Lovelyz "Destiny" 「カドカワ的」という妄想

こういう大仰でドラマチックな情念たっぷりの短調曲を聴くと、「うっひょ~THE歌謡曲じゃ~~~!!!」となり、80年中~後期(昭和末期)の日本のアイドルの世界を思い出して、「いやあK-POPは大衆性の高いエンターテインメントが盛んだなあ」とついつい思ってしまうのだけど、これはあくまで私の妄想。

(以前から私は「LOVELYZ(とEXO)は角川映画」だ、と主張していて、今回もその思いを強くしたのだけど、ついぞ誰の共感も得られなかった…う~ん←ヒント:世代)

どちらかといえば、ウリム社長自身がIDOLOGYのインタビューで述べていたように、そもそもうりむのアイドル商売というのは閉鎖的で沼性の高いオタク・サブカル層を相手にしていて、大衆的というよりはコアな熱狂のベクトルを持っているというのが、より正しいLovelyzおよび本曲への評価なのだろう。日本の少女漫画を想起させるタイトルしかり、深読みを誘うMVしかり。

それにしても、LOVELYZは季節感がない、どころか季節感に抵抗してくる。人工性、内省性を表しているのか。この曲も春なのに秋冬の感覚が強い(和声に織り込まれた「枯れ葉」!)。で、その閉鎖性を表現するのがMV担当のdigipedi。一目でそれとわかるアクの強い映像制作チームだけど、LOVELYZについてはその定型的な枠を超えて、毎回気合いの入ったMVを作ってる気がする。

残念ながら念願の1位に手が届かない状況のようだけど(やはり「大衆性」のある曲ではないのか…)、今をときめくdigipediに「あ~またdigipediね~」という惰性的な制作を許さない企画力(SM資本を入れて体力を付けた意味が了解される)はWoollim社の素晴らしいところだと思う。

ちなみに日本の歌謡界妄想を続けると、ミジュとジスが左右対称のポジションで声を合わせるところが、ザ・ピーナッツ→Winkへと連なる双子芸の系譜を感じさせて好き。

あとせっかくなのでユン・サンの伝家の宝刀アルゼンチンタンゴverをぜひ「僕らの音楽」でやってほしい(もちろんバンドネオンは小松亮太)。←国が違うし、もう番組ないし

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