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しあわせを確かめに行く

結婚式を挙げた場所へ、家族で行ってきた。婚礼の日以来初めてだった。クリスマスのディスプレイが素敵だから、見に行きたいと思ったのだ。

あの日、私はたしかに「生まれ変わった」と思う。結婚式と披露宴は、私にとってとても重要な儀礼だったことを3年後の今、あらためて思う。

最初は、「親のために結婚式をしなければならない」と思った。

研究で、茨の道を行くことを決めたとき、先立つものは何もなかった。味方はともかく、ほかに出資してくれる人はいなかった。だからなけなしの自分の若さと時間を投資することに決めた。これまで「知らなかったこと」に対する自分の戒めだ。お金がないと相談したとき、母は「これはあんたのお嫁入りのための貯金だから」と言った。

だから、私が結婚したいと思ったとき、別に結婚式をしたいという積極的な気持ちはなかった。むしろ「これで解放される」と思った。かけられた呪いもこれで最後だという勢いで。式場探しも、親に頼んだ。積極的になれない義務でやる結婚式の準備より、自分が自分自身を投資してやっている仕事をする時間が惜しかったからだ。

でも、あるとき夫(当時は婚約者か)が言った。「あなたのために結婚式をやるんだから」と。私はこの一言に救われたのだ。呪いを解く王子様のキスならぬ、新しい呪文は、「自分のために生きよ」だったのだ。

それから気付く。「私はいつも親の顔色を窺い、親を喜ばせることを自分の義務だと思ってきたのだ」と。今になって思えば、家族のごたごたのせいで高校時代はひきこもっていた。それでも実家から逃げ出す口実として、親と距離を置くために使えるものは学力しかなかったので京大に入った。体力も精神力もない子どもができたのはそれくらいだったから。京都での生活と研究はようやく手に入れた私の自由だった。だから、研究のための時間を、家族のために削られるのがいやだった。

結婚式の準備は楽しかった。でも、自分がいかに「自分自身が何を好きか、何をやりたいか」を知らないことにも気付いた。「これが欲しい、あれがやりたい」を考えているのに、どうしても、「こうすべき、ああすべき?」が先に来る。単に「何が好き? どうしたい?」を問われるのは、とても難しいと思った。それでも最終的に、夫が「そのためにすでにこれだけ払ってるんだから」と、私が「でも高いし」と躊躇するのをどんどん「やろう、やろう」と言ってくれ、今でもどれもすばらしい思い出になっている。

だれかに遠慮して、「やりたい」と言わないようにしつけられてきたと思う。これはたとえば、お姉ちゃんだから、女の子だから、子どもだから、学生だからなどなど。でも、「やりたい」と自分から言ったことで後悔したことはないと思う。逆に、イヤな思い出はすべて、「やらなきゃ」とか「やめなきゃ」という意識からきたもの。

だから、婚礼の1日というのは「自分がやりたいこと、好きなもの」しかなかった最高にハッピーな1日だった。そして、やりたいことを実現させたという成功体験が、確実に残った。大好きな人と二人で。

だから、今また、結婚式をやった場所に行くと、そのときのことを思い出すことができてハッピーだ。

「やりたいこと、やろう」

そう言える自分でいたいし、それができるだけの努力をしていきたいと、思いを新たにする。

それにしても、老舗の会場を選んだおかげで、とりあえずしばらくはなくならなそうだし、写真を撮った階段などもウロウロし放題。打ち合わせのあとにもしょっちゅう庭に出てウロウロしていたが、今だってふらりといってウロウロできてしまうことが、価値なのだ、と思う。

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