年始開けて、受験勉強が辛い人へ


辛い時間から一時離れ、スマホを触っている自分に罪悪感を覚えながらもあれこれ違うものを見ている自分が嫌になる。

そんなときにこの記事が目に止まったら少しだけ立ち寄って見てもらえると幸いだ。(字数が多めなので本題のみを読むといいかもしれない)



前置き

大学共通テストが終わり、いよいよ各大学の個別試験が始まる時期になる。大学によっては来週試験というところもあるだろう。

寒い時期に机に向かってひたすら問題を解いて己と向き合い続ける時間に、試験が近づけば近づくほど不安感や絶望感を抱くこともあると思う。

私もその1人だった。計画倒れやメンタルの不安定など、自己管理能力が足りず受験というものには失敗した類の人間だ。

 「もうあと〇〇日しかない……」「全然できてない……」「〇〇もやらなきゃ……」

現状から認識できる自分の実力の無さに焦りを抱き、勉強に手をつかなくなるというのが、この時期においては一番望ましくはないと思う。
それは嫌と言うほどわかっているのに、なかなか勉強が手につかない。でもやらなきゃと奮い立たせて少しやってもまた絶望して勉強をやめてしまう……という負のループを繰り返す。

客観的に見れば、受験生の過ごし方としては一時は共感はされても、それが長期間に渡ればただの怠けであり受験失敗の一途を辿るものに見えるだけである。

ただメンタルの不安定さは受験に限らず全てにおいて日常生活に深刻な影響をきたす。
何も手につかず、そんな自分を責めて抑うつ気分が続いてしまうのは非常にまずい。
もはや病院で診断されるレベルのものになれば治療が優先かもしれない。
ここでは病気とまでは行かないが、受験や勉強で毎日がとにかく辛いという人が少しでも勉強にむかえるようなヒントになれば良いと思っている。


本題

受験勉強の日々が辛い受験生に、私が伝えたいことはただひとつだ。
それは、「1分1秒でも後悔しないように過ごす」ということである。


まず大前提、勉強というのはする人の大半が辛く感じると思う。

特に勉強に楽しさを感じるというまでもなく、習慣化してないのであれば辛いだろう。
しかし受験というものはどうしても勉強時間の量に応じて成果が変動する。
平均的な勉強時間に足りて無いのであれば成果は低いだろうし、それで嫌になってあまり勉強しないという状況にもなり得る。

それでも皆やっている。だから自分もやらなきゃ。それはもうわかっていると思うから、受験勉強はしたいかしたくないかではなく、するのが当たり前と考えることにしないといけない。

その上で日々どう過ごしたら良いか。
勉強時間や勉強内容などをある程度習慣化出来ていればそれが望ましいし、受験が終わる最後までそれを続けると良いと思う。

漠然としていて断続的だが何かしらやってはいる、というのなら、それも続けてほしい。
そして出来るならやはり少しでも長く続けてみる。
今使っている参考書を繰り返す、基本を徹底する、ということをやって、ただただ反復をしてみてほしい。

レベル感にもよるとは言え、反復して積み上げたものは着実に実力に繋がってくる。応用問題であっても全ての土台は基礎だ。とにかく基礎を反復して欲しい。基礎がうっかり抜けた状態で本番でわからなくなるという事態は普通に起こり得るからだ。とても勿体無い失点に繋がる。1.2点差でシビアに合否が決まる世界だ。

基礎が出来ているなら応用で、今出来ないものの中の1問に向き合い、なぜ出来ないか、どうしたら出来るかを考える。解くときに言語化を意識しているか?プロセスを意識しているか?何か見落としていることはないか?などを考える。

とにかく、勉強内容に目や耳で触れる時間を増やして勉強のスイッチを入れるハードルを低くする。例えば5分でもやる、などしてやり続ける。それが習慣化に繋がる。

結局言ってしまえば、最後まで最善を尽くした者勝ちだ、ということだ。もしかしたら、最後の最後に成績がぐっと上がる、という可能性もあるかもしれない。
そのケースで合格を勝ち取った人も居るし、私もそうだった。

最後に成績が上がるかもしれない、と書いておいて何だが、試験直前の時期に必死こいて詰め込んで勉強したところで、正直大した効果は無いだろう。
あと2日後?勉強しなくても何も変わらないし大したことをやらなくてもいいのではないか。確かにそうだと思う。

ただ、それで満足するか?後悔するか?

成績が上がるかは置いておいて、最初にも言った通り本人が後悔をすることの無いようやり遂げることが大切だ。
受験は結果も大事だが、そこに至る過程が自分の人生を大きく左右すると思っている。

受験はただの試験。スケジュール上の日程に会場まで行って試験を受けて帰ってくる。
ただそれだけのことだ。学生にとっては大きなイベントでもあるが、受験とは試験を受けることただそれだけだ。

そこにどんな意味を持って行動するかは、自分次第。

受験を振り返って個人的に思うのは、出した成果が大きければ大きいほどタメになるし達成感も大きいが、それ以上に当時の自分がどういう姿勢で取り組んでいたか、が肝要で、それはその後の生き方に繋がっているということだ。
結果は良くなかったとしてもそこで踏ん張って努力したとか、努力して結果が出せた、という経験は恐らくその後の行動にも繋がるし、就職活動をする際の面接試験でもしっかり話せれば有利になる。

だから、辛いとは思うが、今この瞬間を自分のために精一杯頑張る、投げ出さない、ということをやってみてほしい。


余談

某有名予備校講師の林先生はとある番組でこのような趣旨のことを言っていた。
残りの1ヶ月勉強して合格できた、或いはしたが合格できなかった、は良い。しかし残りの1ヶ月勉強せず合格できた、或いは合格できなかった、は良くない。なぜか。

「努力できなかった自分」が残るだけだからだ。

努力せず結果が手に入ったとしても結果の質が高ければ己の選択肢を広げる可能性もあるので、結果が全ての世界で生きる予定であればそれでも良いかもしれない。ただ、どのみち結果を出すためにはいつかのタイミングで頑張らなければいけないときが来ると思う。そのときに努力できるかできないかは、ずっと結果の分かれ目として付きまとうだろう。

また、やらなくて失敗した、は見るからに他人から見ても自分にとっても負の印象だ。今後の自己肯定感にも影響してくる。
それでも開き直れるならいい。
しかし、受験を終えた後にも、何かをやるにつき継続が出来ずやめるなどして自信をなくしてしまうのなら、それはやはり、あることのために自分は頑張れなかったという過去に対して後悔しているということだ。そんな未来がやってきてほしいか?を考えてみると行動も変わってくる。
何はともあれ、今辛いと思うが今やらなければ後悔が強く残るかもしれないということは、忘れないでほしい。


最後に

長くなったが、これを読んだ受験生の人々の明るい未来を望んでいる。がんばれ!

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