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第1章_#01_がいこくのレコード

九州の離島で生まれ育った。人口3万人と言ったら島の中ではまぁまぁの規模であるが、しょせん島は島、田舎は田舎である。情報源はもっぱらテレビとラジオと雑誌。それらで見聞きする以外の情報は完全に遮断されていた。でも、日本全国、いや世界中が似たり寄ったりの状況だった。地域差というよりは、そういう「時代」だったのだ。昭和30~40年代。今みたいに片手に指一本の操作で世界中と繋がる時代が来るなんて誰も想像できなかった時代。

さて、そんな島には、毎年4月になると島の出張所に異動で県庁の職員がやってくる。(「島流し」と揶揄されて送り出されるらしい。)2年ほど辛抱して本庁に戻る。私の家のそばにはその社宅があって、なんとなくそこの子供達と友達になる機会が多かった。

小学校3年くらいの頃だったろうか、もう名前も覚えてないその子の家には、外国のレコードがたくさんあった。学校が終わるとその子のうちに直行し、おばさん(その子のお母さん)からおやつを出してもらって、レコードを聴きながらおしゃべりをして過ごす。おばさんは裁縫が趣味でいつも足踏みミシンで娘の服を作っていた。カタカタカタ...というミシンの音とレコードプレイヤーから流れる音楽はいつもシンクロしていた。

レコードの大半はアメリカのポップスだった。我が家にあるレコードと言ったら、父の好みが100%反映された奥村チヨだの青江三奈だの鶴岡雅義と東京ロマンチカだのといったコテコテにドメスティックなラインナップ。私とてテレビの歌謡番組で見る郷ひろみだの天地真理だの麻丘めぐみくらいしか知らなかったから、そのからりと垢抜けた音楽はとても新しくて眩しかった。そして、おいとまして自分の家に帰る途中、そういうものを知らずに育ってきた自分を少し惨めに感じたりしたものだった。

そんなある日、たくさんのアメリカンポップスのシングル盤の中にちょっと変わった1枚を発見した。「夢みるシャンソン人形?」「うん、あんまり好きやない。」「ふうん、聴いてみたい。」
プレーヤーの針を乗せる。印象的なイントロが流れ始める。これまで耳にしたことがない言語の響き。鼻が詰まったような歌声。楽しいのか悲しいのか捉えづらい曲調(これぞゲンスブール節なのだと今は分かるのだが)。
「不思議な歌やね。」「だから好かんのよ。」「でも面白い。」
次から必ずこの『夢みるシャンソン人形』を聴くようになった。
Je suis une poupée de cire,
une poupée de son
出だしの部分だけいつも一緒に歌った。
「♪ジュシジュプーペードースィー、ウーヌープペドゥソー......」
子供の耳にはこう聴こえたようだが、少しフランス語が分かる今思うに、結構いい線いっているんじゃないか。

そして、その子も2年ほどで本土に戻ってしまった。それっきりこの曲を聴く機会もなくなった。出だしの部分を口ずさむことも忘れてしまったし、歌い手の名前は最初から覚えていなかったし、曲タイトルも記憶の片隅にひっそりと追いやられてしまった。

時は流れて、20代の頃。ふと立ち寄ったレコード屋でこのBGMに出くわした。懐かしさに思わず「ああ~!」と声を上げた。すぐさま店員さんに「この曲を下さい!」と、CDを買って帰った。フランス・ギャルっていうのか。なんか捻りのない名前だな。(注:本名ではなく芸名である。)
なんであれ、このベスト盤はいまだにヘビロテだし、これをきっかけにゲンスブールを知り、フレンチポップスに夢中になっていった。

さて、次は大好きだったマンガのお話をします。À bientôt!

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