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サークルみたいな会社が"会社"になるまで

こんにちは。
3回目のnote更新が出来てほっと一安心な、
株式会社リペアnote編集部です。

今回も、前回から引き続き、新井さんと社長のインタビューの続きです。創業期のころから企業理念を策定して会社っぽくなっていったリペアについてお聞きしてみました~。

一応今回も紹介させて頂きますね。

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代表取締役社長 後藤紘儀
2004年に創業し、リペアを育ててきました。
趣味は瞑想。2児のパパ。

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執行役員 総合リフォーム事業事業長代理 
新井淳吉
2009年当時 約15人だった頃のリペアに入社。
知人の趣味を真似することが趣味で
最近はサウナとキャンプにハマり中。
3児のパパ。


まるでサークルみたいなリペアの初期

前回の記事でハードな創業期だったことが伺えたんですが、なぜそこまでやれたんでしょうか?

社長:
「まず一つとして、自分がやりたくてはじめたから続けるしかなかったっていうのがあるけど、実は、お世話になった内装会社を辞めて、自分で会社をやるって決めたときに、決めたことが2つあって。

1つは、親との約束で『人に迷惑をかけないこと』。だから、創業から今日まで職人さんへの支払いとかも遅らせたことは1度もない。

もう1つは、自分のルールとして『仕事を断らないこと』。実は、これが地獄の始まりを作ったルールだったかも。」

新井:
「『断らない』はすごい。」

社長:
「2時間睡眠で倒れそうでも、仕事の連絡を頂いたら『いきます!』って。(笑)それを創業から2年続けてみて、『あ、これを続けていたらいつか人に迷惑をかけてしまう』って気が付いて。この2つを完璧に守ることはできないな、どっちを優先するかって考えたら、『人に迷惑をかけない』だなと思って、『仕事を断らない』っていう自分のルールはなくしたんだけどね。

それがちょうど法人化のタイミングで、大ちゃん(現執行役員の伊藤)と2人での会社が始まって。当時、布団を買ってきて、倉庫に置いておいて、そこで寝泊まりしてたんだよね。」

新井:
「寝泊まり!」

社長:
「でも、なんで寝泊まりしてたんだっけって思うと、仕事が終わらなくて、っていうよりかは、あーじゃない、こーじゃないって喋ったり、本を読んでみたりしてるうちに遅くなって、まぁ泊まっていこうかってなってた感じなんだよね。語り合ってたというか。(笑)」

新井:
「青春って感じしますね。(笑)」

社長:
「そうそう。サークルのノリだって言われてたかもしれない。」

新井:「僕はひぐ(現執行役員兼イベント事業部事業長)と同日に入って、結構昔を知ってると思ってたけど、そこまでの感じはなかったかもしれないです。もう少しちゃんとしてたというか。」

代々木本社 2014

(東京都渋谷区代々木に本社を移した2014年頃)

―その頃を知ってる社員って今もいるんでしょうか?

社長:
「でも、もう大ちゃんくらいかな。そのあと何人か入ってきて、その後の渡會(現取締役兼ORGAN CRAFT事業長)とか、梅ちゃん(現執行役員兼家町装飾事業長の梅田)とかの時はもう会社に泊まるっていうのはさすがになかったかな。でも当時でも、1日仕事して会社戻って、夜ご飯食べに行って風呂に入りに行ってまた会社に戻ってきて、みたいなことしてて遅くまで会社にはいたりしたけど。」

新井:
「僕の時はそれすらもなかったですね。当時は、蒲田本社のほかに鶴見と目黒にも店舗があって、社員も12~13人くらいはいたかな?普通に、会社って感じでしたね(笑)」

社長:
「急スピードで店舗展開した一番最初のころだねぇ。どんどん会社も変わって、どんどん店舗数も増えてね。」

―当時のことで、印象に残っている事件とかはないですか?(笑)

社長:
「事件か~…あんまり出てこないなぁ…(笑)でも、今でもよく言われるのは、システムについてだね。当時、2010年とかなんだけど、システムが使いづらいって言われてた。なんでかっていうと、全部僕が開発してて。ボタン1つ押すと、1時間分の作業したものが全部消えるとかそういうのがちょこちょこ発生してたかな。(笑)」

新井:
「あ~そうなんですよね~。もう作業中固まっちゃうとかは日常茶飯事みたいな。」

社長:
「当時は入出金の管理から、帳簿、経理、システム、労務関係、給与計算も全部ひとりでやっちゃってたんだよね。それに加えて営業も。とにかく当時は、稼げる会社にって集中してたから環境整備が追い付かなくて。」

新井:
「システムは結構困ってましたね、僕も。でも僕は事件って感じの事はあんまり覚えてないな~。」

―新井さんは、リペアで新卒入社ですか?

社長:
「お、良いこと聞くねぇ。」

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新井:
「新卒入社ではないですね。(笑)」

社長:
「淳ちゃんは、うちにくるまで、ころころ変わってたんだよ。短期間でめちゃめちゃ変わってて、全然定着してなかった。」

新井:
「そうですね~。6,7か所くらいで働いて、辞めて。(笑)建材商社とか、職人とか、工房とか、いろいろ。長くて2年やってたかな?って感じで。でも、リペアはもう10年やっちゃってますからね。はまりましたね。」

―なんでリペアは続いたんでしょうか?

新井:
「多分、責任ある仕事をやらせてもらえて、自分がやらないとっていう自覚を持たせてくれたからじゃないかなと思ってます。裁量権ある仕事、任せてくれる風土があるから、それがすごく合っていたというか、やりがいになっていたんだと思います。

だから、リペアに入ってからは、辞めたいとかも一切なくて。まぁ、そのもっと後は任せてもらったことが増えすぎて、まぁ大変だなと思う事もありましたけどね。(笑)」

社長:
「いやー良い話だねぇ。うん。(笑)」

―まさかここまで長く続けるとは、、、、?

新井:
「全く思ってなかったっすね。ただ、家がめちゃくちゃ近かったっていう、それだけで入ったので(笑)」


リペアの大きな転機、企業理念の策定

―今、リペアには「ひつようとされる人づくり」という
企業理念がありますが、これはどうやって決まったんですか?

社長:
「これは、2014年に決めたから、今から5年くらい前に作ったもので、それまでの約10年は企業理念とかそういうのは全くなくて。特に、僕が企業理念の必要性を感じてなかったんだよね。

だけど、とある人に、企業理念をなぜつくらないの?って言われて、
それがきっかけでいろいろ勉強してみたのが始まり。
そうしたら、『ビジョナリーカンパニー』っていう本に出会って、
すごく感銘を受けてみんなで作ろうってことになったね。
今でもこの本は毎年1回読んでる。

僕らが働く意味をしっかり定義して、それを理念として中心においてブレることなく進んでいきましょう、ってなりました。」

新井:
「これは誰が参加してたんでしたっけ?」

社長:
「これを決めたときは、役職とかじゃなくて、会社にとって関わりが深いなと思う社員を選出して、そのメンバーで集まってみんなで話し合いで決めて行ったね。」

―話し合いはどんなふうに進んだんですか?

社長:
「1泊2日の合宿を設けて、やりたいことや理想だと思うことをどんどんアウトプットしていって、少しずつまとめて。

そうしたら、みんなで一致していたフレーズが、『チャレンジ』だったんだよね。チャレンジして成長していけるのが僕たちがこの会社に所属する意味ですっていうところがかなり共通してた。」

理念を決める会議 2014

(理念を決める会議でのひとコマ 2014年頃)

―そこからどう「ひつようとされる人づくり」になったんですか?

社長:
「ただチャレンジしてるだけってどうなの?何のためにチャレンジするの?という議論をさらに進めて行って、出てきたのが、みんなに喜んでもらうとか、みんなのためになることの為にチャレンジするのが、良いよね、本質だよねという結論。

だけど、ここまではばーーーーって走ってアウトプットしたものの、
なかなかまとまらなくて、途方に暮れちゃって。
そのときに、『新しい人が、仲間が入ってきて、この中でチャレンジしてくれて、そしてその人が成長していくっていうこと自体がすごく楽しいし、そこに喜びを感じます』っていう言葉が出てきたんだよね。

僕らは仲間がどんどん成長できる場所を創れることが喜びだねって、
『人づくり』だってなっていきました。
これ、松下幸之助さんの言葉でもあるんだけど。

さらに、これからの時代どういう人づくりをするのかって議論していったときに、世の中に必要とされるような、仲間に必要とされるような存在っていうのが大切だよね、それを目指すと成長につながるよね、ということで、『ひつようとされる』を後から付けたって感じ。」

理念を決める会議 2014 vol2

(理念を決める会議でのひとコマ 2014年頃)

―最後は比較的バシッと決まったんですか?

社長:
「そうだね、これだ!!!ってその場のみんなでなった感じがしたね。
それ以来はこれをベースに経営を考えてる。」

新井:
「僕は受け取った側なわけだけど、『ひつよう』ってひらがななんだっていうのが印象的でした。」

社長:
「そうだね、モノや利益として必要ということじゃなくてっていうのを伝えるために、あえてひらがなの『ひつよう』に拘ってみました。」

新井:
「そういう事なんですね。でも、言いたい事というかそういうのはスーッと入ってきたのを覚えてます。お客様ももちろんだし、仲間にもひつようとされないとだしっていうのを思いましたね。」

―企業理念はどんな風に浸透を目指したんですか?

社長:
「浸透っていうと、すこしギャップがあるかもしれない。
企業理念の策定で、会社を運営するうえでのベースはこれだよねっていうのが決まっただけで。だからそのあと行動指針を作ってる。
だけど、これは、僕の中では、覚えてねっていうものとは違うと思っていて。それよりも、会社を経営していくと本当にいろいろあるから、迷ったときにこっちだよっていう象徴的な言葉として作って、みんなに渡しました。あんまり、この企業理念とか行動指針からずれちゃいけないとは思っていなくて。まあ、右往左往しながらも確実に少しずつあっちへ向かおうよっていう、今でもそういうスタンスで思ってるかな。」


リペアの親会社エバースホールディングスについて

エバースロゴ

―エバースというのはリペアの後に設立ですが、それも理念と関係があるんですか?

社長:
「まさにその通り。それまで、原状回復とかリフォームとかだけやってた会社だったけど、これからは、いろんな人がいろんなチャレンジが出来るように、業界の垣根というものを超えたかったから、チャレンジの円の中心となるとなるようなものを、という思いから、親会社を立ち上げようとなりました。」


新井:
「エバースの由来は、リペアと違ってちゃんとありますもんね。」

社長:
「そうだね(笑)こっちは本当に思いを込めてる。
僕たちのチャレンジっていうのは必ず実現させていくためにあるから、『夢』という意味のフランス語『Reve』を反対にして、『EVER』、
そして、夢を現実にする集団だから複数形にして、
『EVERS』という意味が込められてる。」

―リペアの時とは大違いですね。(笑)

社長:
「エバースの社名とロゴっていうのはこれからブレることはないからね。
ちなみに、ロゴの水引きも拘りなんだけど、水引きには『人と人を結びつける』という意味があって、エバースも出会うすべての人との縁や出会いを大切にしようっていうのを表現してる」

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新井:
「その頃は、蒲田店にあった本社機能も、代々木に独立していったり、出店攻勢もかけて続々と店舗も増えたりしたのと重なっていたし、いろいろ引き締まる思いを感じていたような覚えがあります。」

社長:
「確かに、企業理念が出来てからはいろいろ体制を変えていったタイミングだね。チャレンジしようって言ってるのに、それまでは経営の数字をほとんど開示してなかったから、その頃からは経営層にはもちろん、店長たちにまでオープンにする体制に変えたのもこの頃。一人経営から、全員経営に切り替わったなというのを肌で感じていたのを覚えてるよ。」

―かなり短期間で会社が変わって、混乱みたいなものはなかったんですか?

社長:
「そういうのは全然感じなかったね。むしろ、どんどん良くなっていって、売上も結果としてついてきた。」

新井:
「うちの社長は、普通それしないよね?っていうことをよくやるんですけど、経営数字の開示ってまさにそれですよね。店舗ごとの損益計算書(経営の成績表みたいなもの)とかを見せられたら、僕たちも理解できるようになりたいから自然と一生懸命勉強するようになってましたもんね。」

社長:
「そうだね、確かにみんなにオープンにするって手間もかかったり、他にもいろいろリスクもあるんだけど、それでもみんなで現状を把握してみんなで考える方がメリットとしては高い、と思ってやってきたかな。オープンにしてからは、どうしてこんなに質素倹約な経営方法を取っているのかっていうのを理解してくれる人が増えたからか、みんなでやり易くなった感じはあったと思う。

実はこの会社としてちゃんと形になっていった時というのは、いろんな問題があった所を解決していった1つ目のフェーズだと思っていて。そして、いまがちょうど2回目のその時。エバースをもっと良くしたいって思ってる人が集まってるし、実際に行動しているし、きっとまた一つ越えられるなと。今はまた踏ん張りどころというか、また面白くなりそうというか、ここからの変化をメンバーと共に楽しみたいと思っています。」


= = = = =

今回は、創業時からの今までのお話についてかなり深いところまでお聞きしてみました。
かなり長くなってしまいましたね。
(最後まで読んでくれてるかな。。。)

次回は、2019年の最後の更新になります。
今年1年の事について社長と新井さんに振り返って頂きます。
また読んでいただけると嬉しいです~

もし、こんな会社の話をもっと聞いてみたいと思われた方はこちらから是非エントリーを!!

そしてリフォームを中心とした弊社事業の詳細はHPをご覧ください!


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