溺れるユラテ

降りしきる雨

ただ、うつむき
凌ぐものなど
何も持たないわたしに

あの人が傘をくれた

それは
暗い水底に差し込んだ
一筋のまなざし

わたしの世界を
こじ開けようと
伸ばされた大きな手

それは
わたしにしか見えない傘

あの日
空に、めいっぱい
開いたとき
それらは
突然はじまってしまった

いつも
誰にも気づかれずに
ゆっくりと
見えないものに
雨粒は弾かれて消えてゆく

滲む空
単調なビルの群れ

頭上に降り注ぐのは
雨音のリズム
それは
わたしにしか聴こえない唄

あなたが示した世界観

静謐の奏でる音楽は
やがて現実となり
いま
この胸に鳴りやまない


黄色い空
アスファルトに
夕立ちが走り去る

その足取りを追って
次第に水が増してゆく

この街を洗い流す
汚濁に呑み込まれて
溺れゆく魚たちの群れが
あまりにも、憐れだったので

水槽の水はすべて抜いてしまった

息も絶え絶えに
路上に打ち上げられたその姿は
確かにわたし自身のようであった


水のない浴槽に身体を沈める

気怠いシャワーに
肌は火照らされて
長い髪がまとわりつく

浴室には琥珀色の気配

夕映えが窓をすり抜けて
やがて消えていった

この部屋にもじきに、夜の息がかかる

モルフォ蝶のワンピースに
袖を通すと微かに煙草の匂いがした

親指の爪の先から
あなたと約束を重ねた小指まで
ていねいにネイルをほどこす

(…それはいったい誰がため?)

〝ハシタナイ〟のは嫌

けれど今夜は
赤い靴のおもむくままに
来た道を踏み外してしまいたい


恵雨を乞う
いにしえびとの祈りは
いよいよ今世紀
カミサマに届いたのか

遠い雷鳴は
にわかにくすぶる

列島には
豪雨の気配

履き慣れないハイヒールで
世界を少し見下ろしてみる

誰もが胸元を緩める
解放域
偽りの電光に照らされて
現れるのがこの街の性

浮かれ騒ぐ
ひといきれに踊らされても
この尾ビレで
上手に泳ぎきりたい

ああ、今夜

無事にあの人のもとに
たどり着けますように…


溺れる人魚のものがたり

ああ、愚かなユラテ

昼も夜もない水底に繋がれて
すっかり声も無くしてしまった

ほんとうは
すべて知っている

このあと
わたしに起こることも
すべて

決まりきった運命が
熱にむせ返る電車とともに
静かに走りはじめる


きっとあなたから貰った傘は

あなたの手に返すのでしょう

もはやこの身を凌げるものは何もない


ああ

だから

雨よ、どうか

わたしよりも先に

泣き出さないでいて

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