"精神障害者"であること

 彼岸花が咲き、秋ですね。科研費の申請締め切りに追われている、reddashです。科研費とは、文部科学省が公募する基礎研究のための研究費で、毎年10月末に締め切りがあります。大学所属の研究者の多くは、この研究費へと応募するために申請書類を書いて、ああでもない、こうでもない、と頭を抱えます。私も書類で頭がいっぱいで、noteやtwitterでの情報発信に手が回らなくなりつつあります。

 何かに集中すると、頭からすっぽ抜けるものですね。家から7分、最寄りの駅前でスーパーを見て気づくのです。しまった、弁当を置き忘れた。このまま家に置きっぱなしにするのは妻に申し訳ないので取りに帰りましょう。うっかり。
 この出来事1つを取れば、時々ある話でしょう。しかし、週に3度ほど同じような失敗をすれば、さすがに堪えるものです。この失敗は避けがたい。変えがたい。これだけ続くと、何ともできないのかと、私は無力感を感じずにはいられませんでした 。私がADHDであると判明する以前は「まぁ、そういうこともあるよね」で済ませていたにも関わらず。

 "精神障害者"を自認することで、私にかかる精神的な負荷は増えました。この感覚は、口うるさい上司に苦手な仕事を任された上で「例の仕事終わっていないのかよ」と言われ続ける感覚に似ています。一度だけならば受け流せます。しかし、繰り返し言われるごとに、ボディーブローのように効いてきます。何より、この"精神障害者"感覚は一生ついて回りうるのです。

 私はこういう時に、まずは深呼吸します。「自分は大丈夫、なんとかなる」と言い聞かせます。科学者らしからぬ根拠のないオマジナイでしょうか? それでも案外、落ち着きます。我流でたどり着いた方法なのですが、いわゆるアファメーションの一種に相当するのではないかと、私は推測しています。

 "精神障害者"であることは、それだけで、精神力を削ります。それでも、自分を勇気づけながらジリジリと前へ進みたいと思います。まずは申請書を書きます。書くったら、書きます。皆さまも、どうぞよい1日をお過ごし下さい。

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