解説 キリストの愛に倣う(第一説教集6章1部) #30

原題: A Sermon of Christian Love and Charity.  (キリスト教徒の愛について)

第一説教集第6章「キリスト教徒の愛について」の第1部の解説をします。テーマを聖句で言えばこれでしょう。

あなたが私を愛しているならば、私の戒めを守るはずである。(ヨハネによる福音書 14章15節)

第1部のポイントは次の4点です。
①愛を正しく理解すべし
②二つの愛~神への愛と隣人への愛
③敵を愛してこそのキリスト教徒
④これはキリストを愛し倣うことによる

冒頭で愛とは最も大切な美徳であることが説かれます。

キリスト教徒に教えられる善のなかで、何よりも多く語られ日々説かれなければならないものは愛です。愛にはあらゆる正しい行いが含まれていて、愛が朽ちると美徳が消えて悪徳が生まれ、この世の破滅や破戒に至ります。

しかし人間は愛を重んじないどころか、食欲の下においてさえいます。聖書にあるキリストの行いや言葉に基づいて愛を理解しようと訴えられます。

聖書にある愛には二つあるとされます。神への愛と隣人への愛です。ただし隣人とは「世のすべての人々」をいいます。

愛とは心のすべてをもって、命の限りに、また持てる力と強さの限りに神を愛することです。

これですべてではありません。愛とは善い人もそうでない人も友も敵も含めて、すべての人を愛することでもあります。

これらの典拠となる聖書の言葉が引用されます。

「心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい(マタ22・37)。」

しかし、私は言っておく。敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。(中略)自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。徴税人でも、同じことをしているではないか。あなたがたが自分のきょうだいにだけ挨拶したところで、どれだけ優れたことをしたことになろうか。異邦人でも、同じことをしているではないか(マタ5・44~47)。」

自分に好意を向けてくる人だけを愛するなら誰でもできる。キリスト教徒は敵を愛してこそである。それはキリストが身をもって模範を示したことであり、キリストを信じる者もそうあらねばならないと説かれます。

キリストは友のみならず敵をも愛されました。(中略)どんなに彼らがご自身について悪く言おうとも、キリストは彼らへの愛をお捨てにはなりませんでした。むしろなおも彼らを愛され、愛について説いて彼らが持つ偽りの教義や邪な生き方に異を唱えられ、彼らに対して善を行われました。(中略)ご自身が肉体の死の苦しみを持たれても彼らを殺めようとも脅かそうともなさらず、むしろ彼らのために祈られ、あらゆる事柄を神の御心に委ねられました。「屠り場にひかれて行く小羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、口を開かなかった(イザ五三・七)」のであり抵抗もなされませんでした。

キリストを信じる者であるならキリストに倣うことができる、いや、倣うべきである。キリストの愛を受け継ぐべきである。神を愛し、なおかつすべての人を愛するべきである。そうできる者が救われる。これが聖書の引用をもって説かれて第1部は終わります。

「あなたが私を愛しているならば、私の戒めを守るはずである(ヨハ14・15)。」

「私を愛する人は、私の言葉を守る。私の父はその人を愛され、父と私とはその人のところに行き、一緒に住む。私を愛さない者は、私の言葉を守らない(ヨハ14・23~24)。」

今回は第一説教集第6章「キリスト教徒の愛について」の第1部「キリストの愛に倣う」の解説でした。次回はこの試訳をお届けします。

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