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それでも雑誌が大好きだ!!

つらいつらい。

この前「note書けないということを書いてみる」という内容で公開したのだが、現在進行中でまだその状態が続いている。

だけどこうやってヒイヒイ言いながらでも、めげずに発信していった先に何か見えるかもしれないから、、、(というか何か待っててくれてるんでしょ?え???🔥)という謎のオラオラな反骨心をもちながら、今回は雑誌最高!という内容を何とか書いていこうと思う。

★📙★

雑誌パトローラー

最近、休日や放課後には必ずと言っていいほど書店に行って雑誌を立ち読みしている。
手元に残しておきたい刊行は、種類問わず買う。

ラインナップが変わってなかろうが、最寄りの本屋や大学の前にある本屋に毎週足しげく通い、散々雑誌を見ながらパトロールしている。
良いアイデアや妄想、脳に引っ掛かりそうなトピックがないか探し、
印象に残るものがあれば、シメた!と思い、アイデアごと持ち帰る。
コーデなどの組み合わせはさすが雑誌。いつも新鮮で、明日のファッションテーマの参考になる。
そんなこんなで、毎回楽しい休日を過ごしている。

私にとって、雑誌を読む際の心持ちやワクワク度と、自分の部屋のベッドの上でパジャマを着てインスタを見ているときのモチベーションは全く違う。

雑誌のほうが私にとっては刺激的で、強いイメージと言葉をもたらしてくれるので、脳裏にもより鮮明に残る。
いつもよくTVに出ているモデルや俳優さんが、すてきなスタイリストと写真家によって別人に見えるようなショットを見られるのも大好きだ。

それにこれは紙媒体あるあるだと思うのだけど、あの無駄に大きくて指のきれそうな紙のページをめくった瞬間
自分好みの写真や特集が不意に飛び込んできた時の、「うわあ~~~♡」というキラキラした感動がたまらない。

それは箱をそっと開けると、底で静かに輝いているルビーを発見したときの感じに似ているのかもしれない。(わたしは見たことないけど、、、、。)

それくらい、私は雑誌にかなりの期待をかけてパトロールをしている。 


それでも、ぶっちゃけ出版業界が厳しいのはマジらしい。


わたしは大学でとある雑誌の編集を最近はじめたのだが、お世話になっている編集者の社員さんが「俺がもしタイムスリップしたらこの仕事やらないだろうなあ~~」とぼやいていたので、どうしてか聞いてみると

「だって今こんなの誰が読んでんの!?(笑)」

と言われてしまった。
そのときの心の中では、ものすごい勢いでわたしの右手が上がって「ハイッ!ここにいますっ!!」と言っていたのだが、あまりにも切実そうな面目で笑い飛ばしながら言うので、何とも言い返せなかった。

やはりこのご時世、web記事やオンラインには逆らえないらしいのだ。
その方は「それでも楽しいからやっているからいいんだけどね!」と。

とても悲しく、切ない気分になってしまった。

わたしはその社員さんたちが刊行している雑誌が大好きだ。
記事も毎回本当に面白くて、突いている内容を世に出しているところを大リスペクトしているのに、作っている張本人は半自虐的に作っているとは。

でも、確かに言われてみれば
なんで私はずっとこんなに腰が痛い思いをして毎週雑誌を立ち読みしているのだろうか。
webやSNSになくて雑誌にあるものは何だろう。

🐻


雑誌の強制力と有限性 


わたしの結論はこうだ。

雑誌には物理的に
「読ませる」ことと、「一度に載せられる情報に限りがある」というある種の不便性があると思う。その不便性が逆に今の私には心地よいものなのではないかと。


情報を読まされる体験

オンラインの情報とは違って、雑誌を読んでいるときの自分は「情報を読まされている」という感覚に近いものを感じる。

ページをめくる限り、頼んでもないのに勝手に情報が迫ってくる。
写真、タイトル、文章。
雑誌を開いているときは内容に目がいってしまうので、
否が応でもページに書かれた情報と向き合わなければいけない時間になるのだ。

だからこそ、新しい、自分のタイプではない情報も取り入れることができる。

自分に興味のないブランドの洋服とか、普段は興味のない俳優のインタビューも目に入らざるを得ない。
だけどそれによって新しい発見が生まれることもある。
「へぇ~売れっ子俳優って実はこんなこと考えてたんだあ~(小並感)」とか、そんな些細なことも含めて。

ふつうのSNSやwebはタイトル勝負だったり、見ただけで内容が分かったりするので、一瞬で内容を取捨選択している。
結果的に自分が好きな内容しか入ってこないので、SNSで逆にわたしの視野は狭くなっていっているような気がする。
毎度タイムラインに流れてくる情報はわたしが「興味のある内容の新情報」なので、新しい発見や気づきはほとんどもたらされない。

新しいアイデアや着想が欲しい時、わたしはなんだかんだ雑誌に頼ることが多い。
新鮮さや新しさをどこかで渇望しているのかもしれない。

有限性ゆえの知りたい欲

写真を魅せる雑誌は、書かれる内容が当然少なくなってしまう。
てっぺんに赤いさくらんぼがのった、美味しそうなプリンパフェを見つけても、その写真に書いてあるのはメニュー名とお店の基本情報のみだ。

あるいは息が止まるくらいきれいなショットが載ったモデルさんの写真には、名前しか書かれていなかったり。

その有限性が、逆にわたしの「もっと知りたい!!」という好奇心を刺激してくる。

ここでやっとSNSの出番がやってくるのだ。
インスタで店名をハッシュタグ検索。それで次のおでかけの予定を立てたり、やっぱり美しいかったそのモデルさんをフォローしたり。

雑誌に書かれてある情報の有限性は、読む者に自主的に情報を深堀させる。

しかも雑誌がちょうど良いのは、最悪、
立ち読みで上記のことをやってのけることができるからだ。

あんまり声を大にしては言えないが、お金のない貧乏大学生には嬉しい。

★📝★

わたしはまだ全然雑誌が大好きだ。
いつでも金欠なので好きな刊行すべてを買えるわけじゃないから、すこし申し訳ないけど。。。
腰が痛くなっても、 いや腰が痛くなるまでわたしは雑誌に見入ってしまう。

だから、あの「雑誌なんて今だれが読んでんの(笑)」と自虐していた編集者の社員さんのような人に、こんな大学生もいるんだよ~ってことを言いたい。

だってその社員さんが作っている雑誌と出会ったのも、まぎれもなくこの
雑誌パトロールで偶然発見したのだから。


今日は待ちに待った休日ですね🌞
さあ雑誌パトロールしてきましょうか。 

素敵な雑誌と情報に出会えますように。

#エッセイ #日記 #雑誌 #編集者 #編集

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