人間、誰しもの心の一部分がサンタクロースである

*サンタクロースは存在するのか?という、命題がある。さまざまな人たちがこの命題について、意見を述べたり実体験を話したり、素敵な仮説を作り上げたり、さんざんしてこられただろう。ぼくもこれまで、拙いながらもいろんな角度から考えてきたし、1年にこの2日間はとくに考える。サンタクロースは、果たして存在するのか?

今年は、こう考えてみることにした。「サンタクロースが実在しているしていないではなく、人間、誰しもの心の一部分がサンタクロースである」という考え方。「誰かにプレゼントをしたい」「よろこばせたい」、そこに「自分だと気付いてもらえなくてもいい」といった思いは、もしかすると誰しもが共通で持ちうるものなんじゃないだろうか。誰しもが共通で持ちうるものならば、サンタクロースと呼ばれる人がいるのではなく、誰しもの心のどこかがサンタクロースであるということで、その共通した一部分のことを、ぼくたちは「サンタクロース」という概念、または現象で呼んでいるんじゃないだろうか。

そう考えると「サンタクロース」という人間は、ぼくたちひとりひとりが作り出した偶像であり、ぼくたちの一部分を反映した虚像でもある。実像とされる部分は、ぼくたちがすでに持っている、ということだ。つまり、誰しもがサンタクロースなのではなく、誰しもがサンタクロースになれる部分を持ち合わせている、のだ。なにも、クリスマスに限った話ではない。なんてことのない日に、誰かをふとよろこばせたくなる気持ち。そのような気持ちに、サンタクロースと名付けることはできまいか。そんなことを考えながら、ぼくのクリスマスは過ぎてゆくのであった。


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