服から紐解く個性について

私は古着や古本に惹かれる。

「他人が着た物じゃん」とか言われがちだが、またそこがいい。前の所有者の使用感やなんでこの傷はどうしてできたんだろう、とかいつまでも考えてられるタイプの人間である。
そして古着の魅力といえばなんといっても一点ものという部分である。人と被る恐れは皆無であるのだ。GUなど着ていって被った時の恥ずかしさなんぞ言うまでもない。

先日、高校時代の友人と古着巡りに下北沢に行った際。駅前に大々的に服がフリーマーケットのような形で販売されていた。狙ってもないのに運がいいなと思いながら乱雑に置かれた昔のバンTなんかを漁って友人に似合いそうなの見つけては「これどうなの?」と訊いてみる。すると彼は数秒の間とともに「いや、違うな」と言う。 そんな事を繰り返し雑談とともに歩いていた。

数十分経って私は気づいてしまった。
彼が欲しがる服は全て黒で無地のTシャツか白で無地のシャツであるということに。

これはまずい。
完全に下北沢に向いていない。
さらに訊くと一点ものにこだわりもないし、多くの人がいいと思うものこそが至高。と言う旨のことを言っていた。

ミーハーだった。

冷静に考えると高校の時も彼はずっと大衆ウケする髪型に定住し、大衆ウケする趣味。YouTube、TikTok。そして攻めた発言を極力避けた。そこそこ考査の勉強をし、そこそこの成績をとった。

そして、彼には人気があった。

今振り返ると自分は急に五厘刈りにしてみたり、趣味も爬虫類とかラジオ、読書、お笑い。TikTokなんて勿論入れてないし、成績は最下位間近のド底辺だった。

話は単純である。
彼は生きるのが「上手い」のである。

個性を重んじる世の風潮。
人間はとても難しい。


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