笑うバロック展(246) スピリチュアル・バロック

「近代以後、音楽の世界は生産者と消費者に分断され、心と体も分離させられた。近年、バロック音楽が復活したのはなぜか? バロック音楽で心身の良好感をとりもどすための案内書」

2003年刊の本。Amazonレビューによると「18世紀の市民革命、19世紀の産業革命を通じて忘れられてしまった、人としての音楽体験のあり方を呼び覚ましてくれる。音楽を聴くこと、演奏すること、教えることどれもが独立した事象ではなく、人としてのあり方だと感じさせてくれる本だと思います」。発信受信の分離の結果という話題は、「ピアニストだって冒険する」にも。

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著者は、ウィキ検索によると「竹下節子(たけした せつこ1951年 - )は、パリ在住の文化史家、評論家。1974年東京大学教養学部教養学科フランス分科卒業、76年同大学院比較文学比較文化専攻修士課程修了。同博士課程、パリ大学博士課程を経て高等研究所に学ぶ。カトリックやエゾテリスムの歴史を専攻。最初の著作『パリのマリア』は、友人の中沢新一の勧めによって書かれた。宗教思想史や神秘思想史に造詣が深く、そうした領域の著書を多数著している。また、室内楽アンサンブルのグループを主宰するなど、多様な文化活動を行うほか、比較文化の視点からの評論などもものしている。

1996年の「バロックの聖女」は「聖女や聖女になり損ねた女たちを通して、いわゆる宗教や教義を超えた「聖性」指向の生む力の秘密に迫ってみようとしたもの。健康清潔でまっとうな生き方でなく、病気で異常で過剰で危険な生き方にも、それぞれの救いに達する権利がある。バロックの女たちの信仰は過剰で激しい。彼女らは癒されることのない渇きを満たそうとして、聖性と魔性の輪舞を踊り続けた」。

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1994年筑摩からのデビュー。レビューによると《「奇跡」の問題は、「科学技術の世紀」に生きるわれわれにとっては、「躓きの石」である。著者は正面からこの主題を採り上げる。「明晰判明」のデカルトの国、「合理主義」の精神、「幾何学の精神」のフランス、というステロタイプは、根本から揺さぶられる。ヨーロッパ精神、底流のカトリック精神、精神の根源に横たわる闇の深淵。二十世紀において起こった奇跡、暗がりの中でベッドに寝たまま、神秘の言葉だけを送りつづけた「闇の中のロゴス」、マルト・ロバン。そして空間移動(テレポーテーション)を「日常的に」行っていた「天翔ける聖女」、イヴォンヌ・エメ。この二人の聖女の奇跡は、内実のどはずれた途方もない衝撃とは裏腹な、その現われのささやかさ、あたかもあたり前であるかのような慎ましさゆえに、単なる「迷信」の名残、あるいは「でっち上げ」として切り捨てることはできないし、「非合理主義」の精神が生み出した「妄想」の産物だと片付けることはできない。「奇跡」と人間の精神とのかかわりについて考える手がかりとしてほしい。》

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もちろん、ずっと昔ジャンヌ・ダルクの新書を読んだだけです。ちょっと怪しげな人物と感じたのですが、ネットで短いエッセイを拾い読みしてみると、思ったよりまともでした。ごめんなさい。

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