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第1章_#05_フランス映画を一生ぶん見た2年間

高校卒業後に大学へ進学するため故郷を離れたものの、2年で中退。以後、服飾販売員~テレビ番組制作会社AD~モデルエージェンシーのマネージャー見習いなど、職を転々とする。つまり、フリーター。(当時はまだそんな言葉はなかった。でも最近もあまり聞かなくなったが。)あまり堅気でない仕事ばかり転々としていたので生活はめちゃくちゃ。25歳を過ぎたあたりでちょっと人間らしく暮らそうと人生の軌道修正を試み、人材派遣会社に登録をして事務員の職を得た。

朝9時に出社して、夕方5時には退社。最初はとても新鮮だったが、だんだんと飽きてくる。あり余る時間をどう潰したらいいか分からない。もともと夜遊びは苦手だったので、家で何か楽しく過ごせる方法はないものかといろいろ考えたもののたいした閃きもなく、お金もないからやれることが限られる。とりあえずビデオでも借りようとふらり立ち寄った駅前のレンタル屋で最初に目に入ったのが、ゴダールの「勝手にしやがれ(À bout de souffle)」だった。沢田研二の歌のタイトルと一緒(※もちろん映画が先)、そんなテキトーな動機で選んだ。

型破りなまでに斬新な技法をいくつも用いて撮影され、これまでの映画の既成概念をひっくり返した、まさに映画史に残る作品......なのだが、なにせ25年間、映画らしい映画をちゃんと見ないで生きてきたので、何が新しいかなんて分かるはずがない。(ずっと後になってもう一回観見て、ああなるほど、と納得したが。)

まず感じたのは、モノクロ映画なのに「光」に溢れていること。次に、パリの街の格好良さ。そしてジャン=ポール・ベルモンドはコメディアン顔で、フランスではこれが2枚目俳優なのかとややビックリ。対して、ジーン・セバーグの愛らしさ美しさ。初めてちゃんと見たフランス女優が彼女なのだが、フランス人ではなくアメリカ人なのだと後で知った。セシルカットと名前のついたベリーショートはオープンカーの助手席で風に吹かれてなびいている。日本人のカタい髪質だとあんな短い髪が風になびくことは絶対にないからまた驚いた。男の子のような短髪にふわりとしたワンピースが不思議と似合っている。別の場面ではショートパンツにボルサリーノ。サングラス。煙草。街の風景、人々の仕草・表情・身のこなし、音楽、何もかもがオシャレすぎた。公開年の1960年は東京オリンピックの4年も前。この時代にこの洗練。パリ、半端ねぇ......こんなとこ行ったって気後れして絶対に楽しくないだろう。でも、実物をこの目で見てみたいとも心の片隅でこっそり思った。

オシャレっぽさに気をとられ集中を欠いた割には、話の筋がとてもシンプルだったので、楽しかった。とくに大袈裟に盛り上がることなく進行してゆき、素っ気なく終わる。奇妙な感覚に捕らわれたが、同時に湧き上がる心地よさ。これがフランス映画の特徴か?確かめたくて次の日もまた次の日もゴダール。ゴダールを全部見たら、次はトリュフォー。ヌーヴェルヴァーグを制覇したら次は・・・そんな風にして、毎日毎日フランス映画を見た。最寄り駅のレンタル屋はそろそろ在庫が尽きてきたなぁと思った頃に、恵比寿にヨーロッパものが充実しているレンタル屋を見つけ狂喜乱舞した。週に1回、1週間分をまとめて借りる。遊びや飲みの約束が入らない日は必ず見た。一生分の映画(フランス限定だが)を見た2年間、そんな感じだった。

上のイラストは「勝手にしやがれ」のポスターを集めて描いたもの。ポスターを検索したら、なにやらいっぱい出てきて、国によってデザインのバリエーションも使う写真も違う。(日本版は任侠映画みたいだった。)それが面白くて、いくつかピックアップして描いてみた。

で、ここでまた邦題が気にかかる。原題は「À bout de souffle」。直訳すると、「息が切れて」「息せき切って」くらいの意味。ちなみに英語版はほぼ直訳の「Breathless」。で、なんでこれが「勝手にしやがれ」になったのか。残念ながらウィキペディア先生でも調べがつかなかった。直訳じゃなくてもいいから、膝をポンと打つような気の利いた妙訳をつけて欲しかった。せっかく格好いい映画なのにさ。

次は、とうとうフランス語のお勉強を始めるお話。À bientôt!

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