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【音楽史】戦争に翻弄されたウクライナの大作曲家(2)忍びよる戦争の影

皆さん、こんにちは! 在米25年目、ニューヨークはハーレム在住の指揮者、伊藤玲阿奈(れおな)です。

私なりのウクライナへの連帯として、同国が誇る大作曲家セルゲイ・ボルトキエヴィチ(1877~1952)の生涯と代表的作品を紹介するシリーズ、今回はその2回目にあたります

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中年期のボルトキエヴィチ

前回、ウクライナのハルキウ(ハリコフ)に生まれ、音楽院を卒業してベルリンで活躍するまでの青年時代をご紹介しました。今回はその続きですが、戦争によって人生が翻弄され始めるところからのスタートです。

第1回の記事はこちら👇

第1次世界大戦でドイツを追われる

1904年(日露戦争が始まった年)、7月に結婚したボルトキエヴィチは同年秋にベルリンへと引っ越し、そこで新生活を始めます。

結婚して、教授として教えて、作曲もはじめ、ヨーロッパ中を演奏旅行して成功をおさめ・・・と、順風満帆だったのがこのベルリン時代で、この辺りが彼の人生のなかで一番幸せだったようです。

しかし残念なことに、幸福な生活は長続きしませんでした。ベルリンに移住してちょうど10年後、ドイツとロシアが敵同士になった第1次世界大戦(1914~1918)が始まってしまったからです。

ロシア国籍のボルトキエヴィチは”敵国民”として自宅軟禁下におかれ、まもなくドイツから追放処分となってしまいました。順調だったキャリアが戦争によって絶たれてしまったわけで、忸怩たる思いだったことでしょう。

ストックホルムやフィンランドといった北欧を経由してロシア帝国首都のサンクトペテルブルクへと何とか辿りついたボルトキエヴィチ。彼はそこに留まらず、故郷ウクライナのハルキウ(ハリコフ)へと戻ります。

そこで音楽教師をしながら、当時知り合って親交を結んだチェコ人バイオリニスト、フランク・スミット(フランティセック・シュミットまたはフランク・スミスとも/ 1892~1960)と演奏旅行をして生計を立てました。

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名器「グァルネリ」をもったフランク・スミットの肖像写真

スミットは当時ハプスブルク家(オーストリア帝国)に統治されていたチェコの出身。つまりオーストリア国籍でありロシアからみると敵国人でした。そのため第1次世界大戦がはじまるとスミットは逮捕され、シベリアの刑務所へと送られたのですが、楽才を将軍によって認められ解放されました。まったく幸運の持ち主ですね。そしてウクライナのハルキウ(ハリコフ)にある音楽学校に教授として招聘されたところ、故郷に戻ってきたばかりのボルトキエヴィチと出会ったわけです。

穀倉地帯として知られるウクライナでさえ食べ物にこと欠いていたので、コンサートツアーによって何とかしようと2人はツアーを組みます。しかし戦時中ですから極寒のなか鈍行列車に揺られたりと、なかなか困難な状況だったようです。

それでもモスクワでの演奏会は成功したらしく、2回目もやろうとホールなどを予約したのですが、ここでさらに悲劇が襲います。1917年にロシア革命が起こり、革命家レーニンが率いたボリシェヴィキと呼ばれる急進的グループが権力を握ったのです。彼らは、皇帝・貴族・資本家といった人々ではなく、無産階級の労働者による国家支配を唱えました。ボリシェヴィキは後にソビエト連邦共産党となります。

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大衆に演説するボリシェヴィキの指導者・レーニン(1920年5月)

ロシア革命で故郷を追われる

この暴力革命の結果、ロシアを統治していたロマノフ王朝が倒れ、ボリシェヴィキによって皇帝一家は処刑されるとともに、貴族や特権階級の資産が次々と没収・略奪される事態となりました。世の中は音楽どころではなくなります。

これだけではありません。前回お伝えした通り、ボルトキエヴィチはハルキウ(ハリコフ)郊外に土地を持っていた貴族の家系でした。つまり、彼はボリシェヴィキによって迫害や略奪される対象になってしまったのです。実際、ボルトキエヴィチ家が代々所有していた不動産は彼らによって完全に略奪されてしまいました。

反革命軍(白軍)の決起によって破壊された後の自分の土地を取り戻したこともありましたが、一時的に過ぎませんでした。すぐに再びボリシェヴィキ(赤軍)の手に落ちます。しかも、彼の母親がこの混乱のさなかに亡くなってしまう悲劇にも見舞われました。

1919年、ボルトキエヴィチは、夫人と一緒に、残り少ない家財をまとめてヤルタへと逃げます。2014年にロシアが強制的に領土にしてしまったクリミア半島、その南端にある都市です。

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19世紀のヤルタ。風光明媚なリゾート地として知られた。

立て続けに戦争による悲劇に遭いながらも、リゾート地として当時から有名だったヤルタの温暖な気候や風景には、彼もかなり癒されたようです。街と港が一望できる丘の上に部屋を借りることできたこともあり、久しぶりに作曲のインスピレーションも湧いてきました。

私はピアノを借りて、なんと作曲も始めたのです。『ノクターン作品24-1』は、そこで素晴らしい月夜に私の心に浮かんできたものです。(回想記より)

悲劇が続いたなか、束の間のヤルタでの癒し。月の夜に触発されて出てきた美し過ぎるほどの『ノクターン』を、ぜひ聴いてみて下さい。かの地では今も戦争が起こっていることも考えると、この平和にあふれる美しさがより尊く感じられませんでしょうか?

慣れない異国の地での難民生活

しかしながら、クリミア半島もボリシェヴィキの手に落ちることは時間の問題でしたから、ボルトキエヴィチは急いでヤルタから逃げる手段を考えねばなりませんでした。

赤軍から逃れたい人々でごった返すなか、2日間も野外で乗船券を求めて並び、やっとのことでトルコのコンスタンティノープル行きの汽船に乗り込むことが出来たそうです。

私は20米ドルをポケットに入れていた。それがすべて。私がもっていた150万ロシア・ルーブルなんて、もうまったく価値がないのだ! そして服、すこしの下着、そして作品の自筆譜を入れた2つのスーツケースしかもっていなかった。(回想記より)

アメリカの軍人に、身に付けていたジュエリーを売って得た20ドルの方が、150万ルーブルより遥かに価値があると言っています。2022年現在、西側による経済制裁でルーブルが暴落していますが、「歴史はくり返す」ということでしょうか・・・。

いずれにしても、コンスタンティノープルは15万人近いといわれたロシア人難民に溢れており、当初は粗末なシェルターの床で寝ざるをえない状況でした。そして町中の音楽商店に行っては、自分が有名な作曲家でいくつか作品が出版されていることをアピールして、教える仕事を探しました。貴族出身の彼としては、どれもこれも相当な屈辱だったかもしれません。

幸いにも、ユーゴスラビア大使の助けなどで、ほどなくして上流階級の子弟相手に教える仕事が見つかりました。そうして2年ほどの難民生活を送ったのですが、ボルトキエヴィチの心は晴れなかったようです。

親友のオランダ人ピアニスト、ヒューゴ・ファン・ダーレン(前回参照)に手紙でこのように書き送っています。

我が心はすべてヨーロッパ、その音楽と文化を自然と懐かしんでいる。ここでは文化という点ではとても惨めだよ。美しいのは土地と気候だけなんだ。(中略)[レッスンで外貨を稼いだら]この状態から抜け出して、最終的にちゃんと作曲するためにも、ウィーンかブダペストに移りたい。ここでは数音だって書く気にもなれないし、時間もないんだ。(1921年8月18日付の手紙より)

戦争によって慣れない土地に住まざるをえなかった作曲家の、とても深い苦悩がうかがい知れます。

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19世紀後半のコンスタンティノープル(1905年頃に売られた絵ハガキ)

<次回予告> またも戦争に壊された日常、そして最後の栄光

こうしてトルコの地で難民生活を送ったボルトキエヴィチ。それでも数年後、大使館が用意してくれたビザによって、遂に終止符を打ってヨーロッパへと戻ることになります。

そこでやっと人生の休息といえる時間を味わいますが、またもや戦争が起こったせいで長続きしませんでした。夫婦そろって精神的におかしくなりそうだったほどの苦難が襲います。

しかし、それを超えて最晩年に入ったとき、彼は長らく待ち望んだ栄光に浴すことになりました。

最終回となる第3回目にて、その感動の物語をご紹介します。お楽しみに!

(次回へ続く)

Ⓒ伊藤玲阿奈2022 本稿の無断転載や引用はお断りいたします

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執筆者プロフィール:伊藤玲阿奈 Reona Ito
指揮者・文筆家。ジョージ・ワシントン大学国際関係学部を卒業後、指揮者になることを決意。ジュリアード音楽院・マネス音楽院の夜間課程にて学び、アーロン・コープランド音楽院(オーケストラ指揮科)修士課程卒業。ニューヨークを拠点に、カーネギーホールや国連協会後援による国際平和コンサートなど各地で活動。2014年「アメリカ賞」(プロオーケストラ指揮部門)受賞。武蔵野学院大学大学院客員准教授。2020年11月、光文社新書より初の著作『「宇宙の音楽」を聴く』を上梓。
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伊藤レオナ・NY在住指揮者

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