殺し文句は耳元で

*「殺し文句」ってことばがあります。字面だけ見るとなかなか物騒に思えますが、じっさいに「殺し文句」を使っている場面は人によってはありそうです。いわば「決め台詞」に近いものかな。決め台詞との違いは、「殺す」対象がいるかどうかでしょう。「じっちゃんの名にかけて!」は決め台詞だけど、「この閘門が目に入らぬか!」は相手に威厳を見せつけるものだから、殺し文句と言えるかもしれない。どれも例えが古くって、ごめんちゃい。

ま、身近なところで言えば、異性を口説くときに「殺し文句」を使う人もいるでしょうな。「きょうは帰りたくないの…」なんてのも、殺し文句のひとつでしょう。営業職の人が商品を買ってもらうときに、決め手となるセリフがあれば、それも「殺し文句」と言えるし。意外にも、殺し文句ってのはあったりするものかもしれない。

でね、この殺し文句ってのはね、相手の耳元でささやくから有効なんだよなぁと思ったわけです。「愛してる」という殺し文句だって、相手の耳元で言うから成立するわけでしょ。学校の屋上に登って、全校生徒が見ている前で「愛してるー!」って叫んでも、それは殺し文句じゃなく、また別のものになってしまうわけです。

ぼくはキャッチコピーの仕事が本業なもんだから、これは似ているなと思ってね。コピーは殺し文句というわけではないのですが、いいコピーってのはこう、大衆に向けられたものじゃなく、自分に言われている気がするんだよなぁ。

そういえばヒットラーはね、スピーチの際にスピーカーを前だけじゃなくて、聴衆の近くにいくつも設置していたという話を聞いたことがある。それでどうなるかというと、スピーカーから出る自分の声が前から聞こえるんじゃなく、聞いている人の隣や後ろ、近くから聞こえるようになる。ヒットラーはたぶん、そういう性質を分かってやってたんだろうなぁ。

殺し文句は、相手の耳元で。いつだって真実は、小声でささやかれるものだ。


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