菓子パンをいくら食べても満腹にならず(菓子パンだから、なんだけど)、だけどさほど太ることもなかった基礎代謝の高さは若さの証。

とにもかくにも、どんなに美味しくなかろうが、たった数十分の給食タイムは至福の時間だった。

同じものを同じ空間(先輩とは叶わず)で食べる奇跡、給食。
家族以外と、しかもほぼ毎日こんな時間をもつことは、おとなになると、ほぼない。

あー、今日もまた風に乗って匂ってくる。
この数か月「有難かった」給食を心待ちにして、噛みしめている若者はどれだけいるのだろう。

くすぐったいなあ。

今日の献立は何?ドキドキしながら食べる子、いるのかな。

あの頃のわたしみたいに。





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