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みちのく、心温まる「心のふるさと」

私は父親が転勤族だったのでいわゆる「生まれ故郷」はない。

それはそれで地方にいたときなどはとりわけ「コンプレックス」にも感じていたが、結局秋田に4年半、本籍地の岩手に15年、延べ20年近く東北で暮らした。今44歳だから、ここまでの半生の半分近くを東北地方で暮らしたことになる。 

住んだ経験のない県にも様々な活動を通して友人知人が大勢いるし、今では私は育ちの故郷は小学校途中から高校卒業まで育った静岡市、心のふるさとはどこが、とは断言できないが、「東北地方全域」だと思っている。福島県や青森県などにはある一定のエリアしか行ったことがないが、いつか歩いてみたいと思っている。

今回、1週間前になるが、山形県、宮城県(仙台のみ)を、あいさつ回りと米沢観光を大きな目的として旅行してきた。

台風の影響が懸念されたため、1日早く神奈川へ戻ったが、素晴らしい、久々に東北地方を満喫した気分の旅であった。

行きはまず、山形新幹線で米沢まで行って降車、その日は米沢市内のリーズナブルなホテルに宿泊して翌日、米沢の歴史探訪をする、というコースだった。

山形県の最南端、人口は8万弱だという米沢は、新幹線から降車するともう、当たり前のことだが、空気から時の流れから、何もかもが・・違った。

駅前ものんびりしていたし、せこせこ小走りで走り回っている人は見かけなかったし、そしてその晩はいい風が来て、外を歩いていても過ごしやすかった。(ただしこれに関しては、山形市などはまた違って、夏場は夜も酷暑の日が多いのは有名だ)普段、首都圏でしばしば、「都会疲れ」な状態に陥っている私には、そこにいるだけでこれ以上ない癒しに感じた。

初めて歩く「名門・上杉氏の城下町」を少し歩いて宿に荷物を置きに行き、夜は一人で酒(地酒でなくビールだけど)をつまみに食事した。

店内から聞こえてくる、飛び交う地元の言葉。

私も一期一会的に地元の人や店の奥さんと少し話したが、それだけで癒しを感じた。

翌日は「松が岬公園」という城址公園で歴史散策した。

この歴史散策でまた感動があったので次回の記事でそこを書くが、公園内一帯に流れる静謐な空気は、本当に癒しになった。

そして米沢から山形までの在来線の車窓から見る長閑な田園風景・・

翌日、山形から仙台までの、山中を行くハイウエイバスの車窓からの景色・・

すっかり、神奈川に戻るのが嫌になってしまったのが本音だった。

それほどの癒しだった。

そしてこの旅の途中、山形市と仙台で、あいさつ回りもした。

思いがけない偶然もあり、当初は会えるはずもないと思っていた人たちにも会えて、本当に幸せだった。

やはり、人には、それぞれの生い立ちや育った場所、生まれ故郷のある人や私のように「ここが、故郷」と断言できるピンポイントな土地がない人も今の時代にはたくさんいるわけだが、「心の故郷」「その人にとって、原点になる何かをつかんだ場所」と言うのは、ほとんどの人が持っているのではないだろうか?

私の場合は特に、「すぐに都会疲れ状態になるので、たまにローカルな場所に行って深呼吸しないとやっていけない」と言う特性を3年、横浜から近い地域に住んできて痛いほど再確認したので、特に「心のふるさとを、心の支えとして置いて生きる」ことが必要、と言えばそうなのだが。

これからも、原点となった東北地方の長閑な空気、そこで出会った多くの人々を大切にしつつ、これからの人生を頑張っていきたい、そう、改めて誓った旅だった。

次回の記事では、米沢での歴史観光で、「日本人の底力」を先人の息吹から感じて、感動した話を綴る。

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