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Aマッソ+KID FRESINO「QO」感想(アマプラ)

あけましておめでとうございます。今年は長い呟きくらいの感じでnoteを使います。


TSUTAYAの弱点としてライブ映像のレンタルがほとんど行われていなかったことを挙げたい。ただ、VODサービスのおかげで少しずつ状況が変わっている。特にAmazon Primeだとperfume、LCD Sound System、The Weeknd、カニエ、ハリースタイルズなど決してまだまだ豊富では無いが大物アーティストのライブ映像に辿り着きやすくなってはいます。

その流れの中で昨年公開されたのが、国内3会場で行われた「Aマッソ+KID FRESINO「QO」」で、元旦から見てかなり満足度が高かったので感想を残します。

良くヒップホップとお笑いは親和性が高いと云われる。YouTubeを彷徨ったり、「偏愛的ポピュラー音楽の知識社会学: 愉しい音楽の語り方」という書籍を参照したりすれば詳しく載っている。私なりに咀嚼すると①マイク一本で戦う点、②生まれた場所への帰属意識、③コンペティション性、④ナラティブがアウトプットに直結する点、⑤「型」があり、その中で一番「おもしれぇ」「かっけぇ」やつが一番という分かり易さ.…などを挙げたい。例外がいくらでも存在するのは承知だが、近しい価値観の下で繰り広げられているカルチャーと言う見方は間違いとも言えないのではないか。

ただ、KID FRESINOとAマッソはそのレースに参加しながらもどこか異端として振舞っている。基本的に生演奏でライブを行い、ラッパーとしてのスキルをアメリカで磨いたKID FRESINO、松竹芸能を飛び出し挑戦的な番組(奥様ッソとか)で活躍の場をこじ開けているAマッソ。勿論アンチテーゼをぶつけたり、ヒール的振る舞いをしているわけでは全く無く、積極的に同業者とコラボしているし、「異端」というか1つの在り方に縛られていないくらいの立ち位置ではある。

セットリスト

01. Opening
02. 警備員と客
03. Coincidence
04. ラジオブース
05. Winston ft. 鎮座DOPENESS
06. エンジニアと新人
07. youth
08.路上漫才
09.No Sun
10.At The Birthday Party
11.部屋
12.Rondo
13.続・警備員と客
14.Retarded
15.Ending

実際はアンコールがあったそうだが、配信では割愛されている。長久充氏が総合演出を務め、佐藤大氏(エウレカセブン最高でした)も携わった本編はいわゆる対バン方式では無く、Aマッソがコントを行い、そのコントの合間にKID FRESINOが曲を披露する。

私は、コントは水平方向に延びていて、ラップミュージックは垂直方向に延びていると認識している。演者が誰かになりきり、コンビニ、居酒屋、教室、街角、バッティングセンター、コンカフェといった様々な並行世界を渡り歩くのがコント。一方で演者が主体になり演者のナラティブをビートとレコードに刻み付けていくのがラップミュージック。様々な世界に渡り繰り広げられるコントは横に拡がり、作品ごとに時の流れが積み重なっていくラップミュージックは縦に延びていく。

この横と縦が綺麗に交わった、それもフレシノとAマッソの特性を最大に活かした上で、のが本作品だ。コントはフレシノのライブ5分前を舞台に始まる。ヒップホップのライブを前にして興奮している客。村上の発言のおかしさと妙に真理を突くような言葉をコントに落とし込んでいる。そこから時間が逆行していく。ライブ1週間前のとある高校で行われたフレシノの特別ライブの場面、数年前に行われた初めてのフレシノのレコーディングの場面、果ては数年前に行ったフレシノの路上ライブ、果ては宅録を行うフレシノの自宅に初めてAKAIのドラムマシーンが届いた場面…。「場面」を横方向に移動する形式を取りつつ、フレシノの過去を現在から辿るようにも展開する。フレシノ自身やバンドメンバーもコントに参加することで「おかしさ」も増していく。ナラティブの描写と場面の平行移動を行い一本のストーリーを作り上げる構成は見事としか言いようがない。

コントの合間に挟まれるフレシノの選曲も良い。ハイライトは「Rondo」で、10代のフレシノが自室に閉じこもり、初めてのドラムマシンを手に入れ、曲を製作するシーンのコントからマイクに向けて言葉を投げ、録音する描写から曲披露になだれ込む。「one day make it big/like your sister see me on TV」というリリックがコントを重ねることによって重みを増す。「Youth」における「まばたきして 時のお化けが 降り注いで遠くを見る」という歌詞もフレシノの過去を辿りながら現在地を確認する、というこの作品の趣旨をなぞるかのようで少し鳥肌が立った。

そしてフレシノの演奏に関して、ジャンルが本当に分からないなと改めて思った。ループ構造の中にギターとかシンセとか小林うてな氏のスティールパンとかがごっちゃになって複雑ながら踊れるサウンドを構築していくのはクラウトロックにも近いかなと。一昨年の私はポストロックに例えていた。

ランニングタイムは70分程度と決して長くは無いのですが、ただ「お笑いと音楽」を一緒にやって話題を集めるのではなく、両者が組み合わさって行う意義が明瞭に伺える傑作映像作品でした。


クイックジャンパンVol.164においてAマッソ加納氏はこの作品の参照元としてかつて存在していた演劇ユニット・ラジカル・ガジベリビンバ・システムを挙げている。私は以前星野源とYOUがラジオでラジカル・ガジベリビンバ・システムについて話しているのを聞いてラジカル・ガジベリビンバ・システムを知ったのだけど、確かに1つのジャンルに縛られる必要の無い自由さとジャンル毎のコミュニティや帰属意識が生まれる前のカルチャーの雰囲気とか、なんかスゲーのやってるなみたいな「理解でき過ぎない」空気に共通点を見出せる。


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