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note村の住人になりました

noteをはじめて一週間が経った。「書く」ことが好きで、数年前からその存在を知っていたにも関わらず、なぜいまごろnoteをはじめたのか。
noteの使い方にも慣れてきたところで、「書く」ことについての私の歴史を思いつくまま書いてみようと思う
もしもこんな独り言を読んでくださる方がいれば、ちょっとしたプロフィールだと思ってください。

noteを始めるにあたって特に明確な目的があったわけではない。強いて言うなら、自分の知識の棚卸、だろうか。
コラムや普段の思いをつづる場所がなくなったことも理由の一つだ。というのも、長らく使っていたヤフーブログがサービスを終了。アーカイブをはてなブログに移行させFacebookも始めたが、「ブログはもはや古いのではないか」、「Facebookは日記のようなものだから長文には不向きだろう」という思いがあった。

若いころはもっぱら小説を書いていた。詩や小説で何度か入賞したこともある。社会人になって歴史の教師をしながら、様々な職業を経験したが、あらゆる知識と経験はすべて小説を書くための材料だった。
ところが教師を続けるほどに歴史の奥深さ、面白さにはまっていき、本末転倒が起こった。いつのまにか小説を書くのを忘れ、ひたすら歴史のうんちくを求めるようになったのだ。(事実は小説より奇なり!)
まあ、おかげでテレビにもたびたび出たりと貴重な体験をさせてもらったが。

小説を書きたいという衝動は周期的に襲ってくる。少し書いては中断するを繰り返し、書きかけのものが山のようにある。7年ほど前、久しぶりに短編小説を文学賞に応募した。一次選考しか通過しなかったが、やはり書くことは楽しいと再認識した。

海外旅行記や海外文化のコラムをブログで発信しているうちに、旅行の体験や知識を生かせるトラベルライターの仕事を見つけ「LINEトラベルJP」のナビゲーターになった。絶景やグルメに興味がないので、もとより人気ライターになることは目指していない。歴史的事件と関わりのあるマイナーなところばかり取り上げている。

去年、青山学院大学に通ってワークショップデザイナーの資格を取った。今後、アクティヴラーニング(主体的な学び/教えない教育)を教室で実践していく上で参考になると思ったからだ。昔、国立西洋美術館で対話型美術鑑賞のファシリテーターをやっていたが、それとも関連する分野だった。
青学では膨大な量のレポートを書いた。書かされた。書かねばならなかった。それが楽しかった。無事に修了したころ、コロナの足音が聞こえてきた。
春の海外旅行から帰ってくると、コロナが日本でもはやりだしていた。もう旅行はできない。トラベル記事は書けない。でも何か書きたい。

日本史は苦手だが、日本文化は好きだ。特に神社仏閣と仏像が好き。御朱印を集め出したのは中学生のとき。京都にいたころは毎月お能を見に行っていたし、関東に来てからは謡(うたい)をかじったり、歌舞伎や文楽も鑑賞するようになった。
そこで「japaaan」というサイトで日本文化に関する記事を書くようになった。こちらはまだ数本しか書いていない。
だが依然として西洋史(世界史)に関するコラムを書く場所がない。なんでも自由に書けるトコロが欲しい。
で、noteにたどりついたわけ。

日課のように更新していたヤフーブログはほとんど誰にも読まれていないので、一部をここに再掲載しようと思う。そして歴史コラムだけでなく、小説やエッセイも少しずつ公開できればと思っている。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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