宗教に熱烈勧誘された話

三浦です。タイトルで落ちてしまっているんですが、今後似たような話が誰かにあった時に参考にしていただければと思います。この記事は宗教勧誘に不用心に付いて行くことを推奨するものではありません。結果論です。

先日東大スタタリングでお会いした社会人(ADHDの方です)の方とご飯を食べてきました。集合場所に行くと、前職場が一緒だったという知らない男性がいて話してみていい人そうだったので3人で食べることになりました。

ご飯は楽しく食べたのですが、今回相手からご飯を誘っていただいたので理由を聞いたところ「実は仏法のおかげで発達障害が治り始めたんです!」との報告。もしやと思いもう片方の男性を見ると目をキラキラさせて話してきたので、そういうやつやったかーと思いました。宗教の話を聞くこと自体は興味があったのでそこから1時間ちょっと話して、車で10分のところにある東京支部の方にも行ったのですが、入会手続き(氏名生年月日住所の記入)が始まったのでお断りして帰ってきました。

宗教自体は善悪あるものではないと思っています。イスラム国などもイスラム教ではなく個人の問題だと思います。
ただ、幸せのかたちを一つに限定するような宗教はなんとなく受け入れ難く思います。今回の方は「これをしないと本当の意味の幸せにはなれない」といった言葉をしきりに使ってきました。彼らが幸せになったのはおめでとうございますと言った気持ちですし、それをおすそ分けしたいという気持ちもありがたくはあるんですが、僕の幸せは僕が決めるので勝手にそれを否定するんじゃねぇと言いました。

そこで全く話が通じない相手だったらすぐ帰ったのですが、頭ごなしに全てを否定する人ではなかったので自分の意見に対する見解を伝えてくれました。伝えてくれた上で最終的には「必ず後悔するよ」と言われたのでそこは残念でしたが…

宗教勧誘を受けた時に1発で断るのは簡単ですが、行けるところまではいってみないと分からないものもあると思い今回は不用心に付いていってみて、結果的には良かったと思っています。本当にやばいやつもあるのでもう次はすぐに帰ろうと思います。

本当に危険なものもあるので、皆さんは十分にお気をつけください。

ネットワーク研究者として思ったこと

宗教に入った途端に〇〇ががうまくいきました!という話をたくさんされて、それが全て本当なのだとしたら、心因性のものの他に巨大ネットワークに接続したおかげで他の人(知見)との平均距離が近くなるからじゃないか?と思いました。正しい宗教だから大きくなるのではなく、大きい宗教は正しさを増してくるような気がします。人間関係においては大きいネットワークに1つ接続するだけで爆発的な恩恵を受けることができるので。宗教をネットワーク学の観点から研究するのは今後一つの興味としてありますね。

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