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古事記分析

古事記 
 神話は意図的に作られている。それを私達は古事記の編者の作為と、古くから伝承されている説話、神話や歌謡に記載された表現内容と、当時の地史的背景、勢力支配関係を紐解きながら、その意図に迫り始めている。しかし、古事記よりも唐を意識して編年体でまとめられた最古の史典「日本書紀」の方が先に取りかかられ、官選の国史として宮廷の貴族に講書も行われ、釈日本紀としてまとめられているほどだった。また中世までは官選の六国史(日本書紀、続日本紀、日本後紀、続日本後紀、文徳実録、三代実録)にも古事記は入っていない。文運興隆の時勢で、古事記に光が当たり始めたのは近世になってからである。 
 文献解釈を賀茂真淵の勧めで始めた本居宣長の研究書「古事記伝」で神典と評価されて以来、古事記は大きく脚光を浴びることになった。ただ、実際には、戦後になってから、神典のベールが剥離されることで自由研究の対象となり、本格的な研究が始められたばかりだといえる。
 古事記は日本最古の書物として教科書には紹介されている。しかし私達は、この「最古の書物」に疑問符を付けた。それ以前に、日本には書物は存在していなかったのか。稗田阿礼が誦習していた口承文学を太安万侶が写し取り、言い伝えられていた神話を、初めて漢字で転写したものなのか。
 すでに聖徳太子の真筆として「法華義疏」が最も古い書籍とされている。日本書紀にも記載されている「天皇記」「国記」は太子により書かれたとされているが、現存はしていない。さらに舎人の稗田阿礼が誦習していたテキストとされている問題の「帝紀」(初代から三十三代までの天皇の系譜、治世の出来事)や「旧辞」(宮廷内の物語、皇室や国の起源)は、太子と蘇我馬子により書かれたという説もある。大化の改新の際、蘇我蝦夷の館が火事になり、消失してたとも伝えられている。いずれにしろ現存はしていない。この成立には、壬申の乱が深く関わり、舒明天皇の嫡子大海人皇子(叔父)と天智天皇の庶子大友皇子(甥)との狭い地域での身内同士の皇位継承が、「帝紀」の再検討を天武天皇に考えさせたことが想像できる。それは天武天皇が、こうした大家族制の混乱、主従関係の分裂を体験し、新秩序の再編の必要を感じたはずだからだ。そこで戦功を立てた諸氏族を厚遇し、統一された天皇の支配下に皇族、臣下、氏族、公民を再編・統合する、新しい身分秩序の整備が国内的緊急要因であった。こうした古事記編纂の意図が、その内容を理解していく上で重要な鍵となる。
 例えば天武期十三年十一月に朝臣の姓を賜った大三輪君以下五十二氏の記載順位が、古事記の孝昭天皇の皇子雨押帯日子命の子孫として記載されている氏族順位と一致している。これは天武朝の諸氏族再編と関係していることを示唆している。日本書紀は大規模な国家的修史事業であるのに対し、古事記は天皇の私的事業と解するのが妥当だと考えられる根拠のひとつだ。
 また阿礼の誦習は記録物を、元の口承伝承に復元するよう訓読するもので、この作業は天武天皇の崩御で一度中断された。以後、持統・文武両帝を経てから即位した娘の元明天皇が、再度旧辞・帝紀の誤りを正そうと和銅四(七一一年)に太安万侶に詔勅を下し、阿礼の誦んだ「勅語の旧辞」を選録させ、安万侶が表記に工夫を加え、翌和銅五年(七一二年)に古事記三巻を献上した。
 時代背景は、持統・文武両帝の藤原宮時代を挟むと、天智崩御から二十五年。律令制中央集権国家は着々と整い、旧士族の同様も収まり、天武朝の繁栄期である。藤原宮遷都(六九四年)、平城京遷都(七一〇年)の二回の遷都は柿本人麻呂も賛歌を贈るほどであった。また、阿礼はすでに五十歳近くで誦習には不向きだったため、持統、元明の二人の女帝が、采女として地方から来る巫女達の知る説話や歌謡を後宮に持ち込み、古事記に盛り込んだという説もある。また古事記の内容は女性的要素が強いことから、稗田阿礼は女性だったという説。あるいは阿礼は大和の稗田に住む巫女集団の偽託名で、巫女達が宮廷行事に出席し、記憶していた事柄をまとめたという説など、憶測はさまざま存在している。
  「帝紀」、「旧辞」の「原古事記」にあたるものを稗田阿礼たちが誦習し、漢字に造詣のある碩学の太安万侶が選録したが、彼は大きな壁に突き当たっている。日本には固有の文字がなかったためだ。そこで苦心してひとつのルールを自ら定めている。
①一句に音と訓とを交えて用いる。
 例:久羅下那州多陀用弊流之時(くらげなすただよへるとき) 
②一事の全てに漢字の訓のみを用いる。
 例:万物之妖悉発(よろづのもののわざはいことごとにおこる)
③言葉の意味の分かりにくいものには注を付ける。 
 例:井氷鹿(此者吉野首等祖也) 
(ゐひか)―(こはよしののおびとらのおやなり)
④人名・地名などは従来の表記に従う。
  例:日下―くさか、帯―たらし、春日―かすが、飛鳥―あすか
※これらは安万侶自身が考案した表記法だ。
 なお古事記は三巻に分冊されている。
上巻:上巻は神代の物語(神話)である。
 天皇は現人神であるという根拠の由来を示すために、宮廷、諸氏族などの持っている「帝紀」や「旧辞」を元に、一祖多族の観念を説話としてまとめた意図が伺える。
 (一)高天原神話 → (四)筑紫神話圏
                  ↑
  (二)高天原・出雲接合神話圏
                  ↑
      (三)出雲神話圏
 注目すべは原説話が独立したもので、宮廷や有力氏族により伝承されてきた内容を政治的に体系化している点だ。わたしたちは、ここから多くのことを推測できる。
 まず古事記の最初に現われる特別神(独神)は「天空」に「中心」があり、「産出」あるいは「生成」という作用と、その「固定化」という現象を司る神的な力を持つ。それによって万物が生じるという、一般的に世界各地に見られる神話観を踏襲し、その神話化を図っていることが伺える。独神は稲作到来以前から存在した、自然信仰に根ざしている説話の中の神名を使用したと考えられる。しかも村落共同体の周辺にある山獄(巨岩)や聖なる巨木が憑依物として地上に接続しているのは、まさに初期古代自然信仰と対応しているといえよう。

よろしくお願いします。