当事者による手話の言語学の研究発表

先日は、京大の京都言語学コロキアム(KLC)に日帰り出張をしてきた。私の古巣、Y研あらためT研に、私がギャロ―デット大学にASLを学びにいったときに知り合ったろう者のKさんが、研究をしたいということで出入りしていたのだ。

ろう者の研究環境は、本当にがんばらないと手に入らない。まず情報保障(手話通訳や要約筆記)の提供を受け入れてくれる場所でないとダメだからだ。その上、ろう者の「育ち」つまりこれまでの教育の問題で、彼らはほかの定型発達の院生と比較されたら、やはり知識や批判的な思考を表現するという点で劣る(これは聴覚障害を持っている高等教育を受けている人々でも、学業成績が1SDくらい劣るといわれているので仕方がないことだ)。すると、定型発達でも研究というものに特化した一部の人々と「フェアに」競争したら、優先順位は高くならないのだ。

その辺の事情を汲んでいただいた上で、障害者差別解消法(これも認知度はとても低いらしいが)を盾に、京大のオープンな研究会(公的な施設のオープンな行事)であることから、主催のT先生にはKLCに手話通訳をつけることを了承していただいた。(税金を使って行われる公開講演会のようなものは、現在では情報保障を付けなければならにことになっている。)

さて、しかしKさんは、1年以上研究会に通っていたが、発言をなさったことがほとんどなかったということである。

この事情は、単にKさんが議論について行けていなかったという話ではない。手話通訳というのは、どうしても「同時」とまでは行かず、少しタイミングが遅れる。さらに手話通訳に提示された内容を理解するのに時間がかかるという微妙なタイミングのずれがある。それで発言するタイミングがつかめなかったという問題を考える必要がある。

ただ、手話通訳に対する謝金もそれなりにかかっているし、研究会に参加している人々は発言を求められるような雰囲気のある会でもある。

院生さんにとっても、ただ手話通訳がついているだけでは、面白みがないだろうし、うまみもない。

そこで、Kさんにも発表してもらおうという話になったのだ。私も行けば、2つの言語がわかるのでフォローもできるだろうということで、行ってきたのであった。

ついでにいうと、やはり手話通訳がどのようであるかも確認せねばと思ったのでした。

とはいえ、今回は司会を仰せつかったので、KLCではおなじみの伝統芸の「発表者が背景化する」みたいな感じになってしまった感は否めないのだが、それでもオブザーバーで参加されたさらに2人のろう者にも発言をしていただき、それなりにインクルーシブな場にすることができた。

院生さんたちも(相変わらず)活発に質問し、議論をしてくれて、Kさんが持ち込んだ素材がうまく料理された感がある。研究会というのはそういう場であって欲しいし、KLCが今もそうした場になっていることはT先生のお力あってのことだと思う。

さてしかし、研究会後に私の指導教官であるY先生(69)が現れてしばらくつかまっていたのだが(いるなら研究会に出て欲しかった)、若干ズレた発言をマシンガンのようにたくさんされたので、苦笑してしまった。あいかわらず、お元気そうだったのでこちらも元気が出たけれど、年配の方の障害者に対する感覚というのは、やはりこうなのだなという感想も。

ここ数年、当事者研究というか、当事者とどう研究して有意義な知見を当事者と学術界双方に還元できる形にしていくかということを考えている。すこし答えが見えつつあるという実感を得た年末でした。

とにかく、協力してくれたT先生や、発表したKさん、そしてオブザーバーで来てくださったろう者のお二人、そして通訳者とそのメンターで結局通訳もしてくださったI先生に感謝。それなりに、人手が必要で、それをそれなりに動員できていることが、関心の高さや、なんとかしたいという課題のありかを示していると思うのでした。

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